8 目覚める乙女達
リコは激しく息を吐きながら、転がるように森を駆け抜ける。
しばらく自分の息と藪を漕ぐ音しか聞こえなかったが、やがて後ろから、猛然と何かが迫る足音が聞こえてきた。
銀狐がユーリと共に、リコを追いかけていた。
「リング!」
ユーリの声と共に、リコの真横を氷の輪が翳める。
「きゃあ!」
「エリーナ! 怪我をする前に止まるんだ!」
ユーリの言葉を無視して、リコは走り続けた。
穏やかで優しい顔に見えるユーリだが、リコにはもう、信用のおけない人物となっていた。差別的で強引で、乱暴な面を見てしまっては、恐怖の対象にしかならなかった。
ザッと藪を飛び出すと、そこは町の手前にある、開けた野原だった。そのまま町へ向かって走ろうとしたその時。
「リング!」
リコは氷の輪に捕まって、勢いよく転んでいた。
ザシャア! と音がして、おでこからモロに地面に突っ込んでいた。
ユーリはその姿に、溜息を吐いた。
「はぁ。みっともないな……記憶と一緒に知性まで無くしたのか? エリーナ」
苛立ちを隠さずに、近づいて来た。
リコはまた両腕が拘束されて、自力で立ち上がることができない。
ユーリが銀狐から降りて、リコを抱き上げようと肩に手を掛けたので、リコは振り返りざまにユーリの手を噛んだ。
「痛っ!」
ユーリは信じられない、という顔でリコを見下ろしている。
「ち、知性が無くて悪かったわね! 私はエリーナじゃないんだから、当たり前でしょ!? あ、あなたなんか、紳士じゃないし、私の好きなレオ君は、もっと紳士で、強いんだから!」
涙目で一気にまくしたてるリコに、ユーリはピリッと空気を冷たくさせた。
「レオって……誰? エリーナ。もしかして、男がいるのか?」
「そうだよ。好きな人がいるの! だからあなたなんか……」
言葉の途中で、ユーリはリコの襟首を掴んでいた。
「記憶喪失とか言って、男を作ってるじゃないか!」
その剣幕に、リコは恐怖で目を硬く瞑った。
と同時に、町の方向から、覚えのある声が聞こえた。
「はい、そこまで」
リコとユーリが同時に振り返ると、離れた距離に、白い毛長の犬……オスカールが佇んでいた。見た事がないくらい、ハッ、ハッ、と息を吐いている。
そしてオスカールの上には、派手なスーツを着たアレキサンダーが、金色の銃を構えていた。
リコとユーリはどちらもギクッと肩を揺らして、固まった。
情報が多すぎて、飲み込めない。
「そこの坊や。立ち上がって、後ろに下がるんだ」
銃口がピタリとユーリに定まっていて、ユーリは息を飲む。
「き、汚いぞ。銃なんか……」
「君、能力者でしょ? 素手でやり合う馬鹿はいないよ」
アレキはカチャリと銃を持ち直し、照準に集中する。
「銃と君の力。どちらが早く撃てるか、試すかい?」
ユーリはそっと両手を上げて、歯軋りをして後ろに下がった。
「そうそう。賢明だよ」
アレキは距離を保ちながら、近づいてくる。
リコの頭上で「ウー」と小さな唸り声が聞こえた。それは銀狐ではなく、顔が見えないほど毛が長い、オスカールの声だと気づいた。白い毛で隠れているが、鋭い歯を剥き出しているのを、リコは間近で見てしまった。
銀狐は竦むようにオスカールを凝視して、ユーリと同じように2歩、3歩と下がった。アレキはユーリを狙ったまま、銀狐に声をかける。
「よ~しよし、君にはわかるよね? オスカールは軍用犬だ。とっても怖い犬だよ~」
宥める声が余計に不気味で、銀狐はユーリよりも早く後退した。
ユーリは悔しさから、口を開く。
「お前は……誰なんだ。レオなのか?」
「俺はレオ君じゃないよ。三人娘の保護者だ。君さ、ミーシャを泣かしたでしょ? 俺の可愛い娘たちをいじめたら、許さないよ?」
アレキの目は冷静を通り越して冷酷に見えて、ユーリは顔が強張る。足早に後退すると、銀狐に飛び乗って、森の方向へ逃げて行った。
銃を下ろして、アレキはオスカールから降りると、リコの元へやって来た。
「アレキさん……」
「リコちゃん。あ~、おでこズルむけちゃったな」
ヒリヒリするおでこを、心配そうに覗き込んでいる。
リコを拘束していた氷の輪は、ユーリが去ったので溶け出していた。
「どうしてここがわかったんですか?」
「ミーシャとマニが、泣きながら城に飛び込んで来たんだ。リコちゃんが拐われた、ってさ」
リコは二人が無事で、さらに助けを求めてくれたのだと知って、涙がこみ上げていた。
「そんでオスカールが、リコちゃんの匂いを辿ったんだ。だけど、自力で逃げ出したんだな。偉いぞ。がんばったね」
「あ、ありがとうございます。わ、私……」
ドッと力が抜けて号泣するリコをアレキは抱き上げて、オスカールの上に乗せた。アレキもリコの後ろに乗ると、オスカールは鼻息荒く、町に向かってダッシュした。
「ちょ、待って待って、もう走らなくていいから!」
アレキが手綱を引くと、オスカールはようやく、いつもののんびり歩きに戻った。
「オスカールが……走った」
リコは決して走らないと思っていたオスカールが走り、しかも唸り、牙を剥いていたのに驚いていた。
「うん。オスカールはね、オリヴィエ村長が仕込んだ、優秀な軍用犬だよ。俺がゆっくり歩かせるから、いつもはのんびりしてるけどね」
リコはオスカールが全力で走ってくれたから、アレキに助けてもらえたのだとわかって、オスカールの首にそっと抱きついた。
「オスカール。ありがとう。大好きだよ」
「ワフッ」
オスカールは返事をするように答えてくれた。
リコはこの世界にやって来て、初めて巨大動物と会話ができた気がした。
「リコォ~!」
アレキの金ピカ城に帰ると、マニとミーシャが泣きながら飛び出して来た。リコもオスカールから飛び降りて、二人のもとに泣きながら駆け寄って、三人は固く抱き合った。
中庭での感動の再会を眺めるアレキは「やれやれ」と一息ついて、オスカールを撫でながら水を与えた。
しばらくすると視界に影が落ちので見上げると、アレキは三人娘に囲まれていた。リコもマニもミーシャも、泣きはらした目で毅然とアレキを見下ろしていた。
「ど、どうしたんだ? 三人とも怖い顔して」
ミーシャが一歩、前に出る。
「アレキ様。私たちに、訓練を付けてください」
「へ?」
リコも、一歩前に出る。
「レオ君を鍛えたように、私たちの師匠になってください」
「はぁ?」
マニは二歩、前に出た。
「ああいう野郎をギッタギタに叩きのめす方法を、教えてよ!!」
「ええー!?」
三人のギラギラとした恨み節の殺意に、アレキは仰反る。リコの身に立て続けに起きた誘拐未遂に、女子たちの堪忍袋の緒は、ぶち切れていた。
アレキはしどろもどろになる。
「いや、女の子が戦うなんてさ……」
ミーシャは毅然と、アレキを睨む。
「私はもう、自分の能力に怯えて力を出し惜しむのはやめました。アレキ様。私を立派な風使いにしてください」
「ミーシャ……」
見たことの無いミーシャの勇敢な瞳を、アレキはうるうると見つめて、抱きしめた。
「ミーシャァー! 立派な目つきになって!」
しばらく抱きしめた後、アレキはリコとマニを見上げた。
「お嬢さんたち。覚悟があるなら、俺が戦う手段を教えよう」
マニとリコはパアッと顔を輝かせて、礼をした。
「お願いします! 師匠!」
中庭で、アレキ師匠による講義が始まった。
三人娘はプリンを作る時と同じように、真剣な眼差しだ。
「リコちゃんは同じ能力者に出会って、技の種類を見ただろ?」
「フリーズと、リングです!」
挙手して答えるリコに、アレキは頷く。
「丸パクするんだ。まずはフリーズとリングを、ひたすら練習してご覧」
「はい!」
「そんでミーシャは、風の強度を上げる練習だ。心理的な枷が無くなれば、君はもっと激しい風が起こせるはずだ」
「はい!」
「で、マニちゃんなんだけど」
アレキは一番憤って興奮しているマニを見下ろした。
「能力者じゃないけど、一番戦闘力が高そうだよな。戦うってのは、気概が大事だから」
「あたしはとにかく、ボッコボコにしたいんだ!」
アレキは微笑ましく「うんうん」と頷いて、オスカールの頭に手を置いた。
「マニちゃんは体力があって、体幹も強い。農園で動物の指揮にも慣れてるから、騎乗の練習をしよう」
「はい!」
三人はそれぞれに、自分が為すべき訓練に打ち込み始めた。リコは氷飛沫を上げまくり、ミーシャの竜巻は高速で回転し、マニがオスカールで駆け周っている。
アレキは椅子に座って、乙女たちの殺気が篭る中庭を眺めた。
「こりゃあ~大変なことになったぞ」
教えておきながら、その勢いに戦々恐々としていた。




