18 暗闇の騎士
マニはミーシャの異様な様子に驚いて、床に散らばった小物を拾い集めた。
「あらら、大丈夫?」
ミーシャが釘付けになっているのは、リコの両手首に付いている水色のブレスレットだと、リコは気付いた。
と同時に、ミーシャは踵を返して駆け出してしまった。
「あっ! 待って!」
リコは慌ててタオルを体に巻いて追いかけるが、ミーシャはすごい早さで廊下の先に消えてしまった。
「ミーシャちゃん……いったいどうして……」
リコは両手首のブレスレットを見下ろした。
何の変哲もない、半透明の石でできた輪の、何がそんなに怖かったのか。まったくわからなかった。
「それはね、枷だからさ」
突然、真後ろの壁からシリアスな声が聞こえて、リコは振り返る。
アレキが腕を組んで、廊下の壁に寄りかかっていた。
「奴隷の自由を奪う手枷。ミーシャはお嬢さんの枷を見て、自身のトラウマが蘇ったんだ」
内容は深刻で会話に集中すべきだが、リコは自分が半裸な事に気付いて、悲鳴を上げた。
「きゃーーーっ」
* * * *
豪華なリビングで、真っ赤なリコと、半笑いのマニが並んで座り、正面には飄々とワインを飲むアレキ。その隣には、アレキを睨むレオが座っている。
レオはテーブルを叩いて、アレキを叱った。
「もう、何してるんですか! 浴室には行くなと言ったでしょう!?」
「湯加減はどうかと思って」
三人ともアレキに借りた豪華な民族衣装を着ていて、まるで富豪の集会のようだ。
ミーシャはあれから自室にこもってしまったのか、姿を現さない。
リコはいたたまれない気持ちで堪えきれずに、アレキに尋ねた。
「あの、さっきの……奴隷の枷って、どういう事ですか?」
輪を嵌めた両の手は、震えていた。
アレキはふむ、と改めてその輪を見つめる。
「俺も一度しか見たことがない。ミーシャが嵌めていた物だ。その枷は特殊な鉱物でできていて、石を操作する能力者にしか扱えないんだ」
「石を操作する……能力者?」
リコは聞き覚えのない単語の連続に戸惑う。
「ああ、お嬢さんは記憶喪失なんだっけ?」
アレキはどう説明したものかと、首を傾げた。
「この世界にはね、いろんな能力を持った者がいるんだ。数百人に対し一人の割合で、その力の個性も強弱も様々……石を操作する者は山岳地帯の民族に多く、彼らは石を使って道具を作る慣習がある。操作された石には特徴があってね……」
会話の途中でリコを指さすと、聞いた事のない言語で叫んだ。
「結錠!」
するとリコの両手の輪は、まるで磁石のように強力に互いにくっついて、ガチャンと大きな音をたてて、両手が束ねられてしまった。
「きゃっ……」
「ちょっと!」
アレキに掴みかかったのは、レオだった。
「解錠してください! 早く!」
真っ青になったリコの手をアレキは再び指すと、また謎の言語で叫んだ。
「解錠!」
バラッ、と輪は互いから離れて、リコの両手は自由になっていた。
「な……何これ……」
リコもマニも、唖然として輪を見つめた。
ただのブレスレットが、途端に恐ろしく禍々しい物に見えていた。
アレキは乱れた襟を整えながら説明する。
「実演が一番わかりやすいだろう? 山岳地帯の古代語に石が従うのさ。まるで生きてるみたいに」
「な……なんで私の手に、こんな物が? 私……」
もとの世界からこの異世界にやって来て、謎の美少女と入れ替わってしまったリコだったが、まさかこの体の持ち主が奴隷の身だったなんて、衝撃的な事実だった。
絶句するリコを、マニは支えている。
「ねえ、この枷はどうやって外すの!? こんなの酷い。外してやってよ!」
アレキは首を振る。
「ミーシャの手枷は西の山岳地帯から、住処を転々とする職人を探し出して外してもらった。この東の地に石使いがいるかどうか……」
広々としたリビングは静まり返り、その沈黙をアレキのポジティブな声が破った。
「まあ、古代言語を知らなきゃ石の操作もできないわけだし、普段の生活に差し障りはないだろう。大丈夫、大丈夫」
大丈夫じゃないですよ、と無言の睨みをきかせるレオを、アレキは笑顔で振り返り、その肩を掴んだ。
「レオよ。お前がお嬢さんを守りなさい。枷を外せるその日まで、お守りするんだ。これは命令だよ」
発言の内容と裏腹に、アレキの声は優しかった。
その瞳はいつもの紫色ではなくて、澄んだ青色に輝いているのに、リコは気付いた。
(アレキさんの瞳の色が、変わった?)
* * * *
日が暮れて、リコとマニ、レオは広場に立っている。
夕陽でいやらしいほどに輝く、金ピカ城を見上げて。
マニは深い溜息を吐いた。
「底知れぬ変人ぶりだね、あいつ」
レオに問うような視線を向ける。
「ええ。師……アレキ様は個性的な方ですが、悪人ではないですよ」
レオは茫然としたままのリコを気遣った。
「リコさん。アレキ様の言う通り、その枷が外せるまで何事も起こらないよう、僕は影からお守りします」
リコは驚いて、レオを見上げた。
「だから安心して、リコさんはいつも通りの生活を楽しんでください」
リコとマニは森の中を子羊のムゥムゥに乗って、村に帰っていく。
マニは暗くなりつつある、頭上の木々を見上げた。
「ひょ~、ほんとに影からお守りしてるよ」
黒猫は闇に溶けて、頭上からこちらを静かにつけていた。
リコの休日は葡萄酒色に染まり、自分が奴隷の身分である事実を知り、禍々しい枷の恐怖まで知ってしまった。
ラッシュビーンズを見つけることも叶わず、手ぶらの帰路だったが、体がふわふわとして浮かれていた。
酒のせいでも、湯のせいでもない。
暗闇の騎士の存在が、リコのすべてを輝く金色に染めていた。




