第五話 最初の使命
「どうしよう......どうしよう......」
病院の廊下を走りながら、必死に方法を考えているが、段々と強くなってくる悪魔の気配に対して有効な手段が思い浮かばない。
「りょうが君に............ダメだ。連絡先わかんないし......。なんとかしないとみんなが......!」
気配を辿りながら走り続け、たどり着いたのは手術室の前、と言っても今は使われていないようで置いてある色々な機材もかなり古い型のようだし、半分は物置のような扱いになっているようだ。
「この中に......」
扉の前でどうするべきか決めかねていると、突然後ろから肩を叩かれた。
「なにをしてるんだい?」
驚きながら振り返ると、そこには真祈奈が立っていた。
「まきなちゃん......!? ダメ! ここにいたら......!」
「......ああ、キミを信頼してるから大丈夫さ」
「え......? 私を信頼......? どういうこと?」
「ああ、そうだった。キミは覚えてないんだったね」
真祈奈はやれやれといった口調で天音の肩を叩いた。
「まあ、やってみる方が早い。ほら行くよ」
真祈奈は天音の背中を押して手術室へと入った。
中に入ると、そこは薄暗くなっていて、不気味な雰囲気が充満していた。
「悪魔の気配は辿れてるみたいだし、きっとできるはずだ」
真祈奈は天音の耳もとでそう呟いた。
「え......悪魔!? なんでそのことを......!?」
「ほら、ちゃんと前見て」
動揺する天音の言葉にこたえることなく、真祈奈はさらにこう続けた。
「キミには普通の人間にはない力がある。その力を使って、今度はキミが人間を救う番だ」
「ちょ......ちょっと待ってよ......! 全然わかんないよ! 一体何のことなのか......」
天音は真祈奈の言葉を遮るように抗議した。
「......さあ、キミの最初の使命だ。キミが力に相応しい存在なのか、ボクに見せてよ」
真祈奈がそう言った瞬間、辺りは真っ黒な影に包まれた。この感覚は記憶に新しい。そう前に怪物と遭遇した時のあの感覚────。
目の前に現れたのは、今度は巨大なライオンのような怪物だった。全身から火が吹き出していて体の形すらよくわからない。顔のような部分は上下逆さまで、牙は口からはみ出してしまっている。たてがみのような部分は真っ赤な炎で形作られている。
「奴らは人間の存在を憎む悪魔さ。アレを倒すことがキミの最初の使命だ」
「そんな......! できっこないよ......!」
「そこでボクがあげた力を使うのさ。キミならできるはずだよ? ほら、見せてごらんよ」
真祈奈はそれだけ言い残し、真っ黒な世界の外側へと消えた。
「ま......待って!」
天音は慌てて追いかけたが、追いつくことはできず、外にも出られなかった。
ハッとして振り向くと、悪魔はすぐそばまで迫ってきていた。
天音はただひたすらに走った。悪魔の方を見向きもせず、ただがむしゃらに走り続けた。しかしそれでは逃げ切れるはずもない。いとも簡単に回り込まれてしまった。
「一体どうしたら......こんなの......」
目の前の巨大な悪魔を前にして、天音は呆然とした。立ち向かう勇気がないわけじゃない。でもどうしていいかがわからない。
追い詰められた天音が取った行動は、両手を合わせ、目を閉じて祈ることだった。
「お願い......! 私に力があるっていうなら......私を助けて......!」
悪魔は容赦なく天音に炎を吐きつけた。真っ赤な炎が天音の体を一瞬にして包み込む。悪魔は雄叫びを上げて全身を震わせた。
しかし次の瞬間、天音の周りを囲んでいた炎が霧のようになって消えた。祈り続ける天音の周りを暖かな色の光が包んでいる。
やがてその光は巨大な悪魔を包み込むほどの大きな光となって、悪魔の全身を覆った。悪魔は苦しむこともなく、ただ段々と消えて小さくなっていく自分の体を見ていた。
あれほど不気味で巨大だった悪魔の体があっという間に蒸発するようになくなり、あとには白い小さな光だけが残った。天音がゆっくり目を開けると、白い光は彼女の近くまで飛んできて、スッと体を包んで消えた。
「面白い力だ......。何をしたんだい?」
気づけば周りの黒い空間も消え、また元の手術室へと戻って来ていた。
「私は......ただ祈っただけ。助けてくれるように......ってお願いしただけ」
「......祈りか、なるほどね......まあ一番正しい使い方かもね」
「ねえ教えてよ。あなたは何者なの? あなたの目的は?」
「ボクは天使カスピエル。キミの命を助け、キミに力を与えた。その代わりに、ボクはキミに使命を与える。キミはその力で悪魔を倒し続けなければならない。それがボクがキミに与える使命さ」
「今みたいに......命がけで戦うってこと?」
「そうさ。ボクは命を救ったんだから、その命を賭けるぐらいのことはしてくれないと釣り合わないだろ? 厳しい使命だと思うけど、キミにはそれぐらいの責任があるはずだ」
天音はうつむいて自分の両手の平を見つめた。
「なんで......私なの? どうしてこんな力を私に?」
「じゃあ他の誰かが良かったかい? 力を与えれば、悪魔と戦う使命を果たし続けて、その力と命の意味を証明し続けなきゃならない。誰かがやらなきゃ悪魔は人間を襲うよ? キミはこれを他の誰かに押し付けて逃げ出すことを望むのかい?」
天音は何も言い返せなかった。
「そうだろう。だから気に入ったのさ。キミのそういうところが、ボクがキミに力を与えた理由でもあるんだからね」
真祈奈はそう言い残すと立ち尽くす天音を置いて去って行った。
「今日は朝からどした〜あまね? 珍しく暗いぞ〜?」
「あ......いろはちゃん、おはよう」
次の日、教室の自分の席で縮こまる天音に彩葉が声をかけた。
「なんか昨日嫌なことでもあった? ママとケンカしたとか?」
「そんなんじゃないけど......なんか悩んじゃってさ」
「もしかして......恋とか?」
うつむく天音の顔を横から覗き込むようにして言った。
「違うよ! もう......いろはちゃんはそういう話ばっかりなんだから......」
「そりゃあこの時期の女の子の悩みって言ったらやっぱそれでしょ。難しい問題だからねー。こじらせてややこしくなっちゃうこともしばしば」
「その心配は全然ないよ」
「じゃあ何で悩んでるのさ?」
「うーん......それは......」
そうは言ってもこれは人に簡単に相談できる悩みではない。たとえ親友といえど、いや親友だからこそこんなことは言いたくないし巻き込みたくないものだ。
そう思った時、天音はふと亮牙のことを思い出した。そういえば、亮牙も昨日戦った悪魔と似たような怪物と戦っていた。そして彼も同じように、このことに関しては頑なに話したがらなかった。
きっと彼は自分と同じ状況にあるのだろう。彼も同じ立場の人間なら色々と話してくれるはず。だとすれば相談できるのは彼しか────。
「ちょっと来てくれるかな?」
ふっと顔を上げると、そこには真祈奈が立っていた。
「どうしたの......まきなちゃん......? じゃなくて......カスピエル?」
天音と真祈奈は昼休みに学校の屋上へと来ていた。
「いやいや、鳳珠 真祈奈でいいよ。キミたちのために用意した人間の姿さ」
真祈奈は少し不気味に笑った。昨日見たときは薄暗いところだったから感じなかったが、改めて見ると極めて整った顔立ちをしている。言われてみればたしかに作り物のような顔だ。
「その体は......偽物ってこと?」
「そう、ボクが人間と関わる時に使う物。これはボク自身ですらないただの人形。キミたちで言うところの通信機みたいなものだね。この人形の口を通してキミたちと会話する。その方がやりやすいんだろ? キミたちもさ」
真祈奈は自分の唇を指でなぞり、イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「キミの様子が見たくてね。キミたちがこれからも使命を順調に果たしていけるように、助けるのがボクの使命だからね」
「あなたの......使命?」
「そうさ、キミに使命を与えたように、ボクも使命を与えられているからね。ちなみにキミの他にも使命を与えられた人間はいる。もしかしてもう会ったかな?」
天音は黙り込んだ。亮牙には誰にも言うなと言われている。それが真祈奈にも当てはまるのかどうか迷ったからだ。
「もう会ってるみたいだね」
真祈奈の言葉に天音は思わず目を丸くした。
「......もしかして、心が読めるの?」
「まさか、人間の考えることなんてボクからしたら最も理解できないことの一つさ」
真祈奈はあざ笑うかのように言った。
「でも、大昔から人間と関わって来てるからね。力を与えた人間がどういう心理状況になるか。最近になってようやくパターンがつかめてきたよ」
天音の正面に回り込み、落下防止用のフェンスに背中を預けた。
「そしてその力を持った人間がどんな失敗をしてきたかもよく知ってる。周りの人間に頼ろうとした人間は、一人残らず凄惨な最後を遂げた。キミにもアドバイスだ。キミはその人を頼っちゃダメだ。一人で戦い続けるしかないんだよ」
「......でも、私一人で悪魔と戦うなんて......!」
「できるさ。そのためにキミに与えた力だ。キミは自分が生き返った意味を考えながら、力の使い方を少しずつ学んでいくんだ。キミ以外にも力を与えた人はいるけど、他の人間に頼っていてはそれは見えてこないんだよ」
真祈奈の言葉にも、天音は浮かない顔だった。
「......力を手に入れた人間は大抵喜ぶものだ。なにがそんなに不安なんだい? 昨日だって問題なく悪魔を倒したじゃないか。キミが力に不安を持てば、力もキミに答えてくれなくなる。キミが命を落とすことに繋がるかもしれない。使命を果たせず脱落した人間を助けることなんてできないんだよ?」
「............使命とか力とか......よくわかんないけど......私は怖いよ。すごく怖い。痛いのも、死ぬのも嫌だから」
天音は目元を拭ってまっすぐ真祈奈を見た。
「でも、私が戦わなきゃみんなが襲われるんでしょ? 前の私みたいに。あの時助けてもらってなかったら私は今ここにいないから」
真祈奈も天音の目を凝視した。その表情からは何を考えているのか見当もつかない。
「私は戦うよ......。この街のみんなを......友達を守りたいから!」
それを聞いた真祈奈は、満足そうな笑みを浮かべた。