16 飛び出す黒豆
「婆ちゃん、遊びに来たよ~!」
夕方の、きのこの麓で。
マニは元気に、老夫婦の家のドアを開けた。
「まあまあ、マニ。農園のお仕事は終わったのかい?」
「うん。父ちゃんは爺ちゃんと酒盛りするから、もう上がっていいって」
お婆さんは、マニの後ろで卵を抱えているリコを見つけた。
「おやまあ、リコちゃん!」
「お婆さん、お久しぶりです。今日はお世話になったお礼に、卵を持ってきました」
大きな薄ピンクの卵を差し出した。
テーブルの上には、お婆さんの手作りケーキと紅茶が置かれている。
お婆さんはリコから就職の話を聞いて、嬉しそうに頷いていた。
「本当に良かったわ。良いお仕事が見つかって」
「助けてくださった皆さんのおかげです。ありがとうございました」
深々と頭を下げるリコに、お婆さんは首を振った。
「私こそ、お礼を言いたいわ。マニは同年代のお友達がいなかったから、リコちゃんと仲良くなれて、とても喜んでいるのよ」
マニはケーキを咳き込んで照れている。
「そりゃあ、町に行けば知ってる子供もいるけどさ、この村は爺婆ばっかじゃん。父ちゃんの農園を手伝ってたら、友達なんかできないよ」
「でもマニは、農園を大きくする夢があるんでしょ?」
「あたしは商売で成功したいんだ。それには農園を継ぐしかないかなぁって」
リコは二人の会話を聞いて、感心した。
「マニちゃん、夢に向かってちゃんと考えてて、凄いね」
「リコも何か夢があるから、一人暮らしを始めたんでしょ?」
リコはハッとする。
生活するために一生懸命に働いて、さらには好物のプリンを作るのに夢中になっているけど、夢と言われると、考えてしまう。
もとの世界でも、毎日をのんびり過ごしていて、自分の目標なんて定まっていなかった。リコは恥ずかしそうに俯いた。
「私……夢っていうか、今はプリン……作りたくて」
「へ? プリン?」
お婆さんは笑顔でマニを見た。
「プディングのことかしらね?」
「ああ、あの甘いやつか」
リコは恐る恐る聞く。
「あの、プディングって、甘いお食事なんですか? 魚とか、パンとか入ってて」
「そうねぇ。材料を入れてお食事にもなるし、おやつでも食べるわ」
お婆さんの言葉に、リコは立ち上がった。
「おやつのプディングがあるんですね!?」
「干し葡萄やイチヂクを入れたりしてね」
「プディングって、いろんな種類があるんだ……」
「ちょっと待っててね」
お婆さんはボウルを手に持ってくると、リコが持ってきた卵を割って見せた。
「ケーキで使った牛乳が少し余っているから、作ってみましょう」
「ほ、本当ですか!?」
リコはこの世界のプディングの作り方が見られると感激した。慌ててメモを探して、マニに紙とペンを借りる。
お婆さんは作りながら、解説してくれた。
「プディングは傷みやすいから、保存が効くようにお砂糖を沢山入れるの」
リコはレオから聞いた、宮廷の激甘魚プディングを思い出していた。
「そっか。冷やして保管できないから、食中毒にならないように、すごく甘いんだ」
「この辺りは温暖な気候だからねぇ」
お婆さんは卵液に牛乳、小麦粉、レーズンや木の実、たっぷりのお砂糖とハーブを入れて、四角いパッドに流し込むと、釜戸にセットした。
「さぁ、こうして焼いたら、おやつプディングの出来上がりよ」
「あの、ハーブは何を使うんですか?」
「ハーブはお好みで果物の皮や、草花とか……家庭によっていろいろね」
「プディングって、何を入れてもいいし、どんな香り付けをしてもいいんですね」
コンビニで売っているプリンしか知らないリコは、プディングの自由な存在が新鮮だった。
お婆さんとマニとお茶をしながらお喋りしているうちに、プディングはあっという間に出来上がった。
荒熱をとったパットから切り出されたそれは、四角くて、少し硬めの、リコが知るプリンとはだいぶ違うイメージだ。
「いただきます!」
木のスプーンで四角いプディングを切ってみると、弾力がある。フルーティな香りがして、卵と牛乳の優しい味がした。とっても甘い。
「美味しい! この味……プリンにそっくり!」
昇天するリコを、お婆さんとマニは笑っている。
「リコちゃん。プディングのかたちは一つじゃないから、リコちゃんの思う物を作ればいいのよ」
「私、自分の中の思い出のプリンを形にできるように、がんばってみます!」
プリンに似た異世界のプディングを知る事で、リコの中にある理想のプリンは、より明確なイメージとなって、膨らんでいた。
* * * *
夜も深まり、リコは子羊のムゥムゥに乗って、マニに魔女小屋まで送ってもらった。
「マニちゃん、今日はありがとう。お婆さんにお夕飯までご馳走になっちゃって、またお世話になっちゃった」
「婆ちゃんもリコに会えて、嬉しそうだったよ。それにしても、リコは料理人だったんだね。あ、菓子職人かな?」
リコは首を振る。
「私はただの、プリンボソボソ職人だよ」
「ぎゃはは、何それ! リコってやっぱり、おもろいね」
「プリンがちゃんと完成したら、マニちゃんとお婆さんにも食べてほしいな」
「もっちろん! リコプリン楽しみにしてるよ」
マニは何かを思い出して、前のめりになった。
「そうだ、リコ! 週末に、町で市場があるんだ。旅商人達がいっぱい広場に集まるんだよ。一緒に行こうよ!」
「わぁ。プリンのハーブも売ってるかな? 探しに行きたいな!」
「よし決まり! ムゥムゥに乗って、迎えに行くよ!」
マニは元気に手を振って、帰って行った。
リコはポカポカした気持ちで魔女小屋のドアを開けて、部屋の灯りを点けた。
「市場でハーブ探すの楽しみだなぁ。でも、どんなハーブを探せばいいのかな……」
しばらく佇んで、おもむろにベッドの下を覗いた。
ここに越して来た日に封印した、もとの住人の荷物の箱が見える。
ベッドの下から引きずり出して箱を開封すると、中にはギッシリと、分厚い本が入っている。
「怖い本ばっかりでつい仕舞っちゃったけど、ここに住んでいた人は、薬草を調合していたらしいから……」
思った通り、薬草の辞典のような本が見つかった。
「やっぱり! この世界のハーブが網羅されてる!」
リコは本を拝借して、ベッドに寝転がった。
紙面には線画の植物の葉や実がずらりと並んでいて、自生場所や効能などが詳しく記されていた。
「お料理用というよりも、お薬用なのかな。あ、でも香りの説明も書いてある!」
見たことがあるような植物もあれば、未知の植物も載っている。もともとハーブに詳しくないリコにとっては、すべて初見のように感じた。
「なんか……凄い種類がいっぱいあるんだな。どれがプリンに合うのか、わかんないや」
・ラッシュビーンズ
※飛び出す種子が頭部に直撃する事故に注意
・パルピー草
※霧状に散布される幻覚物質による錯乱に注意
「※」印に書かれた注意事項は危険な内容だが、シュールな挿絵が滑稽に見えて、リコは思わず笑ってしまう。
「そっか。ハーブになる花や草も大きいから、採取するのも大変なんだ」
面白がって注意書きばかり読んでいるうちに、頭部に直撃する豆の絵が、どこかで見た物に似ていることに気づいた。
「この黒い鞘豆って……コンビニのアイスのパッケージに描かれていた絵に似てる……」
ビーンズだけに、ビーン!と脳内が弾けた。
「そうだ、バニラアイスだ! この黒い豆って、バニラビーンズの絵に似てる! それに、プリンのあの香り……アイスと同じ、バニラの香りだ!」
ラッシュビーンズの香りと用途の項目には、こう書いてある。
・甘く芳醇な香り
・菓子、香油などに
「これだ……この世界のバニラはきっと、ラッシュビーンズって、呼ばれてるんだね」
まるでパズルが組み合わさるように、リコの中で理想のプリンが出来上がっていく。
魔女小屋の謎の元住人に手伝ってもらったような、不思議な気持ちになっていた。
「魔女さん、ありがとう。まさかプリンのヒントがベッドの下にあったなんて、ビックリだよ」
ハーブ辞典を抱きしめて、リコはニヤけた。
「ラッシュビーンズが売ってるお店を探さなきゃ。週末のお買い物がますます楽しみだよ」
ふと、窓の外を見ると、静かな夜の森が広がっている。
リコはあの大きな黒猫が窓を覗いていないか、期待して見てしまうのが癖になっていた。
「誤配達でもないと、なかなかレオ君に会える機会が無いな……でも、週末に町に行ったら、偶然会えたりして……」
週末のハーブの買い出しには、不純な期待と動機も密かに加わっていた。




