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4 見知らぬ美少女

 巨大な蝶が頭上を通り過ぎて、莉子は思わず小さな悲鳴を上げた。

 三角帽子のお爺さんに案内されて、莉子は明るい森の小道を歩き続けた。


 やがて大きな赤いきのこが見えてきて、その麓には、丸太でできた小さな家が佇んでいた。


「わあ~、可愛いお家!」


 いつかの絵本で見たような景色に、莉子は思わず声を上げた。



「まあ、まあ」


 可愛いお家の中から、フリルの頭巾を被った可愛いお婆さんが現れた。すぐに莉子の手を引いて、室内に案内してくれた。


 お家の中は木でできた家具が手作りの刺繍やレースで飾られていて、これまた可愛いお部屋だ。莉子は幼い頃に遊んだドールハウスを思い出して、懐かしい気持ちになっていた。


「大変、すぐに着替えないと。池に落ちたんですって? 怪我はない?」


 お婆さんの優しい労りに、莉子は涙ぐんだ。


「私……プリンを追いかけて、川に落ちちゃったんです。そしたら、魚も虫もでっかくなってて……」

「???」


 会話の意味がわからず狼狽するお婆さんに、お爺さんは耳打ちをした。


「かわいそうに、池に落ちたショックで、意識が混乱しているようじゃ」

「まあ……異国の人のようだし、旅人かもしれないわね」


 老夫婦はバタバタと湯を沸かし、タオルや着替えを用意してくれた。


「さあさあ、お風呂場はこっちよ。着替えの服は孫のだから、少し小さいかしら」

「あ、ありがとうございます」


 莉子はお風呂場に案内されると、扉を閉めた。

 たらいにお湯がたっぷり入っていて、タイル貼りの棚には石鹸や香油の瓶などが並んでいる。莉子はひとまず髪と身体を洗い流そうと、脱衣所で着ている服を脱いだ。


「ん? あれ?」


 脱いだ服を改めて見ると、それは莉子が着ていた高校の制服ではなかった。見事なレースが施された、清楚な白いワンピースだ。


「えっ、これ何? 私の服じゃない……」


 驚いて洗面台の鏡を覗くと、そこには見たことのない美少女が映っていた。


「ぴっ、ぴえーーっ!?」


 素っ頓狂な悲鳴に驚いたお婆さんが、浴室の扉の外に駆けつけた。


「どうしたの!? 大丈夫!?」

「だだだ、大丈夫です! すみません!」


 莉子は取り繕いながらも鏡を凝視した。

 髪はボサボサで顔も薄ら汚れてはいるが、淡い金色の緩くウェーブがかかった長い髪に、小さな輪郭の顔。ぱっちりとした大きな水色の瞳。そしてさくらんぼのような唇に、薔薇色のほっぺ……まごうことなき、美少女がいる。


「だだっ、誰っ!? 誰これ!?」


 莉子は時が止まったように、しばらく鏡に魅入った。

 黒髪の二つ結びに、つぶらな瞳の自分はそこにはいなかった。素朴な顔だけど自分の顔は嫌いじゃなかったし、何より愛着のある姿がいないという事実に、莉子は愕然としていた。


「転生……転移? 乗っ取り、取り憑き……」


 あらゆるアニメで見た異世界の設定を思い出して、莉子は頭を抱えた。冷えた身体が悪寒で震えているので、莉子は茫然としたまま、お湯で身体を洗った。華奢で背の小さいところだけが、莉子とこの美少女との共通点のようだった。



「まあ。やっぱり服が少し小さかったかしら?」


 お婆さんは浴室から出てきた莉子を笑顔で迎えてくれた。

 少し丈が短めだが、シンプルな部屋着に着替えた莉子は、自分で洗った白いワンピースを手にしていた。

 お婆さんはワンピースをハンガーに掛けると、惚れ惚れと繊細なレースに触れた。


「見事な模様ねえ。それに綺麗なリボンとシルク。これは北の地方の服かしらねえ」


 茫然としたままの莉子の顔を見て、お婆さんは微笑んだ。


「あなたの髪色と瞳の色は、北の地の特徴ですものね。とても綺麗なお嬢さんなので驚いたわ」


 褒め言葉が他人事のように遠く感じて、莉子は頷いた。


「ええ……本当に美少女ですよね……私もびっくりしました」


 噛み合わない会話に苦笑いしながら、お婆さんはテーブルに案内してくれた。

 可愛いランチョンマットの上に、温かい紅茶が置かれていた。


「さあさあ、寒かったでしょう? 身体を温めてね」


 莉子が俯いて椅子に座ると、幻のように甘い香りを感じた。

 顔を上げると、お婆さんが丸い焼き菓子をテーブルに置いている。


「ちょうどケーキが焼けたのよ。元気が無い時は、これに限るわよね」


 ウィンクをして、お皿に切り分けてくれた。

 湯気をたてたケーキは、焼きたてのカステラのような卵色。

 莉子は川底に落ちていったプリンを思い出していた。

 プリンと一緒に自分の存在も世界もどこかへ無くしてしまったようで、いたたまれない気持ちだった。


 お婆さんから受け取ったケーキをフォークでカットして、莉子は口に含んだ。温かい蜂蜜とバターの甘みが莉子の心を満たして、まるで天国に昇るような美味しさだった。

 どんな世界にいても、おやつは魔法のように自分を救ってくれるのだと、莉子は実感していた。



 * * * *



 あっという間に、森に夜がやってきた。

 老夫婦の可愛いお家は、月明かりに仄かに照らされている。


 莉子は小さな部屋のベッドを借りて、未だ茫然と天井を見上げていた。


 温かい食事に眠る場所までお世話になって、老夫婦に心の底から感謝すると同時に、まったく飲み込めない今の状況に不安になっていた。


「ここは日本じゃないし、外国でもない。まるでファンタジーな絵本の中みたい」


 寝返りをうつと、窓の外には大きな黒い森が広がっている。

 青白く光る大きな蛾が、夜空を幻想的に舞っていた。


「やっぱり異世界かぁ」


 自分を説得するように、言葉に出した。


 川に落ちる前の生活を思い浮かべてみる。

 何もない田舎の、退屈な町。

 コンビニでおやつを買うのが楽しみで、結花とお喋りしたり、夜更かししてアニメを見たり、お母さんの作ったご飯を食べる毎日……。

 平凡だけど、平和な世界。


「お母さん、お父さん、結花……みんな心配してるだろうな」


 急に寂しくなって涙がこぼれて、右手で頬をこすった。すると冷たくて固い物が顔に当たった。大きなスベスベとした、水色の輪。両手に嵌めているブレスレットは外し方がわからず、付けたままだった。


「邪魔だなぁ」


 月明かりに翳すと、半透明に光っている。


「でも、綺麗だなぁ……」


 莉子はスベスベの輪を眺めながら、現実逃避するように、蜘蛛の巣から助けてくれたあの少年の顔を思い出していた。


「レオ様……レオさん……レオ君……とか」


 呼び方を考えるうちに胸が疼いて、莉子は目を瞑った。

 衝撃的な出会いの割りにあっけないレオとの別れが、却って印象を深めていた。


「また……会えるかな……」


 期待と寂しさを半分ずつ抱えて、莉子はゆっくりと深い眠りに落ちていった。

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