15 プリン蒸す
「おはようございます」
鳥類研究所の作業場に入るリコを、ケイト所長は振り返った。
「おはよう。卵パーティーはどうだった?」
「えへへ……最高でした」
仕事に出かけて戸締りした魔女小屋のキッチンは、破片が飛び散ったまま、ごった返しの状態になっているのを思い出す。今朝、固い卵の殻を割るのに奮闘しながら、卵焼きを作ったのだった。
「卵焼き、ふわふわにできました! でもいっぱい作りすぎちゃったんで、これ……食べませんか」
ふろしきの中から、紙で包んだ大きな卵焼きを出した。ケイト所長は覗き込んで喜んでいる。
「わお、美味しそうにできたわね! リコちゃんの♪ 卵焼き弁当!」
はにかむリコを撫でて、楽しそうに卵焼きを宙に掲げている。
「あの、所長。プリン……じゃなくて、プディングって、食べたことありますか?」
「プディング~?」
所長はキョトンとして、何かを思い出した。
「あ~、お婆ちゃんが作ってくれたことあったわね。卵と牛乳に、パンを浸けたやつね?」
「パンと、牛乳!?」
「ものっすごく、甘いのよね~」
所長もレオも、プディングは甘すぎるという理由で、あまり好きではない様子だ。それに今度は魚じゃなくて、パンが入っている。プディングというのは、お食事なのだろうか。
だけどリコは、閃いていた。プリンには、牛乳が使われているのだと。
「所長! 牛乳って、どこで売っていますか!?」
「牛乳~?」
所長はリコの頭をポンポン、と押さえた。
「成長期だもんね。大きくならないと」
言いながら、小さなメモに何かを書いた。
「この牧場に行ってごらんなさい。美味しくて新鮮なお乳が手に入るわよ」
「わ、ありがとうございます!」
プリンへの偉大なる一歩の、地図を受け取った。
「私の名前を出してみて。きっとタダで沢山くれるわ」
意味ありげに微笑んでいる。
所長はああ言っていたけれど、牛乳に対価は必要だろう。
一文無しのリコは、ふろしきにもう一個入れていた卵焼きを持って、終業後に牧場に向かった。
* * * *
ケイト所長の地図の通り、さほど遠くない場所に、大きく開けた牧草地帯があった。
手書きの看板には「ビリー牧場」と書いてある。
囲いの中ではやっぱり、巨大な牛が草を食んでいた。
「うわぁ、おっきなタンク……」
牛も大きければ、タンクも大きい。
リコは人気のない牧場をウロウロして、だだ広い牛舎を覗いてみる。
大きな牛達がそれぞれ、のんびりくつろいでいる中で、一頭の牛のお乳を、毛むくじゃらの背中が絞っていた。
「お猿さんの乳搾り……」
リコの倍はありそうな大きさの猿が、さらに大きな牛の乳を絞っていた。巨大なバケツには、湖のように大量のお乳が注がれている。
ジョー、ジョジョジョ、ジョー。
リズミカルな乳搾りをボケ~と見つめていると、ふいに後ろから、声が掛かった。
「よおー!」
やたらに元気な声に飛び上がって振り向くと、つなぎを着て、タオルを首にかけたお兄さんが立っていた。
「見学かい!? 牛乳、飲んでる!?」
たたみかけるようなテンションに、リコは後ずさった。
「あ、あの、勝手に入ってごめんなさい! お猿さんが乳搾りしてるから、つい見入ってしまって」
「ハハハ、リッキーはビリー牧場の優秀なお世話係さ! 牛だけじゃなくて、俺の面倒もみてくれるからな」
リッキーは振り返ると、元気に相槌を打った。
「ウィッキー!」
お兄さんとお揃いのタオルを巻いている。
リコは慌てて、お兄さんにメモを見せた。
「ケイト所長に教えて頂いたんです。私、鳥類研究所で働かせて頂いて……」
自己紹介の途中で、お兄さんは大声を上げた。
「ケイトさんに!? 君、ケイトさんの妹!?」
「いえ、違います、部下です! それでこれ、牛乳代の代わりに……」
卵焼きを差し出すと、お兄さんは震える手で卵焼きを受け取り、おごそかに頭上に掲げていた。
「ケイトさんが作った、卵焼き……!?」
会話が通じず、リコは焦る。
「私が作ったんです、ごめんなさい!」
お兄さんはまったく動じずに、卵焼きに頬擦りしていた。
「ケイトさんが育てた卵だもんなぁ、ありがてぇ」
まるであべこべな勢いにどうしようかと思っていたが、お兄さんはケイト所長の言う通り、大きな瓶いっぱいの牛乳をタダで恵んでくれた。
さらには牧場で作っている自慢のチーズを大量にくれて、荷物を持ちきれないリコを、牛車で魔女小屋まで送ってくれた。リッキーが軽々と、小屋に運搬してくれる。
「リコちゃん、いつでも新鮮な牛乳を用意してるから、またビリー牧場に来てくれよな!? それと……ケイトさんによろしくな~!」
「ウィッキー!」
まるで自分の家族や友達のように親切にしてくたお兄さんとリッキーに、リコは見えなくなるまで、笑顔で大きく手を振った。
「うふふ。お兄さんはケイト所長が好きなんだね」
丸出しの恋心に当てられて、幸せ気分になっていた。
* * * *
夜の魔女小屋はひっそりと、明かりを灯している。
リコの目前には、牧場のお兄さんに貰った牛乳と、大量のチーズがテーブルに並んでいる。食糧のストックは途端にミルキーさを増して、豪華になっていた。艶々としたチーズは、どれも美味しそうだ。
「パンにチーズ! それから、オムレツにチーズ! ふひひっ」
素朴な自炊のレシピに幅が増えて、リコは浮かれながら、グラスに牛乳を注いだ。
「ぷっっはぁ……!」
この世界に来て初めて口にした、新鮮な牛乳だ。
「わぁ……牛乳って、こんなに美味しかったっけ!?」
搾りたての美味しさに感激する。
「ケイト所長がくれる卵も、お兄さんがくれた牛乳も、味が濃厚ですごく美味しい。これが合わさってプリンになったら、ひょっとして、すっごく美味しいプリンができてしまうのでは……?」
材料のポテンシャルの高さに期待値が高まって、リコはその勢いのまま、今朝の惨事……飛散した卵の殻や調理器具を、勢いよく片付けた。
持って帰った風呂敷を解くと、中には新しい卵。所長にお願いして、小さめの卵を貰ってきていた。
それから、養蜂場のお爺さんに貰った蜂蜜の瓶もテーブルに置いた。
「これで、プリンの材料は揃ったはず」
フンス。
と気合を入れて目を閉じると、もとの世界に思いを馳せた。
お母さんが、台所で料理をしている。
卵を解いて、だし汁と合わせて、蒲鉾や銀杏を入れて……台所が良い香りの湯気で満ちていく。
リコは静かに、目を開けた。
「蒸してた。茶碗蒸し」
プリンと茶碗蒸しが似ていることから、リコはプリンの作り方を、茶碗蒸しの記憶で履修していた。
だし汁の代わりに牛乳を注いで、卵液と混ぜ合わせ、蜂蜜を投入。
釜戸に火をくべると、大なべにお湯を沸かし、コップやマグカップに満たしたプリン液を、セット。
蓋をすると、リコは慎重に釜戸の前で見張り続けた。
途中で何度も火加減を調節し、プリン液を確認し、途中で蒸し具合を見ながら、とうとうできあがったコップの中の物体を皿の上に出した。
表面は穴がブツブツと空いて、天井は固く、中はボソボソ。見た目は古びたスポンジみたいで、最悪だ。
リコは挑むように、スプーンですくって食べてみる。
とてつもなく素朴な、卵と牛乳と蜂蜜の味……食感はやっぱり、ボソボソしていた。
「でも、プリンの始まりの味がする……!」
それは幾つも何かが足りない、口当たりも悪い失敗作だったが、プリンを匂わせるような物体にまで、どうにか辿り着いていた。
リコの脳裏に、結花と通ったコンビニ、公園で食べたプリン、お家で家族と談笑しながら食べたプリンが浮かんで、涙が溢れていた。
プリンが故郷の味だなんて滑稽な気もするが、脳は懐かしい思い出を、どんどん紡いでくれる。
「私は異世界で、プリンを作ったんだ」
誇らしげに、口に出してみる。
何だかすごく、偉人ぽい。
リコはひとまず冷静に戻って、初作プリンの分析をしてみた。
「何が足りないんだろう。まずはあの、黒い蜜だよね」
プリンの頭に乗った、黒い層を思い出す。
「ちょっと苦くて甘くって……プリンに合うんだよなぁ」
想像しているうちに甘い欲が高まって、リコは思わず、レオから貰った王子様のキャンディを飾り棚から下ろした。勿体ぶって、一口も食べずに拝んでいた物だ。
「貴重なレオ君からのプレゼント……プリン第一号の誕生記念として、一個食べちゃおう!」
金色のキャンディをひとつ取って、口に含む。
純粋な甘さが口いっぱいに広がって、リコは痺れるように昇天した。
「んん、おいひい!!」
シンプルに、優しいお砂糖の味だ。
だけどちょっぴり香ばしくて、なんだか懐かしい味がする。
カロン、カロン。
しばらく口の中でキャンディを弄ぶうちに、リコは開眼していた。
「これ、似てる……プリンの黒いところに」
改めて、金色のキャンディをまじまじと見た。
「固まったお砂糖……溶かしたお砂糖だ。そうか、プリンの上には、火を通して溶かしたお砂糖が乗ってるんだ!」
プリンへの偉大なる二歩、三歩が今、動き出そうとしていた。




