第75話 《剣聖》リシャールの追放と再起
王弟にして公爵の息子である《剣聖》リシャールのプライドは傷だらけだ。
《回復術師》クロードとの決闘に、自慢の剣術で敗れ。
元婚約者であるレティシアとの試合に敗れ。
ドラゴン討伐の手柄をクロードに持っていかれ。
そして王女ルイーズとの試合で手を抜いた挙げ句、いざ本気を出した途端に敗れた。
今まで順風満帆に生きてきたリシャールにとって、それは人生最大の屈辱だった。
さらに、王国武闘会の後に開催されたパーティの翌朝。
衝撃の事実が、ルイーズによって明かされた。
──マリーが、クロードとキスしようとしてたわよ。
リシャールは激怒した。
マリーは彼の婚約者、不倫など許せるはずがない。
当然、「クロードの方が先に手を出したに違いない」と反論した。
だがルイーズとクロードは一貫して、マリーから仕掛けてきたと主張した。
よく考えてみればマリーは、婚約者持ちのリシャールからの求めに嬉々として応じたのだ。
元々彼女には、不倫や略奪愛の素質があったのかもしれない。
そもそも、もし仮にマリーが金や権力目当てでリシャールを受け入れたとするならば、もう彼にはその価値はない。
次期女王ルイーズとの婚約が内々定となったクロードのほうが余程価値がある。
リシャールが見限られるのも無理はない。
リシャールとマリーとの出会いは、最悪だった。
パーティでマリーにぶつかられた挙げ句、無遠慮に毒舌を吐かれたのだ。
ちなみに当時のマリーは、相手が王弟の息子だということを知らなかったらしい。
初めて会った時リシャールは、こう誓った。
いつか必ず屈服させてやる、と。
リシャールはマリーとの交際を始め、性交渉まで済ませた。
貞淑な婚約者レティシアよりも刺激的で、愛おしいと感じてしまったのだ。
──出会いが最悪だったからこそ、最高の恋人。
リシャールはそう思っていた。
──だが、気づいてしまった。
恋は盲目だということに。
マリーが愛していたのは、リシャールの地位と権力だけだったということに。
◇ ◇ ◇
「子爵令嬢マリー、本日をもって貴様との婚約を破棄する!」
パーティから数日後、自邸の応接室にて。
リシャールは父親・ルクレール公爵と婚約者・マリーを呼び寄せ、怒りとともに宣言した。
「リシャール、どうしたというのだ! 最近の貴様はどこかおかしいぞ!」
「そうですわっ! 落ち着いてくださいませ!」
──何が『落ちついてくださいませ』だ!
うろたえるマリーにリシャールは叫びたくなったが、グッと堪える。
「マリー、貴様はクロードを誘惑したそうだな」
「し、してないです!」
「とぼけるなッ! こっちはクロード本人とルイーズから全部聞いたんだ。貴様が奴にキスをしようとしたってことを!」
マリーは顔を真っ青にしながら押し黙る。
リシャールの父親もまた、冷や汗をかいていた。
「権力が欲しいのなら、ここから即刻出ていけ! そしてクロードに媚びろ!」
「何をおっしゃいますの? あなたこそ劣情に駆られ、一時の気の迷いでレティシア様との婚約を破棄したのではないのですか? そんなに人肌が恋しいのなら、ご自慢の金と権力で女を買えばいいじゃない!」
「貴様ッ! 子爵の娘の分際で、王弟の息子たるこの僕を侮辱するか!」
「──やめよ!」
父親の大声に驚き、リシャールとマリーは口論をやめる。
父親は溜息をついた後、静かに語る。
「リシャール。申し訳ないが、マリーがクロードをたぶらかそうとした件については、すでにルイーズから聞き及んでいる」
「なっ……父上、なぜそれを私に隠していたのですか!? なぜ婚約破棄をしようとしなかったのですか!?」
「それは、我がルクレール公爵家を存続させるためだ。貴様が怒りに身を任せて婚約破棄宣告をせず、黙ってマリーを許しておれば、公爵家は安泰だったのだ。世継ぎを産ませれば、それでよかったのだ」
「それを貴様は……!」と、父親は手で顔を覆う。
彼の説明を受けて、マリーは震えていた。
「お、義父様……ご存知、だったのですね……」
「リシャールが婚約破棄を宣告した以上、私は貴様の『義父様』ではない。去れ」
「そ、そんな……」
父親であるルクレール公爵は、冷静な声音で騎士を呼ぶ。
そして泣きっ面のマリーを、屋敷からつまみ出させた。
でも、これで本当によかったのだろうかと、リシャールは思い悩んでしまった。
そんな彼に追い打ちをかけるように、父親は絶望しきった表情で言う。
「もうルクレール公爵家も、当代で終わりだな」
「──なっ!? また結婚相手を探せば──」
「無理だ。二度も婚約破棄をした、器の小さい無能には──今から貴様を追放する。荷物をまとめて出ていくがよい!」
「クソッ!」
リシャールは椅子を力任せに蹴り、私物を持って屋敷を出た。
◇ ◇ ◇
「はあ……」
王都の噴水広場にて……
平民が着るような服を着たリシャールは、夕日を眺めながらたそがれていた。
身の回りのものを処分して、なんとか生活費の工面はできた。
今リシャールが持っているものは、一振りの剣のみである。
「まさかこの僕が平民になるとは思わなかった……もう、冒険者になるしかないのか……」
「──あれ、リシャール選手じゃないですか!」
リシャールが頭をかきむしっている最中、突如として声をかけられた。
振り向くとそこには、一人の男がいた。
確か彼は王国武闘会に出場していた《勇者》で、同じく《勇者》のルイーズに負けた男だったはずだ。
「人違いだ。そんな奴知らない!」
「いや、リシャール選手ですよね!? ──あ、俺はガブリエル。天職は《勇者》です」
ガブリエルと名乗った男は「これ、食べます?」と言って、クレープを差し出してきた。
下民から餌付けされたくないと一瞬だけ思ったリシャールだが、少しでも食費を節約したいがために受け取った。
フルーツとクリームがふんだんに使われたクレープを貪る。
甘くて美味しかったが、女性が好きそうな味だった。
「リシャール選手、なにかありましたか? さっき、めちゃくちゃ悔しがっていましたよね?」
「……僕はね──」
リシャールはガブリエルに、身の上話をする。
自分の不幸を話すことなどプライドが許さないのだが、そうも言っていられない。
他人に悩み事を話すことで解決策が提示されるのであれば、それに頼るしか他にない。
それが、底辺に身をやつしたリシャールの答えだ。
ガブリエルは彼の話を、静かに聞いていた。
「──クロードに負けて以来、僕は何もかも失敗続きだ……」
「そうですか……俺と同じですね」
ガブリエルは少し前までクロードとパーティを組んでいたが、バカげた理由で追放したらしい。
しかしそのクロードに命を救われ、更に《勇者》のアイデンティティである聖剣まで奪われたという。
だがガブリエルの表情は何故か、とても明るかった。
もしかして彼は、クロードに影響されたのだろうか。
「リシャール選手、実家を追放されたんでしたら……今、生活とか仕事とかに困っていたりしますか?」
「そうだな……《剣聖》という天職を生かして冒険者になるべきだとは思っているが、仲間がいないから困っていると言えば困っている」
「だったら、俺たちと組みませんか?」
優しげな目をしながら、ガブリエルは誘う。
リシャールは少しだけ、救われた気がした。
ガブリエルと彼の仲間である《聖女》は王国武闘会のベスト16であり、実力はかなりのものだ。
他の有象無象と組むくらいなら、彼らと組みたい。
それにガブリエルは、「打倒クロード」という目標を掲げているという。
クロードを平伏させたいという気持ちは、リシャールも同じだ。
「分かった。その……よろしく頼む」
「ありがとうございます、リシャール選手。《剣聖》と《勇者》と《聖女》がいれば、無敵です」
「ガブリエル……だったか。僕のことは『リシャール』と呼んでくれ。タメ口で話してくれていい──僕はもう、平民だから」
「そうか……分かった、リシャール。その覚悟があれば、あんたはやり直せると思う」
ガブリエルは手を差し伸べてきた。
リシャールはその手を取り、力強く握りしめる。
「じゃあ、俺の仲間を紹介するよ。一緒に来てくれ」
「ああ」
ガブリエルに連れられ、リシャールは歩き出した。
◇ ◇ ◇
連れられた先は、王都にある大聖堂だった。
ガブリエルの仲間である《聖女》は冒険者稼業の傍ら、旅先の教会で聖職者の仕事もこなしているらしい。
彼女が聖職者として務めを果たしている間、ガブリエルはソロで魔物を狩っているそうだ。
「ジャンヌ、お疲れ──悪い、クレープ売り切れてた」
「いえ、大丈夫です。魔物討伐お疲れ様でした、ガブリエルさん──ところで、その男性は……?」
ジャンヌと呼ばれた少女は、不思議そうにリシャールを見る。
リシャールはその顔に見覚えがある。
王国武闘会ベスト16の《聖女》だ。
平民の中でもダントツの美少女だったので、よく覚えている。
「僕はリシャール、天職は《剣聖》だ」
「初めまして、私はジャンヌと申します。ところでリシャール様、王国武闘会で第4位だった方ですよね? でも、その服装は……」
「実家を追い出されたんだ」
リシャールは事情をすべて説明する。
するとジャンヌは口元を押さえ、眉をひそめた。
「それは大変でしたね……」
「やけになっていたところを、ガブリエルに話しかけられた。で、一緒に組むことになった──その、よろしく頼む……」
「こちらこそよろしくお願いしますね」
ジャンヌは気持ちのいい笑顔を見せる。
底辺に身をやつしたリシャールには、それはあまりにも眩しすぎた。
「しかし、今日は迷える貴族の子女が多いですね……」
ジャンヌはポツリと呟く。
それにガブリエルが反応した。
「何があったんだ?」
「いえ、婚約破棄されたという令嬢が、こちらにお見えになったのです。実家に顔向けできないと泣いていたので、相談に乗ってあげました。天職が《賢者》だったので、当面の間は冒険者仲間になってもらうことにしました」
リシャールには、妙な胸騒ぎがあった。
婚約破棄と《賢者》という言葉には、身に覚えがある。
ガブリエルは少しだけ顔を赤くした後、ジャンヌに問う。
「へえ……今すぐ紹介してくれ」
「ガブリエルさん、変な気を起こさないでくださいね?」
「起こさねえよ。ただ、一緒に冒険する奴が信頼できるかどうかを確認したいだけだ」
「物は言いようですね……ふふ」
ジャンヌはガブリエルに笑いかけた後、一旦奥へ引っ込む。
そして一人の女を連れて戻ってきた。
「──リシャール、様……」
「貴様……マリー……!」
そう……《賢者》の天職を持つ、婚約破棄された令嬢とは、マリーのことだったのだ。
──この女のせいで、自分は破滅してしまった。
冒険者仲間として、背中を預けられない。
リシャールは怒りに震える。
しかしそれとは裏腹に、この女を愛したいという気持ちが湧き上がってくる。
その上に、今ここで喧嘩をしてガブリエルたちを困らせてしまえば、もう二度と冒険者仲間には恵まれないような気がする。
だからリシャールは、怯えた目をしているマリーに一礼をする。
「──初めまして。僕はリシャール……平民の《剣聖》です」
「えっ!? あの、私の事をお忘れですか!? それに『平民』とは、どういう──」
「貴族であるあなたとは初対面です。これからよろしく、お願いします……」
リシャールはプライドを押し殺し、唇を噛む。
するとマリーは察したのか、満面の笑みでこう言った。
「私はマリーと申します……よろしくお願いしますね? ──って、唇から血が出ています!」
マリーは純白のハンカチを手に取り、リシャールの唇を拭う。
唇に触れる布地と指の感触、そしてハンカチに染み付いていた甘い香りは、リシャールにとって少し心地よかった。
その後マリーは、《賢者》が使える回復魔術で傷口を癒す。
「ありがとう、ございました……」
「いえ、いいのです。私がしたことと比べれば、これくらい……」
マリーは浮かない表情をしている。
だが、今一番重要なのは──
「よし! ジャンヌ・リシャール・マリー、これから飲みに行くぞ! 俺のおごりだ!」
そう、リシャールには新たな仲間が3人もいる。
彼らとなら、なんとかやっていけるかもしれない。
リシャールは「僕の酒代は安くないぞ、覚悟しておけ!」と、意気揚々とガブリエルについて行った。
次回、第3章『世界最強の回復術師』突入──
乞うご期待!




