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人生は、小説よりも  作者: 聖沢 雅
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ようこそ

 ふたりの「おじいちゃん」の話。とは言いながら、あまりに幼い頃の記憶も多々あり、あやふやになっているところがあるかも知れない。




 父方の祖父が胃癌(いがん)(かか)り、いよいよかと父母両家の面々が集まったのは、まだ私が小学校に入る前のこと。祖父は五十代だった。


 地元の有力者であり、残される我々の未来を考えるなら、死んではいけない人物。よって早世の結果、没後十年ほどを(もっ)て父方の中川(なかがわ)家は滅亡。私たちは散々(ちりぢり)になる。


 さて。親族一同で祖父の病床を見舞ったその当時のことを、母方の祖父が日記に残していたのだ。随分(ずいぶん)経ってから、私はそれを目にする。


「苦しいようで時々(うな)っているのを見た家族が何度も気遣(きづか)って声を掛けていた。唸るくらい自由にさせてやったらいいのにと思う。声を出せば、いくらか楽になることもあるんだから」


 自身も数年前に癌で胃を全て摘出(てきしゅつ)しており、あの苦しみを理解できる唯一の人だったかも知れない。


 程なく父方の祖父は逝去(せいきょ)。父を(うしな)った父の、弔辞(ちょうじ)を読み上げながら涙を(こら)える姿と声が、幼かった私には笑っているように見えて滑稽(こっけい)だったのを覚えている。父は泣くことなどない人だった。


(みい)ちゃんの鼻、もうちょっと高くならんかな」


 産まれたばかりの私は鼻筋がほとんどなく、漫画に描かれた(ぶた)のような外見だったそうだ。


 祖父は顔を合わせる度に、私の鼻を指でつまみ矯正(きょうせい)しようとしてくれた。そのせいで、幼い私にとっての祖父は「いつも鼻をつまんでくるおじいちゃん」。勿論(もちろん)、当時それが嫌だった。


 しかし祖父が亡くなって以降、何故か私の鼻は高くなっていくのだけれども。




 それから二十年と少しが経過、父も祖母も亡くなり、私達三きょうだいも聖沢(ひじりさわ)姓となって、中川の家は完全に絶えてからのこと。今度は母方の祖父に順番が回ってくる。


 脳梗塞(のうこうそく)で半身が動かなくなり、あの背筋(せすじ)が真っ直ぐな立ち姿はもう見られない。絵や模型など数々の芸術を生んでいたあの右手にも、回復の望みはなかった。それから末期癌の診断が出た。


 祖父にとって生涯の伴侶(はんりょ)が言っていたそうだ。


「おとうさん、昔は歩くの早かったから、独りですたすた何処(どこ)へでも行ってしまわはったやろ。せやけど今はゆっくり動かはるさかいなぁ、いつでも一緒にいられて嬉しいねん」


 介護の重みを打ち消してしまうほどの愛情、度量が祖母にはあった。


 実家を離れ(ないがし)ろにしていた私の元へも、ついに連絡が来る。


「おじいちゃん、そろそろあかんみたいやから、帰ってきてあげて」


 祖父は太平洋戦争の経験者であり、年も八十八(べいじゅ)を越え、死というものをおそらくは私の何十倍か見てきた人だ。


 いつも飄々(ひょうひょう)として、それでいて男前で、そんな人の命が終わるという事実を、私は異様なほど淡々(たんたん)と受け容れていた。


 祖父が死を(おそ)忌避(きひ)することなど、まったく想像できない。だから、これはもう単に我々「残される側」の問題だった。


 安心してもらえるように、笑って会おうと思った。


 病院の広い廊下を歩き、病室を探す。父方の祖父を看取(みと)った病院は、暗く陰鬱(いんうつ)としていて、もっと死を身近に感じられるような場所だった。


 二十年経った今は違っていて、まるで何か楽しいイベントでもあるかのような雰囲気。しかし私は、あの時よりもずっと高く伸びた鼻で、あの時とさほど変わらない匂いを感じていた。


 祖父どころか、母に会うのも久々だった。表札(ひょうさつ)を見つける。引戸をゆっくりと開く。


「こんにちはぁ」


 カーテンをよけると、からからに痩せ細った祖父が数多(あまた)(くだ)に繋がれていた。母はその傍に座っていた。


「おじいちゃん、来たで、(みやび)やで。今日は仕事が()よ終わったし寄ったんや」


 祖父は眼を見開き、口を動かした。


「何や、何て?」

「ようこそ、って言うたはるんや」


 母には聞き取れたらしい。


「ようこそ」


 改めて差し出された左手に私が応じると、祖父は思いもよらず強い力で私の手を握りしめ、上下に振ってみせた。全力で歓迎を表明してくれている。


 いくつか他愛ない話をした。内容は覚えていない。祖父が(ほが)らかなままでいて、嬉しかった。


 しばしば聞き取れない祖父の言葉は、母が通訳してくれた。それは親子だけに伝わる言葉なのかも知れなかった。


 ただ、どうもそろそろ意識が清明(せいめい)でなくなっているらしく、(ある)いは話すことが疲労を早めるのか、途中でふにゃふにゃになって、母でもわからないことが何度かあった。


 その度に祖父は笑っていた。声は力なくとも、楽しそうに笑った。


「お父さんな、もうあんまりわかってはらへんかも知れんわ」

「わかっとるよ」

「おじいちゃん、わかっとるて言うたはるわ」


 三人で笑い合った。


 祖父の口周りを拭う母に、窓から陽が射し込み創られた光と影の対比(コントラスト)、満ち足りた表情で横たわる祖父の姿が、私の瞳にはレンブラント・ファン・レインの絵画の様に映った。


「ほな、また来るわ」


 去り際。私が笑顔で発しておいた言葉は、やはり数日後、嘘に形を変えた。享年(きょうねん)八十九。


 その後、()ぐに祖母も立ち上がれなくなり、後を追うように亡くなる。




 私にとっての「死」は、母方の祖父が居たあの病室で、はっきりと姿を(あらわ)した。一度(ひとたび)見えてしまえば何ということもない、近しい者の前ですら笑えなくなることが、死よりもずっと怖いのだと悟った。


 少しずつ私もあの笑顔に、あの笑い声に近づいていくのだろう。死に方の御手本(おてほん)は、もう私のなかにある。


 ようこそ。


(終)

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