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16 小部屋の地獄

 岩壁に囲まれた真っ暗な空間で、レオは荒く息を吐いている。

 腰まで浸かった水の中、片腕でシエナを抱え、片腕で水中を探っている。マントの端を探り当てて引き上げると、意識の無いバッツの身体が、水中から引き上げられた。


「うっ」


 レオ自身も身体に鋭い痛みが走る。どこを怪我しているのかわからないまま、バッツを中央にある岩の上に持ち上げて、シエナも引きずり上げた。


 シエナの首に手を当てると脈が感じられ、吐血しながらも僅かに息をしているのがわかる。

 だが、バッツは呼吸も心臓も完全に止まっていた。


 レオが手早く掌から灯りを出すと、岩壁の空間が浮かび上がった。

 浸水した小さな岩の窪みに、三人はいた。

 落下した岩石によって出口が塞がれて、閉ざされた小部屋のような空間になっていた。内部には武器や防具が散らばり、中央にせり出た岩の上は三人の血で濡れている。

 騎乗していた鱗竜たちは見当たらず、落石の下敷きとなっている可能性があった。


 岩の上に寝かせたバッツは頭を切って酷く流血し、その顔は死人のように青い。レオはすぐに人工呼吸を施し、心臓マッサージを行った。自分の身体の痛みもわからなくなるくらい、全力で集中していた。


「バッツ! 目を覚ませ! バッツ!!」


 隔絶されたこの小空間の向こうには、また別の地獄が広がっていた。

 洞窟内は地響きが鳴り、逃げる者たちの叫び声と、重い衝撃音、悪魔のような異形の轟が聞こえる。


 頭が混乱しそうな大音響の中で、レオは無力さに打ちのめされながらも、バッツの名を叫び続けることしかできなかった。


 何故、こんなことに?


「あれは、あれは魔獣なんかじゃない!」


 レオは極限の恐怖の中で、走馬灯のように、ここに至るまでの記憶がフラッシュバックしていた。



 * * * *



 約一時間前 ーーー


 ひと通りの訓練を受けた新人能力者達と、古参の能力者達は一同に目的地である巨大な洞窟に向かっていた。

 週が明けて、巨大魔獣を退治する日がやってきたのだ。


「やあ、君がレオだね」


 オニキスに乗って走るレオの隣に、別のチームの班長が声を掛けた。振り向くと、傷がある端整な顔に逞しく研ぎ澄まされた身体の、まさしく軍人らしい男性だ。


「シエナから聞いている。素晴らしい騎乗テクニックと能力を持つ新人がいるって」

「僕は駆り出されただけで……」

「知っている。君は国王軍に入隊すべきだ」


 初対面からまた勧誘が始まって、レオはもう「配達が好きだ」と言う気も無くなっていた。沈黙するレオに、男性はハンサムに笑った。


「失礼。俺はウォルター。今回の魔獣退治全隊の隊長だ」


 隊長直々の挨拶に、レオは慌てた。

 兜とゴーグルを装備していたのでわからなかったが、よく見れば、出発の際に代表で挨拶していた人物だった。


「あ、ウォルター隊長……今回はよろしくお願いします」


 自分の顔を覚えていないレオに、ウォルターは苦笑いした。


「入隊にはまったく興味が無いようだね」

「す、すみません」

「まあ、君のリーダーであるシエナの顔だけ覚えてくれればいいよ」


 シエナは反対側で笑っている。


 全体で30人前後がチームを組んで、森の中を駆け抜ける。

 途中、魔獣が空や茂みから襲撃をかけるが、その殆どが陣形の先頭に配備されたベテラン達によって討たれていた。

 新人はただ、列を着いていくだけだった。


 レオは、自分たち新人はただ討伐の見物に来ているような気持ちになっていた。このまま洞窟にいる巨大魔獣も、ベテラン達で退治が済んでしまうような気がしてしまう。レオだけでなく、最初は緊張していた新人達の間にも楽観的な雰囲気ができ始めていた。


「巨大魔獣の姿をハッキリ見た者はいないが……」


 ウォルターはレオの隣で会話を続ける。


「奴は奇妙な鳴き声で、周囲から魔獣を集めるらしい。近隣に住む村人達がその声を聞いている」

「だからこんなに魔獣が増えたんですね」

「呼び集めて群れるとは、まるで人間のようだろう? 洞窟内部は魔獣がどれだけいるかわからない。油断するなよ」


 ウォルターは男前なウィンクをして、列の前に行ってしまった。


 全隊は事前に練られた陣形と作戦のもと、エリート班が中心となって退治を行い、新人のチームは後方支援と決まっていた。

 レオが後ろを振り返ると、バッツが緊張の面持ちで着いてきている。騎乗もだいぶ様になっていた。


 森を抜けると全隊はいよいよ隊列を直線上に移動し、洞窟に突入していった。

 魔獣によって造形された洞窟は異常に大きな高さと奥行きを持ち、内部は迷路のように複雑だった。暗闇の中、各自が灯りを手に、巨大魔獣が潜むであろう奥へと進入した。


 ここから、対局が大きく変わる事になった。

 洞窟内の地面には無数の罠が張り巡らされ、大半が早々に落馬して陣形が崩れた。作戦はまるで呪いのように次々と失敗が続き、隊はパニックとなった。

 さらには巨大魔獣の鳴き声が洞窟内で共鳴して岩盤が落ち、内部は落石が連発、隊は壊滅状態に陥った。


 シエナのチームは真っ暗な闇の中で落石に合い、さらには大きな鞭のような物体……おそらく魔獣の巨大な尾によって横殴りに振り払われて、この狭い小部屋状態の窪みに飛ばされ、閉じ込められていた。



 レオはバッツの心臓マッサージを繰り返しながら、落石の壁の向こうの音に耳を澄ませた。

 人の悲鳴はかなり減って、大きな生物が暴れる衝撃音と落石の音が響いている。この狭い空間もいつ、岩盤の下敷きになるかわからない。だがそんな恐怖よりも、今、目前で仲間に死が迫っている状況の方が恐ろしい現実だった。


「がふっ!」


 レオは我に返る。バッツが息を吹き返し、水を吐き出していた。

 気道を確保して声をかけ続けると、バッツは目を開けないが、僅かに頷いた。

 安堵でどっと血の気が戻り、レオはすぐに応急手当の道具を出し、バッツの頭を止血し、包帯を巻いた。

 横たわるシエナは肋骨を何本かと手足を折っているようで、固定する。


「シエナさん、シエナ班長!」


 レオの呼びかけに、シエナは流血していない方の目を開けた。


「レオ……相手は本当に魔獣か?」


 シエナと同じことを、レオも考えていた。


「おかしいです……魔獣があんな緻密な罠を仕掛けるなんて。それにあの巨大魔獣は人間の言葉を理解して、こちらの作戦を読んでいたように思えます」

「ああ。まるで突入時刻も、陣形も把握しているような戦略だった」

「こ、こんなことがあるんですか? 魔獣が、そんな高度な知恵を……?」

「落ち着け、レオ。今動けるのは君だけだ」


 レオはどうしたらこの状況が好転するのか、まったく浮かばない。

 出口となる唯一の穴は、巨大な石で埋まっているのだ。


 自身の掌の中にある、様々な道具が脳裏を巡った。


 爆薬……

 ダメだ。落石を誘発するし、こんな狭いところじゃ人間も巻き込まれる。


 だったらツルハシ、ハンマー……

 馬鹿馬鹿しい。こんな巨大な岩石の壁をどうやって砕く?


 レオは身体中から、また血の気が引く思いだった。このままここにいたら、バッツもシエナも失血死するかもしれない。

 鼓動が高まっていた。


「異次元に……二人を確保する?」


 あの可哀想な子犬を思い出していた。

 異次元の扉から出した時の、グッタリとして魂の抜けたような状態を。ご飯も食べず、鳴くこともなく……。


「それから、どうなったんだっけ……」


 記憶が混乱している。


「死にはしなかったんだ。そう、仮死なんだ」


 震える手を、シエナに向ける。


 レオの異次元の扉は、無制限に大きく開けるわけではない。背丈は自分と同程度。横幅はそれを基準に正円の幅まで。小型の船が自分の限界値であり、人体なら収納は可能なはずだ。


 レオは涙を流していた。

 後悔と恐怖のあまり、自分で消していた、8歳の時の記憶が蘇る。


「ぼ、僕はあの子犬を……怖くなって、森に置いたまま逃げたんだ」


 その後子犬がどうなったのか、レオは知らないままだった。


「なんて事を……僕のせいで……」


 岩に膝を着いて震えるレオの手からは、異次元の扉は現れない。

 恐怖で開けることができなかった。


 その時、大きな地響きが起きた。


 いよいよ天井が落ちてくるのかと見上げると、天井ではなく、出口を塞ぐ巨岩が動いているのがわかった。

 幻を見ているように呆然と眺めていると、巨岩は確実に、右に向かって動いている。ゴゴゴ、ゴゴゴ、と恐ろしく重たい音をたてて、横にスライドする巨岩の向こう側に、うっすらと灯りが見えた。

 そこには人影が見える。人間が、巨岩を素手で押して動かしていた。


「ダ……ダリアさん……」


 あのオレンジの巻髪のダリアが、全力で岩を押している。


「くっそ重いわ!」


 文句を言いながら大きく押し切ると、「うおりゃぁ!」とドスの効いた声で、完全に巨岩をどけていた。


「は~、しんど」


 内部の悲惨な状況を見回すと、こちらにやって来た。


「あ~あ、全滅じゃない。うちのチームも私以外、全滅だけどさ」


 シエナは片目を開けて、ダリアを見た。


「淫獣は魔獣よりも頑丈だからな……」

「はあ? こんな時までムカつく女ね」


 岩の間から、シエナの鱗竜が駆け寄って来た。

 ダリアは手早く、シエナとバッツを鱗竜の背中に載せた。


 レオは信じられない光景に、呆然とへたり込んだままだった。


「ダリアさん……どうしてここが?」

「その落石の下……下敷きになったガーネットの尾が見えたのよ。可哀想に」


 レオは唇を噛み締める。


「ロープ!」


 ダリアの怒鳴り声に、レオは慌ててロープを出して、シエナとバッツを固定した。


「殆どの隊は負傷者を抱えて撤退したわ。今、洞窟の奥で軍のエリート班だけが巨大魔獣と戦っている」


 状況を説明しながら、ダリアはテキパキと二人を運び出す準備をしている。


「全員が脱出するまでの、ただの足止めよ。あの魔獣はおかしい」


 ダリアも同じ違和感を持っているようだった。

 指を咥えて鳴らすとダリアの鱗竜が入って来て、ダリアは飛び乗った。


「脱出するわよ! 新人!」

「は、はい!」


 レオは岩盤から飛び降りて、2人を載せた鱗竜を補助しながら、岩の小部屋から出た。


 小部屋の外も同じように、地獄だった。

 武器が散乱し、彼方此方に鱗竜の遺体がある。

 レオはガーネットとともに落石の下敷きになったであろう、オニキスを探すが、見つからなかった。


 ダリアと一緒に出口に向かう最中、後ろから大きな鳴き声が聞こえた。


「キエーッ!」


 振り返ると、洞窟内の高い崖の上にオニキスが立ち、こちらを見下ろしていた。


「オニキス! 無事だったのか!」


 オニキスは黙ってレオを見ろしたまま、動かない。

 レオはオニキスの目に、侮蔑の色を感じていた。お前は逃げるのかと言われているようで、レオは動けなくなった。


「レオ? 行くわよ、何してるの!」


 先を進むダリアが振り返るが、レオはオニキスに向かって走った。


「先に行ってください! オニキスを回収します!」


 ダリアはそのまま走って出口に向かい、レオがオニキスの足元まで来ると、オニキスは飛び降りてきた。バシャーン! と水しぶきを全身に浴びて、レオは思わず笑った。


「ハ、ハハ……その気高さ……お前こそが勇者だよ」


 オニキスに飛び乗ると、レオは轟音が響く洞窟の奥に向かって走り出した。オニキスの静かなる激しい士気がレオの身体を通して、怯える心を突き動かしていた。

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