45話 現れた竜の話
あれを、ワーグナーと呼んでいいのだろうか。
いや、確かに姿形は本人と同じまま。
時折聞こえる声もあの忌々しい音のまま。
だが、あの物体から放たれる呪力。
離れていてもわかる、絶望的なまでの禍々しい波動。
「やばいね、あれ。戦うとか以前に、触れちゃダメな気がするよ。」
軽い口調で言ってはいるが、ダンケルは身震いしていた。
「ですが、街に放たれればそれだけで市民が壊滅します。私たちがここで食い止めなければ……!」
リヴェットと呼ばれている女が握る剣には力が籠っていた。
勝てるビジョンが見えないといったところか……正直俺もそうだ。
戦うなんて次元の話ではない。
近づいただけでも無事では済まない、ワーグナーを取り巻く瘴気がそう囁いている。
「はは……無敵の力というのはこういうことか……!」
人智を歪めるような呪力の中心で、狂気に満ちた男は不敵に笑った。
「今の僕にはベクターも、あの男ですら手が出せない。まさに最強。
王に従わない人間を全て殺せば、平和な世界になりますね。」
ワーグナーが剣を握ったまま、のらりくらりとふらつきながら近づいてくる。
その目は俺たちを見ておらず、どこか虚空を見つめていた。
「……私が浄化魔法をかけ続ければ、あの呪力に負けずに戦えると思います。」
「いや、恐らく無謀だ。メロウの魔法がいかに優れていても、同時にあれに対抗できるのは一人が限界。それも長くは持たない———呪力が渦巻いておかしくなっている。」
「その通り。貴方たちはせいぜい絶望しながら、無意味な大逆罪のためにあがいてくださ———おや?」
まさしく悪魔のように笑うワーグナーを尻目に、俺たちの後方から羽音。
いや、翼音と言った方が正しいか。
心強いその気配は。
「……。」
「「リオン(さん)!」」
巨大な白竜の姿をしたリオンが、悠然とこちらに飛翔してきた。
その背中には、エルフが二人。
「パパ!!」
「助太刀します。」
娘のフィーネは、リオンから降りるとすぐさま傷だらけの父親の元へ走った。
「なぜここへ来た!?」
「フィーネも手伝う!パパやお兄さんを助ける!」
ベクターとフィーネはどちらも譲らずに衝突した。
そこに———、
「だからぬるいドラマはいらないっていったでしょうが!!」
「そうはさせません!!」
ベクターたちを貫こうと迫るワーグナーの剣は、二人を包むように現れた純白の光の柱に阻まれる。
そこから連鎖するように、次から次へと現れる光がワーグナーを狙う。
「チッ。」
いら立つように舌打ちしてから、ワーグナーはバックステップで引き下がる。
フィリアナさんはすぐにフィーネを抱きかかえて、俺たちの近くに来た。
「私とメロウちゃんの浄化魔法をフィーネの力で増幅すれば、呪いに気圧されずに戦えます。ここは戦いましょう。」
ベクターは下唇を噛んだ。
そして、隣に立つアルドの方を一度見た。
「……アルド、お前は魔法使いたちの護衛だ。死んでも守れ。」
「……承知。」
命令に従うようにして、アルドはメロウたちの前に立つ。
三人は魔法の詠唱、準備を始めた。
「……呪具に支配された成れの果て……我は貴様を許さない……!」
リオンが天に咆えた。
その咆哮はひりつくような刺激を俺たちに与えた。
「その竜……エトラの森に放った生き残りですか。王の信仰度を高めるために討伐される予定だったはずのお前が、どうして生き延びたのですか?」
「!!!」
リオンの紅く光る眼が険しくなり、敵を強烈に睨みつける。
「こうして邪魔となる可能性が想定できたのなら、他の竜と共に殺して毛皮と肉を採集するべきでした。」
「貴様は口を開くなあああああ!!!」
白いブレスがワーグナーへと殺到する。
奴は避けることもなく、魔力を集中させて障壁を展開。ブレスを防ぎ切った。
「呪力を相殺できるのならちょうどいい。お前たちが束になっても歯が立たないほどの、僕との実力差に絶望するというものです。」
これが引き金となり、戦いが始まる。
俺たち反逆者が、平和を目指す騎士から国を守るための戦い。皮肉なものだ。
☆
我は元々竜の生息する山奥で、十体ほどの仲間と共に平和に過ごしていた。
白竜は我を含めた二頭。そして残りはアッシュドラゴンと呼ばれる灰竜。率直に言えば、灰竜は竜の中では格が低い。
我の仲間の白竜が一緒にいようと言うから従っているだけで、我は灰竜に興味などない。
『ほら、遊ぼうよ。』
『興味がない。我はお前たちとの遊びなどせん。』
『そんなこと言ってさ、目はこっちを見ているよ。』
黙ってその場を離れた。
竜の群れは互いに名前を付けるようなことはまずない。
意志疎通はできるのだから、互いのことを判別さえできればそれでいい。
『遊んでこればいいじゃないか。見張りは私がやってやる。』
こいつが例の、もう一頭の白竜。
昔決闘をして、それから一緒に放浪している。
白竜種は攻撃性の低い種と言われているが、こいつはその中でも特に友好的だ。
なんというか、白竜としての誇りを持っていないようにすら感じる。
『貴様に借りを作るのは癪だ。我も残る。』
『そんなこと気にしなくていいのに。』
笑っているかのように歯を見せてきた。
どうも調子が狂う。
飯を適当に分けてから、灰竜の傍に座った。
『どうしてさ、ぼくたちと一緒にいてくれるの?』
一頭が不意に語りかけてきた。
特になんということもない。あいつが一緒にいようと言っただけだ。
『あいつに聞くがいい。我は何とも思わん。』
『でもさ、ぼくたちを嫌がらないんだから、君もいい白竜だよね。』
……。
『ただの気まぐれに過ぎん。あいつに見捨てられる前に、さっさと寝るがいい。』
『『『はーい。』』』
何でもない一日の終わり。
我とあいつは、隠れ家の洞穴の浅い部分に居座る。
白竜は守護の能力が高いから、夜分の見張りを兼ねる。
眠っていても、魔獣の魔力くらいなら気づいて対応できる。
『それじゃ、また明日。』
『……フン。』
そこに奴らが来た。
「どうしてドラゴン狩りなんか……。」
「仕方ねーだろ、ワーグナー隊長怖いし。あれ使えば俺たち戦わなくていいんだから、さっさと済ませようぜ。」
ある日の深夜、我たちは洞穴の中で眠っていた。
最低限の警戒心は残っていたが、魔術か何かで偽装した奴らの気配には気がつかなかった。
「一番近くにいるし、こいつでいいか。」
「早く済ませて下さい。起きると面倒です。」
「は、はい隊長っ!」
何か音が聞こえたような気がしたが、眠っていた我は抵抗することもできず、首元に何かを置かれた。
「よし、一旦逃げるぞ。」
「ちゃんと暴走してくれればいいけど……。」
あの時の我は、一体何をしていたのか。
もし時を渡る魔術があるのなら、この時に戻ってアレを破壊しているだろう。
「……オオ?」
変な心地がして、我は目が覚めた。
心がもやもやする。
これは呪いの残滓のような……頭が軽くなるような……。
『どうした?具合でも悪いか?』
隣の仲間が声をかけてくれた。
我の様子を見て心配してくれたようだ。
『あまり気分がよくない。さきほど声が聞こえたような……。』
『それ、どうした?』
彼が我の首元を見た。
その様子を見て初めて、我は自分に何が起きたのかを察した。
『これは……うぐ、う、あ。』
頭がもう回らなくなったことを覚えている。
自分の意志とは関係なく動いていたのに、記憶は鮮明に残っている。本当に忌々しい。
『まさか……呪具か!まずは落ち着———』
我は目の前の仲間の首に噛みついた。
そのまま肉を食いちぎり、噴き出すように飛びだす血液をすすった。
『あ、あ……』
『ぐ、う……私はもう持たないみたいだ……まだ自我が残っているのなら、仲間を頼む……』
力を振り絞るようにか細く告げてから、ぱたりと倒れ力尽きた。
彼の横たわる周りには、血だまりができている……我の口からも滴っている。
『どうして……こんなもののせいでええええええ!!』
「———。」
人の声がした。近い。
アイツらがやったのか?
呪具に侵されつつある中、我は友を見捨てて音のする方へと飛んだ。
一心不乱とはこういう状況を指すのだろう。
『貴様かあ!?我にこんなものを着け———』
「これで全部死んだか。」
「あの二頭以外が灰竜の群れであることは調査済みでしたから。あの白竜に牙を染めている血を見る限り、ジェイロスさんの呪具は正常に起動したようです。」
知りたくなかった。
人間がおよそ十人。
指揮官と思われる紫髪の細い男。
そして、統率のとれた白い隊服は皆紅色の模様を彩っている。
奥には我の仲間……だったはずのもの。
毛皮を切り裂かれ、内臓すら露出していた。
血だまりなんて表すことも憚れるように、赤一色で染まり切った視界。
灰竜という名前が間違っているようにすら感じさせる。
『———』
「悪く思わないでくださいよ。敬愛する王の威厳のため、竜狩りの実績がいるのです。」
「「「……。」」」
周りの人間の顔が青ざめる中、紫髪の男だけは飄々と話を続ける。
「灰竜は力が弱く魔力にも長けていない。竜を仕留めたという箔を着けるのに最適なんですよ。しかし、その群れにはなぜか白竜が二頭いた。だからこうして無力化している間に仕事を済ませただけです。」
『……貴様の指示か。』
「ええ。僕の計画に否定的な兵は力づくで制しました。」
……本当。
筒抜けになっている兵の心を読めばわかる。
遠のいていく意識の中、一瞬だけ、我は冷静になれた気がした。
「あとはお前を斬れば終了です。白竜の癖に灰竜と群れを成すからこんなことに———」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
全てどうでもよくなった。
とにかく、目の前のこいつを殺す。それで頭がいっぱいになった。
呪具に意識を取られ、本能のままに暴れる竜の姿がそこにはあった。
「うわああああ!!!」
「穴が崩れるぞ、逃げろ!!」
「……静まれ。」
「オオオアアアアアアアッ!?」
急激に身体が重くなった。
身動きが取れなくなり、頭を垂れる形になる。
「ふう……あの呪具すごいですね。急に大人しくなった。」
「回復する前に早く首を刈りましょう、隊長。」
「いや、まだ判断は先です。白竜は竜種の中でもランクが高い。もし市民に害をなす竜を衛兵隊が討伐することができれば?……呪具の力で命を僕が握っている以上、生き残りをここで殺すのは惜しい。」
許さない。
転生して、真っ先にあの男を殺す。
いや、殺すだけでは足りない。
全てを奪われる苦痛を、痛みを、絶望を———。
気が付くと、我はどこかもわからない草原に横たわっていた。
どうやら、我は生きているらしい。
そうか、あれは悪い夢だ。
あいつや、灰竜たちはどこに———ガシャリ。
首元に違和感があった。
金属音が響いた。
見下ろすと、そこには。
「……グ、ゴアアアアアアアアアアアアア!!」
我は一人、声が枯れるまで咆えた。
憤怒とも、号哭とも取れるような叫び。
悪夢なら覚めてくれと、救いを求めるような叫び。
だがそんなことは知ったことじゃないと、首元の金具は音を立てる。
あの夜ほど思考が狂うことはないが、力が出ない。
魔力が身体から抜けていく様を感じる。
仲間の亡骸を探すことすら叶わないようだった。
これまで生きていて初めて、自分の無力を実感してしまった。
数日、抜け殻のように生きた。
人間を何度か視認したが、あの男ではなかった。
あの男以外の人間に興味はない。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
「うわあああなんでここにドラゴンがいるんだよ!?」
「逃げるぞ!ギルドに報告だ!」
我が威嚇しようと咆えるだけで人間は全て退散した。
虚しかった。
我が一人だということを痛感する夜が続いた。
鬱陶しいと感じていたあの会話が、我の心の支えだったと気づいた。
人間が来ては確認し、追い返す日々を繰り返していたある日。
二重人格たちに出会った。
メガネが最初に呪具に気が付いていたように思う。
そして茶娘と二重人格が協力して我を攻撃し、忌々しい首飾りを破壊した。
あんな人間もいるのかと驚いた。
竜を道具としか思っていない男がいる一方で、襲い掛かる竜を傷つけることすら躊躇する甘い男がいる。
人間とは数奇な生物だ。
だから、我はこやつらと共に戦おう。
散って言った同胞のためにも。
自らの夢のために我をも魅了した、ダンケルのためにも。




