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8 じゃがいもの会

 リコはしゅんとして、雑巾を絞っている。


「ごめんなさい……手伝わせてしまって」

「いいえ。驚かせてしまったのは僕ですから」


 レオは荷物を置いて、床に這いつくばっている。

 噴きこぼれた大量の湯を拭く作業を、手伝ってくれていた。


 レオはこちらを見上げると、爽やかに笑った。


「それにしても、リコさんがここに越していたとは知りませんでした」

「今日、越してきたんです。荷物も運んだばかりで」

「そうだったんですね」


 リコは窓の外に目をやった。


「あの……黒猫ちゃんは?」

「外で大人しく待ってますから、大丈夫ですよ」


 レオは床を拭き終わると、小包の荷物を手にして宛先を確認した。


「この家の住人宛だったけど、旅に出たなら再配達の先もわからないし、困ったな」


 レオはゴーグルを掛け直して玄関に向かい、またあっさりと帰ろうとしていた。


「それでは。夜分にお邪魔しました」


 リコは一方的に手伝わせてしまった申し訳なさで慌ててお礼になる物を探したが、目ぼしいものがない。せっかく再会できたので何とか引き留めたくて、咄嗟に大釜の中で茹で上がったじゃがいもを指した。


「あの、一緒にじゃがいも食べませんか!」


 大きな声が小屋に響いた後、少しの間があって、リコは赤面した。

 誘い文句に、じゃがいも食べませんか、は変だった?と焦るうちに、レオは笑顔で振り返った。


「いいんですか? 嬉しいなあ」



 茹でて塩をかけただけの豪快な芋を前にして、レオは制服姿で行儀良く座っている。

 改めてセッティングすると妙なおもてなしになってしまい、リコは恥ずかしくなった。

 元住人が置いていった来客用の綺麗なティーカップと、老夫婦が持たせてくれた紅茶があるのが救いだった。


 リコは紅茶を淹れてレオの正面に座ると、改めてお礼をした。


「昨日は危ないところを助けてくれて、本当にありがとう」

「いえ。たまたま通りかかっただけなので。ご無事で何よりです」

「私、一人暮らしがしたくて、村長さんにこの家を紹介してもらったの」


 レオは相槌を打ちながら、言いにくそうに忠告をした。


「でも……あの……不用心ですよ。こうして見ず知らずの他人を、簡単に家に入れては」


 根本的なダメ出しをくらって、リコは狼狽えた。


「あ、わ、私ってばつい、レオ君は真面目そうな配達員さんだし、立派な制服だから、一流企業の人かなって……」


 またしても正直にぶち明けて、リコは自分で口を塞いだ。

 レオは笑って、胸元の紋章に触れた。


「一流企業ではなくて、宮廷の配達員ですけどね」

「宮廷って……王様のお城!?」


 前のめりのリコの勢いにレオは少し面食らって、説明してくれた。


「はい。城から外部へ配達をしています。王国の許可が必要な特殊な荷物を運んだり」


 リコは「ふわ~」とため息を吐いて椅子に座った。


「同じ歳頃なのに、凄いお仕事してるね……特殊な荷物って、いったいどんな物?」

「薬品とか、貴重品とか、希少な植物とかですね」

「じゃあ、さっきの荷物も特殊な小包なの?」


 レオは小包を取り出すと、品名を確かめた。


「根……と書いてあります」

「根……!?」

「きっと特殊な根なんでしょう」


 リコはじゃがいもを咽せて笑い、レオも笑った。


「私は宮廷で働くなんて無理だけど、家賃を払うために仕事を探さなきゃ」

「オリヴィエ村長にお願いすれば、斡旋してくれますよ」

「う、うん。私でも、働ける仕事があるかなぁ」

「大丈夫ですよ。町や村にはいろんな仕事がありますから」

「うーん。仕事探してる時に、また虫に襲われたら怖いなぁ」


 リコのぼやきに、レオは腕組みをして考えた。


「村の中で虫が人を襲うことは、殆どないんですよ。この付近の生物は村長に管理されていますから……管轄から大きく外れると、あの蜘蛛のような野生種もいますが」

「私、犬のペロにも舐められたり、戯れられたりするの。きっと余所者だから、言うことを聞いてくれないんだと思う」


 落ち込むリコに、レオは笑顔で応えた。


「リコさんは動物に特別に好かれる体質なのかもしれませんね」


 前向きな理由に、リコも思わず笑顔になった。

 レオは思い出したように、自分の首に下がっていた金色の小さな笛を外して、リコに渡した。


「この笛、もし良かったら使ってください」

「笛?」

「鳴き笛と呼ばれる物です。生物を一定時間、強制的に止める効果があるので、身の危険を感じた時はこれを吹いて逃げてください」


 リコは昨日、蜘蛛の巣の上で自分の悲鳴に共鳴して聞こえた高音を思い出した。


「あの時の音は、この笛の音だったんだ!」

「配達のルートに野生の生物がいる場所では、笛を使って凌ぐ場合もあります。使う時は、猫の耳を塞がないとですけどね」


 レオは笑っているが、リコは驚いて立ち上がった。


「駄目だよ、仕事で使う大事な笛を!」

「大丈夫です。失くしたと言えば、宮廷がまた支給してくれるので」


 リコはありがたさで胸が温かくなって、金色の笛を両手で握りしめた。


「ありがとう……凄く心強いよ」


 レオはポケットから懐中時計を出して、時間を確認した。

 じゃがいもを囲う楽しい会は、あっという間だった。


「それでは夜も遅いので、そろそろ失礼します。じゃがいもをご馳走様でした」


 レオは胸に手を当てて王子様のような優美な挨拶をすると、玄関に向かった。

 リコは自分の話を丁寧に聞いてくれたレオの穏やかさに安心感を覚えて、別れが惜しくなっていた。


「あの……また配達に来てくれますか?」


 突拍子もないリコの要求に、レオは振り向いて言葉に詰まるが、笑顔で頷いた。


「近くに来た時には、ご挨拶に伺わせて頂きます」


 爽やかな社交辞令を残して黒猫に飛び乗ると、黒猫は高くジャンプして木の枝に飛び移り、あっという間に木々の間を飛び去っていった。


「すご……忍者みたい!」


 リコはレオと黒猫を見送ったまま、立ち尽くした。

 予期せぬタイミングでレオと再会できて、しかも自分を守る笛まで貰ってしまった。首から下げた小さな笛に触れながら、リコは満月を見上げた。


 礼儀正しく紳士的なレオには、自分を助けてくれた時のように勇敢で頼もしい面もある。そのギャップがレオを男の子として意識してしまう理由のようで、リコはレオの優しい笑顔と勇ましい姿の二面を、交互に思い出していた。こんな状況なのに、心が浮ついてしまう。


「いやいや、違うよ? 感謝と尊敬の気持ちだよ?」


 自分を取り繕うように、赤面して戒めた。

 異世界に迷い込んで美少女に転移した挙句、恐ろしい目にも遭って、しかも家賃も払えない無職のくせに男の子にのぼせているなんて……と考えると、我ながら呑気で呆れてしまった。


「まずは職探ししないと。よし、明日から就活だ!」


 毅然と宣言しながらも、リコの口元はやはりニヤけていた。


 月明かりに優しく輝く金色の笛は、リコにとって特別で大切なお守りとなった。

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