5 ぺろぺろペロ
爽やかな森の朝。
窓から燦々と差す太陽光で莉子は目覚めた。
窓を開けようと近づくと、巨大なてんとう虫が羽音を立てて横切って、莉子は起き抜けに喚いた。
「おわぁ!?」
目が覚めても、ここは異世界のままだった。
莉子は壁にかかった鏡を覗いて、改めて自分の顔をしげしげと眺めた。
前髪が寝癖で跳ねているが、淡く輝く金色の髪は、腰まで優雅にうねっている。真っ白なお肌が艶々で、特徴的なアイスブルーの瞳は、まるで宝石みたいに煌めいていた。
「はあぁ。美少女って、寝起きでも美少女なんだ」
一人で感心しながら干しておいた白いワンピースに袖を通すと、誂えたように似合っている。莉子は鏡の向こうの姿に見惚れて、クルクルと回ってみた。
「おはようございます」
身支度を整えた莉子が部屋を出ると、お爺さんとお婆さんが穏やかに迎えてくれた。
可愛いお家の食卓には、可愛い朝ごはんが並んでいる。
細かく刻んだ野菜のスープと、パンとチーズ。湯気を立てる紅茶。
童話的な風景と相まって、とびきり美味しい朝ごはんだ。
お爺さんはパンを齧りながら、莉子に提案した。
「今日、村長のところへ行って相談したらどうかな。もしかしたら、誰かがお嬢ちゃんのことを探しているかもしれないし」
お婆さんもお茶を淹れながら頷いた。
「そうね。きっと身内の方が探してらっしゃるわ。村長さんならご存知かもね」
莉子は前向きな案に今一つ乗れないまま、考えていた。
自分のお母さんや親友の結花が、この世界にいるわけがない。
でも、この体の本当の持ち主は、誰かと一緒にいたのかもしれない。
綺麗なレース模様のワンピースに目を落とした。
この美少女の中身はいったい、どこに行ってしまったんだろう?
この子の家族と会えたとして、どう説明すればいいの?
漠然と湧く不安を打ち消すように、莉子は無理やりに笑顔を作った。
「はい、お願いします!」
「もうすぐ孫娘が来るから、村長の屋敷に案内してもらうといい」
お爺さんの言葉の最中に、丁度ドアのベルが鳴っていた。
続けてバーンと扉を開けて、元気な少女が現れた。
抱き枕のように、大きな人参を抱えている。
「爺ちゃん婆ちゃん、おっはよー! 採れたての人参持って来たよ~!」
12歳くらいだろうか。日に焼けた健康的な肌に、エメラルドグリーンの瞳が輝く可愛い女の子だ。
少女は莉子の存在に気づくと、目をパチクリとした。
「わ、誰!?」
「こ、こんにちは!」
莉子は慌てて椅子から立ち上がり、お婆さんが紹介してくれた。
「こちらのお嬢さんは昨日池に落ちてしまって、ご家族を探してらっしゃるのよ。村長さんの所に連れて行ってあげて頂戴」
「へえ~、災難だったね。私はマニ。案内するよ!」
気さくで明るいマニという少女に、莉子はつられて笑顔になった。
「マニちゃん、ありがとう。私は莉子といいます。よろしくね」
しかしマニの後について家の外に出た途端に、莉子は絶叫していた。
「ひええ!?」
玄関の外には大きな大きな……
「い、犬!?」
軽トラほどありそうな巨大な犬が、家の前でお座りしていた。
「村長の家は少し離れてるから、ペロに乗って行こう」
マニは当たり前のように背を屈めた巨犬に飛び乗ると、手綱を手にして莉子を促した。
「どうしたのさ?」
「うっ……の、乗るの? 犬に?」
昨日、黒猫の激しいジェットコースターに乗って絶叫した自分を思い出した。あまりにスリリングな乗り心地だったので、躊躇してしまう。だがここは地面の上だし、垂れ耳のペロは大人しそうな犬だし、大丈夫だろうと信じて、莉子はギクシャクとペロに近づいた。
すると大人しかったペロは急に振り返ると莉子を嗅いで、ベロリ!と大きな舌で顔を舐めた。
「ひえー!!」
「こら、ペロ!」
ペロはマニの言うことを聞かずに莉子をぺろぺろと舐めまくり、莉子はあっという間に涎まみれになっていた。
「お客さんを舐めたりして、ダメだろ!」
ペロがマニに叱られている間に、莉子はお爺さんに補助されて、逃げるように犬の背に乗った。思いのほか硬い毛で、背中は温かい。
お爺さんは申し訳なさそうに莉子を見上げた。
「すまんの。いつもはちゃんと言う事を聞くのじゃが、お嬢ちゃんが珍しいみたいじゃ」
お爺さんとお婆さんは手を振って送り、ペロはマニと莉子を乗せて、森の奥に向かって歩き出した。
* * * *
「ふぇ……わあぁ……」
莉子は目まぐるしく、景色を見回した。
巨大植物だらけの森は朝露で輝き、大きな花々に巨大蝶々が舞う、美しい世界だった。
いちいち景色に驚く莉子を、マニは笑っている。
「ねえ、どこか遠くから来たの? そんなに綺麗な髪と目の色、初めて見たからビックリだよ! すごい美少女だね!」
「うん。私にはもったいない美少女ぶりだよね」
マニはキョトンとして、髪がぐしゃぐしゃになった真顔の莉子を振り返った。莉子は犬から転がり落ちないように、必死な形相でマニにしがみついている。
「あはは、見かけによらず、リコって面白いね!」
「う、うん。私……」
異世界から来ちゃったの、とはトンデモな発言な気がして、莉子は咄嗟に取り繕った。
「池に落ちて、その……記憶喪失なの」
「ええ!?」
マニは驚いて、ペロを止めた。
「き、記憶喪失って……自分が誰か、わからないの!?」
「今のところ、名前と……15歳って年齢しかわからなくて」
「そりゃあ大変だ。早くご家族を探さなきゃだね」
マニが真剣な顔になってペロを走らせたので、莉子は嘘を吐いた罪悪感を感じながら、マニにしがみついた。
森を抜けると広大な畑が現れて、そこには遠目からもわかるほど大きなトマト、トウモロコシなどが見える。さらにその野菜を収穫しているのは……
「ど、動物が農作業してる!」
イタチやアライグマのような巨大な動物たちが、器用に野菜をもいだり、運んだりしていた。
唖然として眺める莉子に、マニは誇らしげな顔だ。
「ここらへんの動物たちはよく働くんだよ! なんたって、村長が調教した動物達だからね」
マニは黙々と小走りしているペロの首を撫でた。
「ペロも村長に仕込んでもらったから、いい子だよ」
莉子はサーカスの団長のように、ムチを持ったお爺さんを想像した。
「凄い村長さんだね」
「昔はなーんも無い村だったけど、村長がこの村に来てくれてから、農業も建築業も立ち直ったんだ!」
マニの言葉の通り、遠くで巨大なリスたちが大きな丸太を担いで、家を立てている様子も見える。なんて器用な動物たちだろう。
莉子はつい、動物たちの中にあの黒猫に乗ったレオを探してしまった。配達屋なら近辺にいるのかもしれないと、内心で期待してしまう。
そうこうしているうちに広い畑を抜けて、前方に石造りの立派なお屋敷が見えてきた。
お屋敷の大きな門の両脇には、焦げ茶色の強そうな番犬が二頭。こちらを睨んでいて、莉子は恐怖で竦んだ。巨大犬ペロよりもさらに大きく、筋肉がムッキムキなのだ。