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昔日は皆才子であったのだから

作者: 翠泉

 これは苦手だ、私には向いていない。

 そんなことを思っていなければプロスポーツ選手になっていた。


 私は頭が悪い、頑張っても無駄だ。

 その気持ちに気付いていなければ、きっとノーベル賞だって取れてた。


 文章を書く才能がない、絵も下手だし、歌も聞くに耐えない。

 そう言って笑われていなければ優れた芸術家になっていたかもしれない。




 ふと昔のことを思い出し、今までいくつもあった別れ道を不意にしてきたのだと気付いた。

 きっとこれから先もチャンスを幾度も見逃していくのだろうと思う。


 私には才能がない。

 これは領分ではない。

 私よりも優れた人間がごまんといる。


 そう言って逃げてきた結果である。

 言い訳などしようもない。


 「努力は成功を保証してくれない。だが、夢を見る権利を与えてくれる」


 確かにその通りだと思った。

 努力は簡単に人を裏切るものだ。

 しかし、努力をしない人間が夢を叶えられるはずがない。


 努力せずに仰々しくこうなりたいのだ!と言っているだけでは何も成し遂げられない。

 夢を叶えている人は往々にしてコツコツと努力を重ねている。


 「才能と努力。どちらが大事かよく議論されるが、才能がなければ何者にもなれないし、努力をしなければ才能は眠ったままだ」


 私は今までずっとそうだったのだと思う。

 これは私には向いていない。

 頑張ってもこれ以上はできない。


 そう言って私は可能性を潰してきたのだ。

 そんな考えをしているうちは何者でもなく終わってしまうのは目に見えているのに。





 十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人。

 本当に昔は何にだってなれたのだと思う。

 でも大概の人は途中で気づいてしまうのだろう。

 だから皆諦めていく。

 同じような形に切り揃えられながら。


 最早、過去の自身とは似ても似つかない姿になっているのだろう。

 でも、きっとまだ遅くはないのだと思う。


 「人間、何度だってやり直すことができる。けれど、今はもう二度とやってはこない」


 生きている限りは幾らだってやり直すことはできる。

 しかし、何も考えずにのうのうと過ごしている間に今という時間は刻一刻と消えていくのだ。

 ならば今に全てをかけるべきなのではないか?


 働くのは生きるため。

 そうだとしたら、生きるのは何のため?

 それを探すためなんていう模範の回答は要らないのではないか?

 とっくに見つけているが見逃しているだけなのではないか?


 人生はたった一度きり。

 それなら、叶うかどうかもわからない夢に一生をかけてみよう。

 自分自身が夢を捨てなければ、夢は私達のことを捨てないはずだから。


 正直に言ってこんな偉そうなことを綴っているが、私だってできていなかった。

 ただ、今からでも遅くはないと思う。

 死ぬ迄に愛合えばいいのだから。


 人生で一度きりのチャンスが目の前にきたら絶対に掴んで離さないで。

 そのチャンスを掴むために全身全霊を。

 自身が決めたことならば、何だってできるよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても共感しました。 昔。どうしても逆上がりができなくて、一人だけ居残りさせられたことがあります。 私にはムリだよ先生。 そう言ったら先生が、 その気持ちが邪魔なんや。 と言って、何度も見…
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