21 魔女憑き
以前、魔女が住んでいたとされる怪しい魔女の小屋には、新しく旅人が住みだした。
最初は普通の女の子だった住人もまた、やがて魔女に憑かれたように変貌していったという。
人呼んで、『魔女憑きの小屋』
怪談のようなマニの噂話に、リコはむくれた。
二人は農園の前で、立ち話をしていた。
「私が、魔女に憑かれてるって事?」
「村人が噂してるよ。魔女に憑かれた女の子が毎晩小屋に籠もって、煙を焚いたり、いろんな香や怪しい音を立てているって」
そしてリコの顔を指した。
「それにそのクマ。髪もぐしゃぐしゃ。寝不足になるまでプリンの研究をするなんて、どうかしてるよ」
マニの言う通り、リコは毎晩睡眠時間を削って、プリンの研究……プリ研に熱中していた。
きっかけは、レオと訪れたハーブ屋さんだった。
ラッシュビーンズの香りで脳が覚醒して、理想的にして個性的な香りを調合する実験に、夢中になってしまったのだ。
「プリ研は本物のプリンを、超えるかもしれない」
ドン、と言い切るリコの真顔の予言に、マニは引く。
「怖い。顔が怖いって」
マニに話してもきっと理解してもらえないが、覚醒したリコは、もとの世界のいろんな情報を、過去の記憶から細かく回収していた。
茶碗蒸しはプリン蒸しである説から始まり、お母さんが卵液を茶こしで滑らかに整えていた技や、蒸す時にガーゼをかけたり、コンロの火を繊細にコントロールしていた様子。
そして、もとの世界にはプリン以外にも、素晴らしいお菓子や料理が沢山あったのだという記憶も。
「ふひひ……」
リコの不気味な笑いに、マニはさらに引く。
「あのね、マニちゃん。今日夜になったら、家に来てね」
「うん。プリンを食べさせてくれるの?」
「プリンはまだ! 完璧になるまで門外不出だから。今日はね、トウモロコシのパーティーだよ!」
「はぁ……トウモロコシ?」
農園の娘であるマニにとって、特に新鮮味の無い食材に期待が薄まる。
そんなマニを置いて、リコは唐突に立ち上がった。
「あ、いけない! 牧場のお兄さんにお乳を貰って来なきゃ!」
猛然と、牧場に駆けて行った。
マニはポツンとひとりになって、森の木々を見上げた。
「あんたも大変だね。彼方此方と振り回されちゃってさ」
上空で葉音をたてて、リコを見守る黒猫は牧場の方へ去って行った。
* * * *
夜の魔女小屋で。
森の中に延々と、機械的な音が漏れている。
リコが瓶にお乳を入れて、ガムシャラに振りまくっていた。
「昔、テレビで、見た、もんね!」
遠い記憶を辿っていた。
「お乳は、振って、バターになるって!」
シャカシャカと、高速な音が鳴り響く。
窓の外でこっそりと、その様子をレオが覗いていた。
村人が噂をしても仕方がないほど、リコは取り憑かれたような有様だ。しかしレオは引くことなく、その集中力に感心していた。
「リコさんて、面白い人だな」
そしてついに、ガシャーン!と瓶が割れる音。
レオの肩がビクッ、と揺れた。
「あああ、手がすべったぁ! やり直しだ!」
それでもめげない様子に、レオは胸を撫で下ろした。
リコは2個目の瓶をまた振り出した。
シャカシャカシャカ……
一心不乱に振った瓶の中には、バターらしき塊ができていた。
「ふ、ふひひ…」
一段落的なタイミングで、レオはドアをノックした。
「はーい!」
リコは元気に飛び出して、満面の笑みでお迎えした。
「レオ君、いらっしゃい!」
「こんばんは。ご招待ありがとうございます」
後ろから、マニもやって来ていた。
「トウモロコシパーティーに来たよ~」
「マニちゃんも、いらっしゃい!」
キッチンで。
リコは巨大な鍋にバターの塊を入れて、釜戸に着火した。
ジュワ~、とミルキーな香りが立って、マニが「おぉ」と声を上げた。
そしてリコが取り出したのは、シオシオにしおれた、トウモロコシの大きな粒だった。
マニはずっこけた。
「え、枯れてるじゃん!」
「違うよぉ、干しトウモロコシ!」
リコはむくれて、バターが溶けた鍋に放り込んだ。
マニとレオが心配そうに見守る中で、リコは火加減を巧みにコントロールしながら蓋をし、鍋を揺すり始めた。
ジワ、ジワワ、ジワ、
高まっていく内部の温度に、全員が緊張を走らせていた。
そして……
ボン!
「わあ!?」
まるで水道管が破裂するような音が鳴って、リコは鍋を上げた。
「できた……異世界ポップコーン!」
振り向くリコが木板に載せているのは、真っ白な綿のような、巨大な一粒のポップコーンだった。
マニはあんぐりと口を開けて、大笑いする。
「何それ!? 食べ物なの!? あははは!」
リコは得意げに塩を振ると、ポップコーンを棍棒で叩き出した。
見た事のない料理と野蛮な調理法に、それは魔女憑きにふさわしい絵となっていた。
汗だくで叩き終わると、細かく砕かれたポップコーンをお皿に盛って、テーブルの真ん中に置いた。
「さあ、召し上がれ!」
マニとレオは顔を見合わせ、恐る恐る、真っ白な欠片を頬張った。
温かく、ふわっとして、ミルキーで香ばしい香り。
噛むとキュッと潰れる、不思議な食感。
バターの豊潤な旨みと、塩味がマッチして、一粒、二粒……と、急いで両手で口に運んでしまう。
マニは口いっぱいにポップコーンを頬張って、叫んだ。
「何これ!? 新感覚!!」
レオも驚いてポップコーンを凝視している。
仕事柄、様々な国の料理を食べてきたが、宮廷にもこんな不思議な食べ物は無かった。
リコを見上げると、「ふふーん」と両手を腰に当てて、威張っている。
「レオ君が前に、今度はトウモロコシを炊いてくださいって、言ってたでしょ? だから私なりに、最高のコーンの形を探したの!」
「えっ……」
レオは、自分が適当に交わした社交辞令をリコが覚えていてくれて、さらにこんな形で返してくれるとは、思いもよらなかった。
この時初めて、可愛いとか、愛しいとかいう感情であるとわからないまま、レオの胸はキューン、と高鳴っていた。
「すごいです、リコさん……ありがとうございます」
平凡な褒め言葉が口をつくが、リコは充分浮かれていた。
少し早口のリコの、解説が始まる。
「あのね、最初はコーンを干して炒っても、ポップコーンにならなかったの! それで私、鳥類研究所が、鳥の餌用にいろんな種類のコーンを仕入れていると知って、全種類を一個ずつ、炒ったの!」
マニとレオは熱いご高説を、うんうんと気圧されて聞く。
「トウモロコシにどれだけの種類があるか、知ってる? 甘さや硬さ、見た目も色も、掛け合わせによって凄い種類があるんだよ!!」
そして大事な宝物を見せるように、背中に隠していた、赤くテカテカとした巨大な粒を、厳かに見せた。
「そして遂に来たの! ポップコーンの礎となる、爆裂型コーンが!」
頭上に掲げたコーン粒は、まるで革命が起きたように神々しく輝いている。
「おお~」と歓声と拍手が湧いた。
リコは咳払いすると、週末の希望を述べた。
「それでね、私……ミーシャちゃんにも、このポップコーンを食べて欲しいの」
レオは笑顔で頷いた。
「きっと喜びますよ」
リコはモジモジと、両手首の枷を撫でている。
「私の手枷を見て、ミーシャちゃんが苦しい気持ちになるのは辛いから……美味しいお菓子を一緒に食べて、楽しい思い出を作りたいんだ」
マニは元気に手を上げた。
「私も! スッポンポンで会ったのが最後だもん。ちゃんと仲良くなりたい!」
二人のミーシャへの思いに、レオは心が温かくなっていた。
ずっと孤独で、アレキしか心許せる人がいないミーシャにとって、この優しさがきっと救いになるだろう。
レオはポップコーンを食べた時に一瞬、ノエル王子が喜びそうだと考えた自分を訂正した。
(リコさんも、ポップコーンも、ノエル王子には全部秘密にしよう。そう、僕だけの思い出に……)
隣でマニが、レオのほっぺを突っついた。
「あ~、珍しい! なんかめちゃめちゃニヤけてる!」
ポップコーン・パーティーは三人にとって、妙なテンションをもたらす、不思議なお菓子の会となった。
* * * *
いよいよ週末ーー。
リコは紙袋いっぱいのポップコーンを持って、アレキの金ピカ城を訪ねた。
「おや?」
アレキはリコとマニとレオの顔を見回して、妙に昂っている三人のテンションを感じていた。
「何々? 何の熱気? 一揆か何か?」
「違いますよ。僕たち、ミーシャに会いに来たんです」
リビングに呼び出されたミーシャは、アレキに隠れながらこちらを見ている。
アレキがそっと、ミーシャの背中を押した。
「みんなが、ミーシャにお菓子を作ってくれたんだって」
ミーシャはアレキを見上げ、眉を顰めている。
「はぁ……」
冷めた口調のミーシャは渋々とリコたちの近くに来ると、そっとリコの手首を見下ろした。
そこには可愛いシュシュが巻かれていて、ブレスレットが見えないように隠されていた。
「ミーシャちゃんは、甘いのとしょっぱいの、どっちが好き?」
「べ、別に……どっちでも」
リコが片方の袋をバリバリと開けると、まだほんのりと温かい、真っ白なポップコーンが現れた。もう一つを開けると、何やら飴色の蜜がかかったポップコーンが。
「どっちが好きか、教えてね」
リコに促され、ミーシャは食べ物に見えない白い綿を、恐る恐る手に取って、口に入れた。
カリ、ポリ……。
リアクションは無いが、少し目を大きくして、2粒、3粒……そして隣の飴色のポップコーンも左手で取って口に入れた瞬間。目覚めたように、右、左、と止まらなくなっていた。
(秘技・甘いしょっぱい)
リコは心中で、技名を呼んだ。
もとの世界でもチョコ、ポテチなどでエンドレスにやってしまった、禁断の交互食いだ。
飴色のポップコーンにはリコが調合した、バニラ風の香りのカラメルがかかっていて、キャラメルポップコーンそのものだった。
「お、美味しい」
ミーシャはキラキラした瞳で、リコを見上げた。
リコも優しく微笑んで、二人の間に解けるような空気ができていた。
アレキは驚いて、左右のポップコーンを見比べた。
「え、何? 綿なんか食って何? 何ー!?」
ポップコーンで繋がる絆に、乗り遅れていた。




