37話 魔王の修羅場の話
それは突然始まった。
この俺、レイブンに降りかかった一筋の闇。
「だから、レイブンさん……今日は一緒に入ってくれませんか!?」
ダンケルが発明した謎の薬で幼児化したメロウ、通称メロリちゃんの小さな口から発せられた爆弾発言。
顔を少し赤らめてはいるが、この様子を見る限り、冗談で言っている訳ではなさそう。
トゥルスディークを使って見破るまでもない。本心だろう。
「……」
当たり前の話だが、『はいそうですか』とあっさり承諾してはいけない。
今の姿が普段と違うとはいえ、今俺の目の前にいるこの子は紛れもないメロウ。
平然と一緒に風呂に入ろうものなら、俺が衛兵に突き出されるのは時間の問題。
なんなら、幼女に手を出したという罪が付加される。
「ダメ……でしょうか……。」
しょぼんとして下を向いてしまった。
「いや、俺がどうこうとかの問題じゃなくてだな。俺の前で脱ぐんだぞ?」
「それは大丈夫ですよ。……だって、明日にはこの身体じゃなくなってますし」
ああ。
ダンケルがメロウを懐柔する時に、そんな言い回しを使っていたような。
しっかり影響されてしまったらしい。
ダンが話術に長けているというのもあるが、なによりメロウが純粋なのが……。
「……俺は明日もこの肉体のままなんだが。」
「……私は平気です。物心ついて少しの間、お父さんと一緒に入っていたので。」
「俺が大丈夫じゃない!」
……ん?ブレインになれば平気か?
こっちに関しては、言ってしまえば作り物だから、生身のエクスカリバーをメロウに見られたとしても……。
よし、そうしよう。
おもむろに左手を返し、右手の人差し指を近づけて———
ガシッ。
「?」
「……」
紋章をなぞろうとした俺の右手は、彼女の小さな掌に阻まれる。
手首に、小さい子供特有の温もりを感じた。
あったかい。
「レイブンさん、それは禁忌です。」
明るい声で言われたが、目が全く笑っていない。
たまに見かける、圧の強いメロウだ。
「禁忌……だと?」
「ええ。私はレイブンさんとじゃないと絶対に嫌です!」
彼女の手に力が籠る。
痛くはないが、温もりが更に伝わってきた。手の柔らかさも相まって、抱擁されているような感覚が……。
「見た目の違いだけで、俺であることに何も変わりはないんだが、それでも嫌なのか?」
「そうですよ!レイブンさんは、もう少し乙女心というものを理解する必要があるみたいですね!」
頬を膨らませ、ぷりぷりと叱られた。
本音を言うと、『ごめん』より『可愛い』が先に口から出てきそうな光景。
「だが、俺は……」
「……!」
少し悩んでから、何かをひらめいたらしく、メロウがポンと手を叩いた。
何かいい方法を思いついたのだろうか。
互いに裸を見ることがないようにしながら、風呂に入る手段が———。
「……ぐすん。」
え?
メロウがおもむろに両手で顔を押さえ、鼻を鳴らすような声を出した。
その目には———涙!?
「やっぱり、私じゃだめですか……アシュミーさんみたいに胸も大きくない幼児体形だから……」
急に自らを悲観しだした。
まずい。ヒステリック……この場合は『メンヘラ』というんだったか?
いや今はどうでもいい。
「お、おい。俺はメロウの体形がどうこうって問題じゃなくてだな。」
「あはは……大丈夫ですよ、レイブンさん。私の身体に魅力がないのは知っていますから。一人虚しく、苦労しながら浴びてきます……。」
……。
確実に演技だ。
そもそも、今のメロウは幼児体形とか以前に実際に幼女になっている。
……ということは、これは俺に可哀そうと思わせることで、こちらの有利にことが進むよう誘導する作戦。
俺の性格を読んでのことだろうが、そうはいかない。
今回はメロウの希望よりも、俺の身の安全を優先させてもらおう。
そろそろダンケルに殺される悪寒がしているし、なにより絵面が最悪だ。
『俺とメロウが一緒に入浴』という事実がアイツやスイラン、アシュミーに知れたらどうなることか……。
だから、肩を落としてうなだれるメロウを見たとしても、キラキラと輝かせた目でじっと見つめてくるメロウを見たとしても、ダンケルが持ち帰るのを忘れたさっきの衣装をヒラヒラさせて、『私はこんな恥ずかしいことをしたのに!』と無言で訴えるメロウを見たとしても!
☆
あ き ら め た。
湯気で視界が白く濁る室内。
一定の湿り気を常に維持するこの空間では、全ての音が反響して聞こえてくる。
そして、俺のすぐ前には無垢な柔肌を全面に晒し、無防備にも背を向けて安心するメロウ。
「ふ~。ずっとレイブンさんに守られたままだと、心が落ち着きますねえ。私は力がないので、危ない大人の方は怖いです。」
「……今のこの状況、その危ない大人は完全に俺のことだと思うんだが。」
「レイブンさんは、こんな状況になっても私を襲うことができないくらいお人好しだから、大丈夫ですよ~♪」
俺は腰にタオルを巻いた状態で、別のタオルに石鹸の泡を染みこませ、彼女の小さな背中を優しく拭いていく。
嗚呼、罪悪感がえげつない。
今すぐにでも逃げ去りたい。思考と煩悩が爆発しそうだ。
「次は私の番ですね!」
お湯で泡を流し、すべすべになった肌を触りながら、メロウがこちらを向いた。
おい、色々見えてまずい。
反射的に、俺は目を閉じた。
これで何も見えな……。
「……。」
「なでなで」
間違いなく、目の前に胸やら肌やらを晒したメロウが立っている。
目は開けられない。
それをいいことに、メロウは俺の頭を撫でている。
「……こうでもしないと、レイブンさんは私に甘えてくれないじゃないですか。」
「……。」
「古傷が消えていない背中、ゴツゴツして固い肌。ずっと大変だったんですよね?安らぐ暇もないくらいに。」
小さくて柔らかい手で、身体のあちこちをぺたぺたと触れられる。
なんというか、くすぐったいな。
「口では面倒だとかリスクがどうだとか言っても、最終的には他人を放って置けない。それがレイブンさんじゃないですか。」
「……なんのことだか。」
「うふふ、レイブンさんのそういう所、私は嫌いじゃないですよ♪」
嬉しそうな声が室内に木霊し、肌に触れる感触はしばらく続いた。
メロウが全く警戒しないせいで、俺は彼女が部屋を後にするまで目を開けることができなかった。
疲れた……。
「どうして、お風呂に入った後なのに疲れているんですか?」
ぶかぶかのパジャマを見に纏い、さっぱりした様子でメロウが尋ねた。
俺の顔を覗き込むように身を屈め、ニコニコとしながら俺の様子をうかがっている。
ああ、今日に限ってはその無邪気な笑顔が憎い。
俺はある意味最悪の修羅場を乗り越え、ぐったりと伏せていた。
「当たり前だ……性犯罪者扱いをされるのは死んでもごめんだ。」
「私は平気なんですから、見ても問題なかったのでは?」
「口では分かっていても、実際はそう上手くいかないものだ。」
カオスとしか呼びようのない状況に、俺は頭を抱えるしかなかった。
これまで周りから魔王だとか化け物だとか言われてはきたが、自分から人の道を外れたくはない。
もちろん俺にも性欲の概念は存在するし、いつかはメロウと夜の□□もしたいとは思っている。
だけどさ、この姿のメロウは違うじゃん……。
見た目年齢が十歳も年下の幼女相手に、そんなこと考えられる訳ないじゃねえか……中身が普段のメロウだとわかっているとしてもさあ。
「それでは、ご飯にしましょう!じゃあ私はキッチンに———」
「俺も行く。」
今日は俺が家事をする日だ。そういうことにしよう。
またメロウの感覚的なアドバイスを元に、パスタを作った。
俺……実は料理の才能があったりして。
あのメロリの笑顔を見ていたら、料理の意欲というものも上がってくるな。
彼女自身も、俺の反応をモチベーションにして料理を続けているのかもしれない。
そして、修羅場その二。
「今日は一緒に寝てください♪」
「待て待て待て待て。」
自室から枕を取ってきて、胸元に抱えている。
もう俺の部屋……いや実際はメロウの親父さんの部屋だけど、に行く気満々だ。
この事件がそのまま進むと、さっきの風呂とは明らかに違う問題がある。
果たしてメロウは気づいているのか?
「なあメロウ。」
「どうしました?私たち、一緒にお風呂に入った仲なんですから、寝るくらい大丈夫ですよね?」
「やっぱりメロウ、若干性格もおかしくなってるよな?」
「?」
あどけなく首を傾げるメロウ。
……っと、問題はそこじゃなかった。いや性格の変化も面倒っちゃ面倒だが。
「わかっているか?ダンケルが言うには、明日の朝には薬の効き目が終わり、メロウは元の姿に戻る。
……俺とくっついた状態で。」
「それがどうかしまし……あ」
「今のその姿じゃ下着はつけられない。だから言い方があれだが……ノーブラで眠るしかない。
そのまま朝になったら……わかるな?」
「あ、ああ……!」
みるみる内にその小さな顔が赤く染まっていき、熟したリンゴのようになっていく。
流石にそれは恥ずかしいらしい。
「……という訳でだ。互いのプライバシーのためにもいつも通り別部屋で———」
「……それでも。」
ん?何か言ったか?
「……それでも、私はレイブンさんの温もりを感じて眠るんです!」
「はあ!?」
枕を盾にこちらへとダッシュし、ぱふっと衝突した。
「この身体はセルフポリモルフとは違う、本物の昔の私なんですよ。今は、子供としてレイブンさんと話すことができて、それで……。」
「……。」
これまでのことが想起される。
メロウはずっと、俺たちを助けてくれていた。一緒に戦い、共に行動し、そしてなにより俺を家に入れてくれた。
この社会において、十七歳はもう大人として扱われる。
だが、本当に十七年で子供が成熟できるのかどうかは疑問が残る。
ましてや、疫病や戦争で親を早くになくした子供も多い。
そうして、無理やり『大人として振る舞わざるを得なくなった』子供も多いだろう。
メロウもその一人だ。
表面は取り繕っていても、本心は……。
「……はあ。ま、今日くらいはいいか。どうせメロウは俺より先に起きるだろうから、俺がベッドで元に戻ったメロウを見ることはないだろ。」
「! ~♪」
急に顔がぱあっと明るくなり、枕越しに頭を摺り寄せてくる。
性格も少し幼くなっているのは、そういうことかもしれない。
明日には元に戻ってしまうのなら、今日くらいは甘やかしてあげよう。
ダンケルもそう言っていたことだし。
「♪~」
「……メロウは今、自ら成人した男のベッドへ乗り込もうしているわけだが、俺に襲われる可能性とか考えないのか?」
振り返ったメロウは、わかりませんと言わんばかりに首を横に傾けた。
あれ、俺間違えたこと言ったか?
「???」
「……どうした?」
「レイブンさんが私を襲う……?それはどこの世界線の話ですか?」
……。
ダメな方向に信頼されちゃったか。
俺、魔王の癖に目の前の女の子から無害認定されてる件。
「メロウの将来が不安だ。いつか悪い男に騙されるんじゃないか。」
「レイブンさんが守ってくれますよね?将来もずっと!」
「……。」
ベッドへ向かった。
〜日々のトレーニング記録 その八〜
・ドレッドアーケアの討伐
・暴走したライネスの鎮圧
・ダンケルとの殴り合い
備考
昨日は本当に大変だった。
謎のドレッドアーケアが乱入して戦う羽目になったし、呪具で狂ったライネスはやたら守りが硬かった。あれが妹を守る兄の意地というやつか。
ダンケルとの殴り合いは他愛もない茶番のようなもの。ふざけた薬のせいで大変な目に遭った。
……メロリが可愛いのは否定しないが。
☆
修羅場その三が俺に襲い掛かる。
「……!」
「すう……すう……」
これは偶然か、あるいは神の悪戯か。
朝目覚めた俺の隣に、本来いないはずの物体が存在している。
……メロウ、どうして今日に限って俺より起床が遅いんだ。
「すう……すう……」
パジャマ姿のメロウが、俺とくっついたまますやすやと眠っている。
———しっかり元の十七歳の姿に戻った状態で。
女の子特有の甘い香りが鼻をくすぐる。
そして、まつ毛の数を数えることすらできるくらいに密着し、柔らかい肌の感触が全身に感じる。
まずい……がっちりホールドされているせいで逃げられない。そしてどれだけ意識を逃がそうとしても、くっついている身体の感触が———ちょっと待て。
起こさないようにそっと、メロウの背中に腕を伸ばした。
そして胸元辺りの高さで、パジャマ越しに背中をなぞってみる。
……。
少しの間彼女の背中をさすって、すぐに気づいた。
ファッションにはかなり疎い俺でもわかる。
わかってしまった。
メロウ、本当にブラジャー着けてない。
その瞬間、俺は自分の胸元への意識を逸らすことが全くできなくなった。
……しっかり密着している。
控えめではあるが、例の膨らみの感触を二枚の布を隔てて感じる。
これ、生なんだよな……。
そっと視線をずらすと、はだけたパジャマの隙間から双丘の谷間がちらりと見えた。
あの魅力には、男として抗えない魔力が。
がっつり寝ているし、今なら見ても……。
待てレイブン。
確かに今はメロリではなくてメロウだが、これも立派な犯罪だ。
そもそも寝ている間に覗くなんて人間として最低じゃねえか。
メロウは『レイブンさんは私を襲ったりしない』って信用してくれたから、今こうして平和に眠っているんだ。
……俺は賢者、俺は賢者。
賢者はその場の欲に流されたりしない。
「んん~っ」
「!!」
やべえ目覚めた!
とりあえずここは……。
「z……zz……」
「ふああ……元に戻ってる。ダンケルさんの薬の効果は切れちゃったみたいですね。」
がさりと布団が動く音がして、俺に絡みつく腕が解けた。
メロウが起き上がったようだ。
……目を閉じているから見えないけど。
「ん、レイブンさん、おはようございま……まだ寝ているのかな。」
「z……」
俺が起きていることには気づいていなさそうだ。
このままやり過ごしてしまおう。
「おかしいなあ……。普段なら、もうレイブンさんは起きているはずなのに。レイブンさんが起きる時間から、少し遅れて目覚めるように魔法を調節したのに。」
ん?なんだそれ?
「ノーブラで、パジャマ一枚の姿でこれだけ密着したままレイブンさんが起きたら、いくら紳士で女の子に耐性がないレイブンさんでも、こっそりボタンを開けたり、服の上から胸を触るくらいはしてくれると思ったのに……。」
ん?は?
一体何を言っているんだこの子は??
「はあ……やっぱり私の身体って魅力ないのかな……。次はダンケルさんに豊胸効果のある薬、譲ってもらおうかな……。」
寂しそうに一人ぼやきながら、てくてくと歩いて別の部屋へと歩いていった。
どうやらもういないようだ。
俺は目を開けて起き上がった。
とりあえず、寝たフリでなんとか助かったようだ。
なんとなく、自分の寝間着に鼻を近づけた。
……さっきと同じ、メロウの甘い香りがする。
メロウの独り言、何だったんだろう。
真面目でしっかり者だが、恥ずかしがりやで下ネタが苦手な女の子というイメージだったが、意外と積極的な部分があるのかもしれない。
「そりゃ、まだ知り合って日が浅いし、メロウのことをちゃんと知っている訳がないか。」
これだけ時間を置けば、寝たフリをしていたことはバレないだろう。
立ち上がって、彼女の元へと歩いた。
「あっ!おはようございます!」
「……おう。」
にこやかな笑顔が眩しい。
その笑顔を守るために俺は戦っていると言っても過言ではない。
———いくらレイブンさんでも、胸を触ったり———
……メロウの顔を直視できない。
「? どうかしましたか?」
「いや……なんでもない。」
頼む。そこまで近寄らないでくれ。
さっきの独り言を媒体として、俺がおかしくなる……。




