05話 カラス、スズランvsリオ、ジニア、エリカ
彼らが転移してきた国の名は、テラシティア。
その一角に広がる街――レルファンシエル。
商業ギルド《ルーチェ》の活動に支えられ、今も息をするように栄える街だ。
この国では、どこでも神々が祀られている。
レルファンシエルが崇めるのは、全知全能の神ゼウス。ゼウスが妻ヘラと愛してやまなかった、レティマッチャとシルフストロベリーのタルト――。
それを同じ味付け、同じ盛り付けで祭壇に供えるのが、この街の習わしだった。
◇
ウ〜〜 ウ〜〜 ウ〜〜――。
空気を震わせる警報が街に響き渡る。
胃の奥を揺らす低音が、皮膚の裏まで入り込んでくるようだった。これは、自警団に「吸血鬼が出現した」と知らせる音。
「……何、この音」
「警報?」
「……嫌な響きだな。移動しよう」
リオたちは顔を見合わせ、歩き出そうとした――その瞬間。
バサッ、バサッ……。
黒い羽根が、頭上からひらひらと舞い落ちた。
ゆっくりと顔を見上げる。そこには、カラスとスズランが並び立ち、冷たい瞳で見下ろしていた。
「何……? 何の音……?」
街の人々がざわめく。
そして――。
「やばい!」
「吸血鬼だ!」
「巻き添えを食らうぞ!」
「自警団を呼べ!」
叫びと同時に、人々は蜘蛛の子を散らすように建物の中へ消えていった。
静寂が落ちる。風の音すら遠のく。
「……逃げろ。逃げ惑え、ゴミクズ共」
カラスが、口角をゆっくりと吊り上げる。
「俺たちが、お前らに粛清をしてやる。なぁ、新人君たち?」
「……ッ!」
目が合った瞬間、ぐわっと殺気が刺さる。
息が詰まり、背骨の奥まで冷気が走った。
この感覚……今まで味わったことがない。
どれだけの命を、この男は奪ってきたのだろう。
「……お前、どんだけの人間を殺してきた?」
リオは、声を絞り出すように尋ねた。
「人間を殺す? 俺たちが?」
くつくつと笑いながら、カラスは首をかしげる。
「俺たちが殺すのは、吸血鬼と忌々しい魔族だけだ。人間なんぞ殺しても、アイツの腹は膨れない」
「アイツ……? コウモリのことか?」
「お前らに答える筋合いはない」
カラスが右手を上げる。
リオたちの眼前に、七色に輝く結晶が現れた。
「……これが、『結晶』か」
「なるほど……お前ら、“コウ”のお気に入りか」
「は? 何の話だ」
「セツナのこと、覚えてないのか?」
「知らねぇよ、そんなやつ」
(……ルピナスの記憶操作は、まだ生きているか。まぁいい)
カラスの視線がリオに突き刺さる。
「コウモリの命令だ。そこの奴以外は――始末する」
「は?」
ジニアとエリカが一歩前に出る。
「理由は?」
「答える義理はない」
カラスの目が、射抜くように細まった。
ジニアが応じるように右手を上げる――重力が、ずしりと足元にのしかかった。
「スズ」
「……うん、わかった! にーちゃ!」
スズランもまた手を上げ、ジニアとエリカにさらに重力をかける。
「お前らに付いてこい、なあ、リオ」
「なんで俺が――」
「コウがお前に会いたがってる」
「ふざけんな」
リオが指を地面へ向ける。
近くの建物が震え、パラパラと破片が落ちる。
「これが粉砕の特権……」
「ジニアとエリカを解放しろ」
「断る」
「なら、この建物を落とすぞ」
「ふふ……そうか、やってみろよ、忌々しい純血が」
カラスがそう言った瞬間建物が一気に崩れ、轟音と土煙があたりを飲み込む。
カラスは右手を静かに掲げた。
その手先から、七色に輝く結晶が空中にじわりと形を成し――リオたちの頬すれすれに浮かび上がる。光が頬をかすめ、肌を冷たく撫でた。
「……うおっ、びっくりしたな」
「もしかして……これが?」
「ええ、これが“結晶”」
カラスは薄く笑い、リオの顔を真っ直ぐ覗き込む。その瞳は、まるで獲物を値踏みする猛禽のソレだった。
リオを指差したあと、ジニアとエリカが同時に一歩前へ出た。床板がわずかに軋む。
「コウモリがリオに会いたがってる? は? お前急に何言ってんの?」
「リオちゃんを狙ってるの? その理由は何?」
「お前らに答える義理はない」
カラスがまた右手を上げた。
今度は、目が告げていた――「次は外さない」と。
「さっきのはわざと外したのか」
「当たり前だ。挑発だよ」
ジニアも同じように右手を掲げる。
瞬間、空気の密度が変わった。二人の身体がずしりと沈み、靴底が地面を踏みしめる感触に変わる。重力が倍以上に増していた。
「スズ」
「うん、分かった! にーちゃ!」
スズランも右手を上げ、ジニアとエリカの重力をさらに操作する。空気が軋む音がした。
「2人とも!」
「リオ、俺たちについて来い」
「は? なんでだ。なんで俺がこいつらを置いて――」
「コウがお前に会いたがってる」
カラスは何度も何度も、同じような言葉を繰り返す。
「それはお前の都合だろ? わけわかんねーこと言ってんじゃねぇよ!」
リオは手を横へ、そして瞬時に頭上へと振り上げた。
パラパラ……と乾いた音。近くの建造物が低く唸りをあげながら震え出す。
その後カラスの口元に笑みが浮かんだ。
「ふふ……もしこの建物を崩したら、近くの人間を殺すことになるぞ」
「今はいねぇだろ。目ェ節穴か?」
「……なるほどな」
カラスは首をゆるく横に振った。
リオは小さく「そうか」と呟き、人差し指を地面へ。
次の瞬間、建物が轟音とともに崩れ落ち、カラスを飲み込んだ。
「にーちゃ……?」
「あと1人だな」
「誰が“あと1人”だって?」
崩落の瞬間に、カラスは影のように消えていた。
次に姿を現したのは――リオたちの真上。
「リオ、奴は強い。一旦立て直そう」
「けど、お前らが――!」
「そうですよぉ? 僕の重力はそう簡単には崩せませんっ」
「ハッ……俺も重力操作の特権持ちだ。相殺くらい簡単なんだよ!」
ジニアが自分とエリカへ重力を向ける。
「ギギギギ……バギィィンッ!」と空間が悲鳴をあげ、重力がぶつかり合い、霧散した。
「えっ!? そんな方法あったんですか!?」
驚きの声をあげるスズラン。
「覚えておけ。重力同士をぶつければ、相殺できる」
「……覚えておきます。でも――」
カラスは宙に浮き、ジニアとエリカを結晶で包み込む。しかしヒビが走り、「バキィインッ!」と音を立てて砕け散った。
「は?」
「えっ? にーちゃの特権が……効かない?」
リオは目の前の光景を理解できず、ただ息を呑んだ。
(なぜ……? 一体、何をした……?)
カラスは短く息を吐き、スズランに視線を送る。
「退くぞ」
「にーちゃがそう言うなら、仕方ないですね」
スズランはにこっと笑い、カラスの腰に抱きつく。2人は闇に溶けるように姿を消した。
「……なんで効かなかったんだ?」
「さぁ……私たちの身体、謎すぎるわね」
そのやり取りを、影の中からじっと見ている者がいた。――リオと瓜二つの顔をした、吸血鬼が。