35 魔女のおやつ
「ミ、ミーシャ。砂糖を取ってくれたまえ」
朝食の時間、アレキは挙動不審だった。
昨夜の衝撃の告白を立ち聞きして、一人で勝手に緊張している。
「アレキ様。立ち聞きしたなんて、言っちゃダメですよ?」
ミーシャは小声で念を押す。
「わ、わかってるって! たまたま通りかかったら抱き合ってたんだから、しょうがないじゃん!」
ミーシャがアレキを突いて、シーッ! と諫めた。
レオがルリビングにやって来て、さらに隣にはリコもいる。
初々しく舞い上がった二人が揃った登場に、アレキは紅茶を咽せた。
「おはようございます。師匠、ミーシャ」
「おおお、おはよう」
レオは爽やかに挨拶をして、リコと顔を見合わせた。
「リコさんが、お二人に見せたい物があるそうなんです」
「な、何かな~?」
アレキとミーシャはドキドキとして、姿勢を正して待った。
リコは頷くと、二人の前に右手を翳した。
パキッ。
氷の結晶はすぐに現れて、うるうると朝日を浴びて輝いている。
「おぉ!?」
「ひゃぁ……」
アレキとミーシャは思ってもみなかった物体を見せられて、前のめりで凝視した。
「氷使い!」
アレキが叫んで、まるでその声が響いたように、結晶は砕けていた。
砕ける様も美しく、ミーシャは瞳を輝かせた。
「きれーい! 宝石みたい!」
リコは「えへへ」と照れて、レオと微笑み合っている。
「いやぁ、俺はてっきり結婚発表かと……」
アレキの呟きにミーシャは肘鉄して、リコのもとに駆け寄った。
「リコ! すっごく綺麗だった! リコと同じ瞳の色だったね!」
「ミーシャちゃん、ありがとう」
ミーシャは自分のことのように喜んでいた。
「なるほどね~、お嬢さんは北の地の出身だろうとは思ってたけど、氷の能力者だったわけね」
アレキはうんうんと納得している。
「俺は慈善活動でいろんな土地に行ったけどさ」
「詐欺活動でしょ?」
レオのツッコミを無視して、アレキは続ける。
「北の地だけは、行けなかったんだ。何しろ過酷な地の上に、越えなきゃならない雪山には、恐ろしい野生のバケモンがウジャウジャいて」
リコはこの体の持ち主の故郷であろう話を、興味深く聞いた。
「国政の混乱状態が長く続いているようで、外になかなか情報が漏れないが……噂では、北の地には氷を操る様々な能力があると聞く」
「じゃあ、北の地の民族は、みんな氷使いなんですか?」
リコの質問に、アレキは首を振った。
「能力の種類によって、特定の土地に多く発現する傾向は確かにある。砂漠の民には水脈を掘る水使いが多いし、山岳地帯には石使いが多い。だけど種類として偏っているというだけで、能力者の発現率は変わらないよ。北の地でもその力は、貴重なはずだ」
「そうなんですね……」
リコはありがたい気持ちで、ギプスが巻かれた右手を見下ろした。
* * * *
レオは制服を着て、黒猫の横に立っている。
「それでは、いってきます」
「レオ君、いってらっしゃい」
リコは照れながら、宮廷に出勤するレオを送り出していた。
レオはそっとリコの右手を取ると、両手で優しく包んだ。
「リコさん。まだ無理をしてはいけませんよ? 治すのが先決ですから」
リコが高いテンションのままに、右手を酷使するのではないかと心配している。
「うん、痛くならないように気を付ける!」
黒猫に乗って、あっという間に遠くなるレオを見送って、リコの心は幸せで満ちていた。昨晩の事が夢ではないのだと、ほっぺを抓りたい気分だった。
その後ろから、今度はアレキが外出着を身につけて出てきた。シルクハットを被って、怪しい出立だ。
「オスカールに乗って商談に出かけるよ。ミーシャ、留守番を頼んだよ」
「はい」
ミーシャから鞄を受け取って、アレキはミーシャのホッペにキスをすると、リコの隣に来た。
「お嬢さん。俺の留守中に城を氷漬けにしないでくれよ?」
「そんなに沢山、作れないですよ」
笑うリコに、アレキはホッペの代わりに投げキッスをして、城を出ていった。
数週間前、あの怪しいテントで占い師をやっていたアレキの金ピカ城に、まさか自分が一緒に住んでいるなんて、信じられない現実だった。
「人生って、何がおこるかわかんないな」
「ねえ、リコ」
ミーシャは改まってリコを見上げる。
「ん? なあに?」
「マニと相談したんだけど、リコの手が治るまでの間、私とマニにプリンの作り方を教えてくれないかな?」
「え?」
「リコの手が治った時に、完璧なプリン作り隊が整っていたら、すぐに好きなだけ作れるでしょ?」
ミーシャの提案にリコは驚いていた。
「ミーシャちゃん……」
その時、玄関のベルが鳴った。
ドアを開けると、子羊のムゥムゥを連れたマニが立っていた。
カートに大きな卵を入れている。
「やっほー! プリン作り隊、到着~」
「マニちゃん! 卵を持ってきたの!?」
「うん。ケイト所長が是非、プリン作り隊に協力したいって。リコプリンちゃんのファン一号になるんだって、はしゃいでたよ。あの人、変だよね~」
ゲラゲラ笑って、後ろを指した。
「それだけじゃないよ。ほら」
さらにその後ろには、ビリー牧場のお兄さんが手を振っていた。
「や~、リコちゃん! ケイト所長に聞いて、お見舞いに来たよ! 牛乳飲んだら怪我もすぐに治るからね!」
リッキーが大きな牛乳瓶を掲げている。
「ウィッキー!」
リコは自分ひとりで孤独に抱えていた夢を、みんなが一緒に支えてくれていると知って、眩しさで涙が溢れていた。
「あっ、またベソかいてる。鼻水も出てるし」
マニに指されてリコは泣き笑いしながら、みんなに深々と頭を下げた。
金ピカ城のキッチンでは、リコのプリン作りの指導が始まった。
細かい指示にマニとミーシャは懸命に従い、リコプリンの再現を試みた。
魔女小屋からマニが持ち出してきたハーブを調合し、卵を濾して、釜戸の火を細かく調整する。
マニは途中、汗だくで根を上げた。
「ひえ~、こんなに細かい決まりで作ってたの!? リコってば変人!」
「マニちゃん火! 弱める!」
リコの目の色が変わっているので、マニとミーシャは軍隊のように従った。
「できた~!」
美しいグラスで蒸されたプリンは、上品に仕上がっていた。
リコは生地の「す」の状態や、ハーブの香り、味見でチェックして、やっともとの笑顔に戻っていた。
「凄い、ちゃんと再現されてるよ!」
マニとミーシャは汗だくでハイタッチをした。
合間にお茶の時間を挟んで、粗熱を取ったプリンに最後の仕上げが施された。
プリンの上にリコの手が翳されて、下に向かって結晶を作っていく。
パキッ、ピキキ、ピキン。
2枚、3枚と重ねていくと、プリンたちは氷の幕で覆われていった。さらに4枚、5枚。先に作られた結晶に重なっていき、氷は分厚くなっていく。
丁寧に右、左と円を描くように重ねていくと、プリンの上には氷のドームが出来上がっていた。
リコは愉悦の表情になって、呟いた。
「氷の冷蔵庫のできあがり!」
マニはテーブルにしがみついて、冷気を宿すドームを凝視している。
「すっごい、何これ……! 魔女のおやつみたい!」
マニもミーシャも滅多に雪が降らない町で生まれ育った分、驚きは大きかった。
「プリンはね、冷やすとさらに、美味しさが増すんだよ」
リコの禁断症状のような表情に、マニとミーシャは息を飲んだ。
* * * *
やがて夕方になると、アレキが商談から帰ってきた。
玄関の向こうにはリコ、マニ、ミーシャが揃ってお迎えしていて、アレキは上機嫌になった。
「ハーレムみたいで気分がいいな!」
ミーシャが待ちきれないように、テーブルの上に冷えたプリンを出した。アレキはキョトンとした顔で皿を見下ろしている。
「これは……?」
「プリンです!」
リコは毅然と答え、アレキは気軽にスプーンを取った。
「へ~、何だこれ、プルプルじゃん。あれ、冷たい……冷えてる?」
スプーンですくって口に入れると、アレキはみるみるうちに真顔になって、瞳が青くなっていた。
「な……何ぃ? 何これ!??」
口を押さえて、乙女のようなポーズで固まっていた。
* * * *
リコの部屋で。
リコは思い出し笑いをしている。
「それでね、アレキさんの目がずっと青かったんだよ。もっと頂戴! って」
リコの部屋のソファに座っているレオも笑っている。
「それは幼児返りですね。プリン中毒者になっちゃったかも」
リコは笑いながら、テーブルにプリンを置いた。
「あのね、一緒に食べたくて、レオ君を待ってたんだ」
「完全版のリコプリンですね」
レオはスプーンを手に取ってプリンをすくうと、リコに向けた。
「リコさん、あーん」
「レオ君から先に食べなよ!」
「リコさんが昇天している姿を見ながら食べたいので」
リコは赤面して、口を開けた。
冷たいプリンが口の中に入って、甘く香りながら自分の体温と調和され、やがて緩やかに溶けていった。
リコは快感で身体が震えて、昇天していた。
「ああ、この味……」
レオは満足そうにそれを眺めて、自分もプリンを口に入れた。
目を瞑って味わうと、口をそっと押さえている。
リコは前のめりになった。
「どお? どおだった!?」
レオは紅潮した顔をリコに向けた。
「幸せの味がします。甘くて、冷たくて……優しい」
とろけて寄り添う互いの影が月明かりに照らされて、プリンの甘い香りに優しく包まれていた。
これから始まる異世界でのプリンの快進撃は、また、いつかのお話で……。
第一章 おわり
第一章を最後までお読みくださり、ありがとうございました!
物語は第二章へと続きます。「ブックマークに追加」と「★★★★★」評価ボタンで応援を頂けたら励みになります!!




