第一話 祈りの悪魔
「............あ ......ね......あ............まね! あまね!」
激しく肩を揺さぶられ、少女はゆっくりとまぶたを上げた。
「やっと起きたかー。まったく、こんなとこで寝てるなんて驚いたよ」
「全くだ。いつになっても戻って来ないから心配したんだぞ?」
目の前には自分と同じ中学校の制服を着た二人の男女がいる。
「あ......ごめんごめん。なんだろう、すごく変な夢を見てた気がするんだけど。思い出せないや」
彼女はそう言って恥ずかしそうに頭をかいた。
「あー、あるよね。ほんのさっきまで見てたはずの夢が全然思い出せないって時。モヤモヤするよね、そういう時って」
「いやいや、まずこんな草むらで夢見るほど寝るなよ。マジで風邪引くぞ」
「う......ごめん、そうすけ君」
鈴蘭 天音はゆっくりと起き上がり、制服についた汚れを軽く払った。
「そろそろ、まいかのお見舞いに行こっか。結構遅くなっちゃったし......ね?」
そう言って声美 彩葉は意地の悪い笑みを浮かべて、天音を肘でこづいた。
「もー、ごめんってば、いろはちゃん!」
「いやー、からかわずにいられないでしょー」
「災難だな天音、彩葉はこういうのいつまでも覚えててしつこく言ってくるからな」
「ん! なんか言った?」
「いや......別に」
彩葉にすごまれ、城坂 惣助は目線をそらして縮こまった。
「そういや天音、猫はどうなったんだよ」
惣助は逃げるように話題をそらした。
「猫......?」
「ああ、突然『やっぱりあの猫が気になる』とか言い出して走って行ったんじゃないか」
天音はキョトンとした表情を浮かべた。
「......そうだった......っけ? あれ、どうなったんだろう......?」
「......どうなったんだろうって......自分で覚えてないの?」
「さっき周りに猫なんていなかったしな。まぁ15分くらい別れた間に草むらで寝てるんだから、もう多少のことでは驚かないけど」
「もう! そうすけ君まで!」
天音は真っ赤な顔を両手で覆った。
「まぁあれだな。これはアイツの仕業かもな」
惣助は急に真面目な表情になって、押しつぶした低い声でそう言った。
「なに......アイツって?」
天音がその両手の隙間からチラリと片目を覗かせて恐る恐る聞く。
「オバケだよ。夢を食べるオバケが天音を眠らせて、見た夢を食べたんだ。だから夢が思い出せないんだよ」
「そうすけ、いくらあまねでもそんなこと信じないでしょ............」
彩葉が目を向けると、天音は目を丸くして大きく頷いていた。
「そっか......だから全然覚えてないんだね!」
「いや素直すぎだって! あまねは、もっと人を疑うことを覚えないと悪い人に騙されるよ!?」
「うん、言った俺が言うのも変だがオバケなんて非科学的なものが実在するはずはないんだからな」
「そう! まああたしは実在しないとまでは言わないけど......」
「いやいや実在しないって! いるって証拠がないんだから! 証拠があるんなら信じるけどな!」
「......全く、そうすけはそうすけで夢がなさすぎるのも問題だよねー」
そうこうしている内に、三人は目的地へとたどり着いた。城坂総合病院、惣助の父が院長を務めている大病院だ。
「さて、とりあえずこの不毛な議論は置いといて、二人は先に行っててくれ。俺はちょっと用事があるから」
惣助はそう言うと足早に関係者用の入り口から中へと入って行った。
「くぅーなんかハラタツ! あまねはあんな子になっちゃダメだからね!」
「え......えぇ......?」
天音は苦笑いとも無表情とも取れない微妙な表情を浮かべて言葉を詰まらせた。
「まいか、ヤッホー」
「あら、いろはさん。それにあまねさんも」
二人は窓際に置かれた大きなベッドに横たわる松萩 舞花に小さく手を振った。
「聞いてよまいか! さっきここに来る途中にあまねがさぁー」
「ちょっといろはちゃん!? それ言うの!?」
「こんな面白い話、喋らずにはいられないでしょ」
「なになに? 是非とも聞きたいわ」
舞花はうっすらと微笑んでベッドから少し身を乗り出した。
「あまねったらさぁ、ここに来る途中で突然猫がどうのって言い始めて走って行っちゃってさ。しばらくして様子見に行ったら、なにしてたと思う?」
「うーん、猫をなでてたとか?」
「それが全然! 草むらでスヤスヤお昼寝してたんだよ! 夢を見るくらいね!」
「まぁ、あまねさんったらそんなに疲れてたのかしら?」
舞花は口もとを手で抑えて笑いをこらえるように言った。
「もう......恥ずかしい......絶対これ以上他の人には言わないでよ!」
「えぇ〜どうしよっかなぁ〜。猫を追いかけてたらいつのまにか猫みたいにお昼寝しちゃってたなんて可愛らしくていいんじゃない?」
「絶対ダメ! 普段はあんなところで寝たりしないのに!」
天音が必死に彩葉の袖を引っ張って抗議する様を見て、病室にはさらに笑い声があふれた。
「本当に......ありがとう......二人とも。こうやって友達がわざわざお見舞いに来てくれるのが、本当に嬉しいわ」
舞花は嬉しそうな笑顔で、しかしどこか寂しそうな口調でつぶやいた。
「なんだよ、そんなに改まってさ。私たち、まいかと喋るのが楽しくて来てるだけだから気にしなくていいんだよ」
「そうだよまいかちゃん。誕生日も楽しみにしててね、今私といろはちゃんとそうすけ君で色々考えてるから!」
「あっ、おいあまね! それはサプライズだって言ったのに......!」
「......あっ、ごめん。やっぱり今の聞かなかったことに......」
「できるわけあるかい!」
舞花は賑やかな二人に背を向けるように、夕日で真っ赤に染まる窓の外の景色を見た。
「あっもうこんな時間! そろそろ行かなきゃ!」
「あらいろはさん。もしかしてお歌の習い事かしら?」
「そう、これはまいかにはまだ言ってなかったけ。実はあたし、今度の新入生歓迎会で歌を歌うことになっちゃって、今もう必死だよ〜」
「それはすごいわ! なら絶対失敗できないわね!」
「ちょっ、プレッシャーかけないでよ......」
頭を抱える彩葉を見て、二人はまた笑った。
「じゃあ、そろそろあたしは帰るね。また来るから!」
「それじゃあ私も。またね、まいかちゃん! 楽しかったよ!」
天音と彩葉は、舞花に手を振って病室をあとにした。静かになった病室で、舞花は再び窓の外を見た。
「私も、この時間が一番楽しいわ。こんな毎日変わらない景色を眺めているよりずっと......。だけど、自分の体のことは一番自分でよくわかってるから......」
さっきまでとは打って変わって静まり返った病室で、ただ時計の針の音だけがこだましていた。