母のエゴサーチ
母はきれいな女性だった。
23歳のとき産んだ子が、長男である私。ということもあり、とても若い。
授業参観の日なんかは、我が母だけ自ら発光でもしているかのように輝いていて、同級生から「おまえの母ちゃん美人やな」と言われるのが常だった。
……なんでこんな類人猿みたいな私が生まれたか、それは置いておこう。端的に言えば父のせいである。
とは言え、誰も年をとる。そして母の場合、見た目はまあまあ若くとも機械に弱すぎるところは原始人のようだ。移りかわる時代に、まったくついて行こうとしない。
そんな母が50歳になったくらいの頃だったか、家にノートパソコンが来た。
今まで二階に置いてあったデスクトップのパソコンには触れようともしなかった母が、居間でYouTubeなんかを観たりするようになったのだ。
時代は巡る。原始人だって火を使う。
そこで何を思ったのか、無知で無垢な母はGoogleに「聖沢 いずみ」と自身のフルネームを入力、検索したらしい。なかなか無鉄砲である。母よ、インターネットというのは怖いとこなんやで。
結果、自分についての書き込みを見つけてしまった。「人探し掲示板」にて。
「投稿者 48歳 マツモト
京都出身、○○年生まれの聖沢いずみさんを探しています。今でも元気でやっているのかなあ。情報よろしくお願いします」
完全に一致しており、まさに母のことだ。投稿は3年前。
結婚していったん姓が変わり、色々あってまた元の聖沢姓に戻ってきた母と子。
「雅、見て見て。こんなん出てきた」
「何やな?」
むしろ私のほうが、書き込みの主に興味をもった。母に尋ねてみる。
「……ふーん。『聖沢』で探してるから、たぶん同級生、いや違うな。一こ上か。中学か高校でマツモトって人、いた? 先輩とか」
「んー、いたかも知れへんなぁ」
「結婚して名字変わってたから、このマツモトにとっては消息不明みたいになってたんやろ? ここに本人いるで、って言うたろか。なんか面白いやん」
私がそう言うと、母は少し考えてから、言った。
「いやぁ、やっぱりいいわ。もう何十年も経ってるしなぁ。その人が想ってくれてる私と、今はもう違うやろ。
探してくれてた人がいる、ていうだけで十分、嬉しいねん」
母は中学、高校と相当にモテたらしい。他校の生徒が見に来たり電話してくることもあった、とか何とか。
マツモトという人と母がどういう関係だったか、は聞かなかった。
ただ母の選択は、相手にとっての「きれいな」思い出を、きれいなまま残すのだろう。
だから訂正。母は今でも、きれいな女性だ。
ちなみに2020年3月現在、母は未だにLINEができません。ガラケー。