無知という罪
小学校でもまだ小さかった頃の話。私は運動会の当日朝、全校生徒がグラウンドに集められた中、待ち時間の整列を保っていた。
とは言え各自教室から持ち出してきた自分の椅子を並べて座っており、楽な体勢ではあった。数百の人波に飲み込まれ、どこか現実から抜け落ちたような意識でそこに居たのだった。
「なあ、こいつの名札見てやってえや」
不意に、前列の上級生ふたり組が振向き、私たちに呼びかけた。
「これ何て読むと思う? 正直に言ってくれていいから。マジで」
馬渕。
指し示された胸の名札には黒の油性マジックで、確かにそう書かれていた。しかし後列の我々は低学年である。「馬」は読めるが「渕」をどうするか、周囲の皆は顔を見合わせていた。
こういう時はいつも、直感の働く私こそが真っ先に口を開いたものだ。「馬」と組み合わせる単語はこれしかない。
「ばふん!」
私は殆ど叫ぶように答えた。
その一言に周囲は爆笑、名札を指していた上級生も笑っていた。しかしその馬渕君だけは、苦い表情で俯いていた。
「せやんなぁ。やっぱりそう読めるよな」
「……なあ皆。これな、ほんまは『まぶち』って読むねんで」
明らかに気落ちした馬渕君を慰めるような態度で、呼びかけたほうの上級生が、我々に正答を教授した。
私が当時の学力をもって臨むとすれば、どんなに長考したところで「ばふん」以外の単語は思い浮かばなかったことだろう。
しかし、だからこそ言いたいのだ。無知は罪であり、人の心を刺し得るものであると。我々が学ぶ意味はそこにある。




