ミミガージャーキー
弟が中学校の修学旅行から帰ってきた。沖縄へ行ってきたらしい。様々の土産物。
他は何だったか、記憶から零れていってしまったが、今もひとつだけ忘れられない一品があるのだ。
ミミガージャーキー。
どうやら豚の耳を干したものらしい。それが、駄菓子のような包装の小袋に入っていた。
「これ何!?」
「ミミガージャーキー」
「きもちわる」
私を含めた、家族全員から弟へ非難の嵐。
もともと我々、聖沢家は二度、旅行で沖縄へ出かけた経験があり、そのなかで「沖縄の食べ物はおいしくない」というのが定説となってしまっていた。
そこに唐突なミミガージャーキーである。自らを擁護するなら、否定的な反応も無理はない、と言おう。
台所の向かいに置かれた固定電話の棚、その引出しに我が家の菓子類は収納される。ミミガーも例に漏れず、その中に置かれた。
一週間が経ち、また次の七日が巡る。
帰宅時、食後、何気ないひととき、私はお菓子の引出しを開ける。嫌でも目に入る、ミミガー。
誰かが間違えて食べるだろう。
誰か食べろよ。
誰か片付けろや。
……それでもミミガーは、そこに在った。
一ヶ月は経過していただろうか。ある日、引出しを開けると、ミミガージャーキーは消えていた。
「なぁ、ここにずっとあったミミガーは?」
私は母に尋ねた。
「知らんで。弟ちゃんが食べたん違う?」
母は、そう答えた。
その時になって初めて、私は考えるのだった。あれは弟なりに、家族を喜ばせようと思って買ってきてくれたのだ、と。中学生だもの、きっと沖縄らしい土産を見つけて嬉しかったんだろう。
それを私たちは「手をつけない」という形で拒否してしまった。おそらくは弟を除いて誰ひとり、ミミガーに触れることもしなかった。
引出しを開けるたび、私はミミガーが減っていくことを願ってしまっていた。しかし家族は四人しかいない。私が無理にでも食べなければ、ミミガーは減るはずもない。
もしかするとあの時、母は嘘をついており、秘密裏にミミガーを棄てたのかもしれない。もしくは、やはり弟が独りで食べたのかもしれない。
10年経っても15年経っても、あのミミガージャーキーの記憶は私を苦しめる。
弟には何の罪もない。私たちが悪かったとも考えたくない。そう、ミミガーが悪いのだ。ミミガーのせい。あんなもん売っている店が悪い。ほんま理不尽でごめんなさい。