12 熱々シャーベット
「……どうした? ドス黒いが」
「何がです?」
シエナとレオは軍施設の中庭で騎乗の訓練を続けていた。
「オーラがドス黒い」
「ほっといてください」
昨日、レオの首を噛んだのはシエナではなくダリアだったが、レオは女軍人への不信感でいっぱいになっていた。
あの歯形のせいで浮気を疑われ、リコの力が暴走し、部屋が冷凍庫になり……。
レオが丁寧に築いたリコからの信頼を、外から崩されたのは耐えがたい苦痛だった。
「もう一人、チームに能力者が加わる」
「はぁ。淫獣でなければ何でもいいです」
レオの嫌味に、普段表情が乏しいシエナはニヤリと笑う。
自分の嫌いな女が部下に嫌われるのは、愉しいようだ。
「こっちへ来い、バッツ」
シエナに呼ばれて建物の中から現れたのは、見覚えのある赤髪の少年だった。初めて入った訓練施設をキョロキョロと、落ち着きなく見回している。
「あーっ!」
レオが珍しく、大声を上げた。
シエナが振り返ると、レオの目は獣のように釣り上がっている。
「お前、セクハラ野郎!!」
レオの叫びに、バッツはギョッとして仰反った。
「うわっ、陰険で怖い奴!!」
思わずアレキに聞かされた悪口をそのまま口走って、中庭の空気は一気に緊張が高まった。
今にも飛びかかりそうな勢いのレオと、怯えてドン引きしているバッツ。
両者を見比べて、シエナは唖然としている。
「知り合い……なのか?」
「知り合いなんかじゃない! お前……ここへ何しに来た!」
レオはバッツに歩み寄ると襟を掴みかかって、バッツは咄嗟に掌をレオに向けた。レオはその掌に、自分の掌を合わせて向けた。
「能力を使う気か? 面白い。やってみろよ」
バッツの能力を知らないはずのレオの挑発に、バッツは手が震えた。バッツもまた、レオの能力がわからないからだ。
掌の向こうのレオの眼光は鋭く、唯者では無い予感がしていた。
「はいはいはい」
シエナが声を上げた瞬間、レオとバッツの間に水柱が上がった。
「ぶわっ!」
二人は強烈な水しぶきを浴びて、互いから離れた。
地面の芝を割って、シエナの操作する地下水が湧き出ていた。
びしょ濡れで咳き込む二人を、シエナは呆れて見下ろしている。
「まったく。野良猫の喧嘩じゃあるまいし。仲間内の喧嘩はご法度だ」
「ゲホッ、ご、ごいつが、何で……」
レオの抗議の途中で、バッツは慌てて土下座していた。
「すまん! 俺はお父さんに怒られて、心を入れ替えたんだ!!」
シーンとする中庭で、さらに顔を上げてバッツは続ける。
「もう今後は、リコさんの後をつけたりしないと決めた!」
「はあぁ? お前、ストーカーなのか!? しかもお父さんて誰だよ!?」
火に油を注いでいた。
バッツは焦って続ける。
「お父さんは……あの派手なお城の主様です。娘さんに付き纏ったらお仕置きをすると言われました」
レオはやっと、合点がいく。
付き纏うバッツを見かねて、アレキが忠告したのだろう。
シエナは諍いの原因が女の取り合いだとわかって、呆れて溜息を吐いた。
「バッツは炎の能力者で攻撃力が高いけど、消火はできない。だから水の能力者の私のもとに任されたんだ。チームメイト同士、仲良くしてくれなきゃ困るな」
レオはあの森の火事がバッツの仕業であったのも同時にわかり、怒りが収まらない様子だったが、シエナの手前、バッツを睨んだまま口を噤んだ。
殺気立った眼力を浴びながら、バッツは背中が震えていた。怖いと評判の彼氏は脅しでなく、本当に怖かったのだと思い知らされていた。
* * * *
金ピカ城では、リコの部屋の修復が進められていた。
心配そうに部屋の様子を何度も見に行くリコを、ミーシャは呼び止めた。
「リコ、ちょっと来て」
ミーシャのもとに行くと、キッチンに何やら、見たことのない箱が置いてある。
「キッチンに、金庫?」
鉄製の大きく頑丈そうな金庫だ。
「そんで、これ」
ミーシャは四角い容器にたっぷり水が入った物をリコに見せた。
「これは……」
「冷蔵庫だよ。この容器の水を氷にして金庫に入れるんだって。アレキ様が昔、大富豪の家で見たらしいの」
「ええ!?」
「貴重な氷を高額な値段で買って、一部の貴族は冷蔵庫にしてたんだって。氷は高山とかから、命がけで持って来たんだとか」
「凄いね……贅沢品なんだ」
リコは今すぐにでも冷蔵庫の効果を試したい気持ちが湧くが、容器の中の水を見て、躊躇する。
「リコ、怖いの?」
「うん……あんな暴走を起こしちゃってから、怖くて力を使ってないの」
「大丈夫だよ。もしもリコがキッチンごと冷凍庫にしちゃっても、アレキ様は怒らないよ」
「でも……」
ミーシャはシュンシュン、と音を立てる釜戸を振り返った。
「お湯が沸いた。氷が暴走したら、熱湯を掛けるから大丈夫だよ」
ミーシャはヤカンを構えている。
リコは心強い応援に微笑んで、容器の水に手を翳してみた。
すぐに結晶は現れて、一枚、二枚、と水の上に落ちると、あっという間に容器の中は氷になっていった。
「早いね、リコ!」
「う、うん。なんだか結晶の強度が高まったような……」
リコは不安そうな顔で自分の右手を見ている。
ミーシャが容器をひっくり返して氷を取り出すと、中から透明で綺麗な塊が出て来た。それを金庫の一番下に置いて、扉を閉める。
上の段には果物や飲料が入っている。
「ちゃんと冷えるか、実験だよ」
ミーシャの笑顔に、リコも気持ちが軽くなる。
暴走しなかった氷の能力にも安堵していた。
「ミーシャちゃん。シャーベットの冷凍実験もしていい?」
「勿論! やろうよ!」
ミーシャはリコが乗り気になっている様子に喜んだ。
リコは冷蔵庫の実験に没頭しているうちに、本来の元気を取り戻していった。
* * * *
夕暮れの訓練所で。レオとバッツは離れた場所に座っている。
どちらも騎乗の訓練を終えて疲れているが、特にバッツは怪我だらけになって倒れていた。
「何なんですか、あのトカゲは……何で俺を振り落とすんですか」
「舐められてるんだよ」
レオの冷たい返事に、バッツは涙目で起き上がる。
「俺、旅費を借金したんです。退治に成功しないと大赤字なのに、乗りこなせる気がしないっす」
レオは泣き言をシカトしたまま立ち上がって、帰ろうとする。
「レオ先輩!」
「僕が何でお前の先輩なんだ?」
「だって……軍人歴長いんでしょ?」
「僕は軍人じゃない。配達員だ」
「え?」
「能力者だから駆り出されただけだ」
「じゃ、じゃあ、いったい何の能力なんです?」
レオはダリアに騙されて、能力のすべてを明かしたトラウマが蘇った。バッツを見下ろすと、こちらを見つめる瞳が好奇心で輝いていて、苛立ちが余計に強くなっていた。
「人体を切断する力だよ」
レオの真顔の答えに、バッツは全身が恐怖で強張った。
レオは恐ろしい言葉を残したまま、去ってしまった。
後ろから班長のシエナがやって来た。
「おい新人、今日は解散だ。帰っていいぞ」
「シ、シエナ班長。今のは本当ですか? レオ先輩の能力は人体を切断するって……」
「ああ。だいぶ端折っているが、結果そうなることもあるらしいな。お前がちゃんと訓練に付いてくれば、そのうち能力の全貌を明かしてくれるだろう」
バッツは嘘ではなかった事実に体が震えていた。
シエナは去りながら、バッツを振り返る。
「レオに火を当てるなよ? バラバラにされてしまうぞ」
面白く無い冗談を愉しそうに披露して、行ってしまった。
「ひ、ひいぃ……」
バッツは金と名誉に釣られて、恐ろしい職場に来てしまったのだと後悔していた。
* * * *
レオは金ピカ城の扉の前で、深呼吸をしている。
昨日に続いて今日一日、不愉快な事ばかりで、自分でも苛立ちが顔に出ているのがわかっていた。
「こんな顔でリコさんに会えない。笑顔、笑顔……」
無理に笑う準備をすると、そっと扉を開ける。
リビングの向こう側で、リコとミーシャがはしゃいでる明るい声が聞こえて、レオは心からホッとした。リコに元気が戻っている。それだけで救われた気分だった。
リビングのドアを開けると、目の前にリコが立っていた。
「おかえり! レオ君!」
「ただいま、リコさん」
リコは手にシャーベットが入ったボウルを持っている。どうやらスイーツ作りに成功して、機嫌が良いようだった。
「レオ君、来て来て!」
リコは待ちきれないようにレオの手を引っ張ると、キッチンに連れて行き、金庫の冷蔵庫を見せた。
「ジャーン! 冷蔵庫! アレキさんが金庫をキッチンに設置してくれたんだよ。大成功なの!」
シャーベットをスプーンですくうと、レオの口元に差し出した。
「はい、あーん」
「あーん」
なすがままになってシャーベットを口に含むと、桃と、葡萄と、苺と……果物の味が冷たくミックスされていた。舌の上で溶けてジュースになる過程が、甘くて爽やかで透き通っている。
「美味しい……気持ちが澄んでいくみたいです」
レオは正直な感想を述べた。
リコは心配そうな顔で見上げている。
「レオ君。軍の人に、いじめられてるの?」
「いいえ……いじめっこは僕です」
「レオ君がいじめっこなわけないよ!」
「僕はリコさんの事になると、冷静さを失ってしまう。新人で入って来たバッツ君に嫉妬心から意地悪をしてしまいました」
リコは驚いて大声を出した。
「バッツ君が訓練に来たの!?」
「チームメイトになりました」
「う、嘘……」
リコは屋台での一触即発を思い出して、青ざめている。
レオは一呼吸置くと、少し照れて瞳を逸らした。
「明日はもう少し優しくできるように……おまじないをしてもいいですか?」
リコはキョトンとした後、楽しそうに笑う。
「おまじない? いいよ! どんな……」
言葉の途中でレオはリコの右頬にキスをして、瞳を見つめた後、左頬にもキスをして、そのまま優しく抱きしめた。
レオの胸の中に収まるリコは、予想外のおまじないに頭が沸騰していた。
「これで大丈夫。完璧です」
「う、うん!」
二人の間に挟まれたボウルの中のシャーベットは、恋の熱で透き通って甘く溶けていった。




