4話 決着、そして終着
そこからの展開は迅速だった。巻島とその取り巻き2名は黒羽によって締め上げられ、覚えていろよの捨てセリフと共に屋上から退散していった。合気道を習っているとは聞いていたが、まさか3人を相手に一方的にのすことができるとはこの男、想像以上に規格外だ。
倒れてその様子を呆然と見続けていた俺に黒羽は手を差し伸べてくる。そこには俺のスマホが握られていた。
「悪いな」
スマホを受け取ると俺はゆっくり立ち上がった。
じゃあこれで、と俺もお暇しようと踵を返したところで黒羽に遮られる。
「待ってくれ。まだ話がある」
「……なんだよ?」
「こんなこと、今回が初めてじゃないだろ?」
「まあな。今までも、そしてこれからもあるだろうな」
ギリと歯をきしませる音が聞こえてくる。黒羽は顔を伏せなおも言及を続けた。
「なんで相談しなかった。先生でもいいし、俺でも良かった。そうすればこんな目に合うこともなかった」
黒羽にしては珍しく怒気のこもった声色だ。一体何でこいつが怒っているのかは不明だが、その追求にはこう返す他にない。
「別に、その必要性がないからだよ。こうなったところでお前が損するわけじゃない。俺も別に苦しいとは思ってない」
「苦しく……、ない?」
伏せがちだった瞳が見開かれ大きく震えている。動揺、それもまたこいつには似つかわしくない気がした。
「ふざけるなよ……ああ、ふざけてるんじゃない!!」
ついに我慢の限界を迎えた黒羽が俺の胸元を掴んで屋上のフェンスに叩きつける。フェンスがきしみ、悲鳴をあげるかのような金属音が耳に障った。
「かっこつけるなよ。こんなこと受け入れられるわけがない。もし受け入れられるのならお前は感情のない空っぽな人間だ!! 本当は助けてほしかったんだろ?嫌だったんだろ?俺が偶然ここに来てくれたことが嬉しかったんだろ? ちがうか!?」
「……」
「俺だったらうまくやれた! 巻島ぐらいどうとでもない! お前は助けを求めるべきだったんだよッ! 俺にッ!」
これが普段すましている優等生の本音といったところか。こいつの手助けとは相手のことを思ってではない。自分の承認欲求を満たすためだけのどこまでも利己的でどれだけも浅ましいものだ。
そんな気はしていた。
困ってる人間を声をかける時のお前、とても楽しそうだったもんな。そして全てが解決してお礼を言われている時のお前、とても興味なさそうだったもんな。
「己の欲求に素直な巻島の方がまだまっとうだ。黒羽、お前歪んでるよ。自分の欲求を相手の欲求にすり替えてる」
「なんのことだ」
「自覚はあるんだろ? 手、震えてるぞ」
「……ッ!!」
ガァン!! とより強くフェンスに押し付けられる。きしみはより激しくグワングワンとフェンス全体を揺らす。
「それがどうした……? 例えそうだとしても手を貸すことで感謝する人がいる。助かる人がいる。だったら何も問題はないじゃないか」
「そうだな。お前が手を貸すやつが本当にそういうやつならいいんじゃないか。でも俺は違う。お前に助けてほしくもないし、感謝もしない。そういうやつにお前の勝手な価値観を押し付けるのはやめろ、俺が言いたいのはそれだけだよ」
「だから……」
だから、と歯を食いしばって黒羽は言い淀む。そこから続く言葉を今の勢いのまま発していいのかを思いとどまっているようだ。だが、その逡巡も一瞬のこと。俺の顔を見て、何もためらう必要はないと気づいたのか勢いそのままに続ける。
「それがおかしいと言ってるんだよ、このからっぽ野郎が!!」
黒羽が全体重をこめて俺を押す。その瞬間ビギッときしみ以外の嫌な音が聞こえてきた。経年劣化により腐食が進んでいたのか、俺の背中を支えていたフェンスが根本から折れた。それが何を意味するのかは言うまでもない。そう、ここから地上へフェンスもろとも真っ逆さまだ。
フェンスと俺と、それから黒羽も。
◇ ◇ ◇
回想終了。
そしてそれと同時に激痛が身体を貫いた。落下地点は職員の駐車場、むき出しのコンクリートに俺たちは強く叩きつけられたようだ。
その痛みたるやいなや筆舌に尽くしがたい。例えて言うなら血管という血管に針金を通され、そこから電流を流し込まれるかのような激痛か。声も出ない、目も見えない、ただひしゃげた魂が熱を帯びた液体となって身体から溢れ出ていく気がした。
ああ、熱い、熱い、熱い、熱い、――――――寒い。
スパークした灼熱の身体に急に冷水を浴びせられたかのように寒気が包む。死へのカウントダウンが開始されたことを俺は直感で理解する。
くそ、こういうのって即死じゃないのか。そうでなくとも落下中には気絶するから痛みを感じず逝けるとネットで見た気がするが、嘘かよ。
そんな風に一人ごちていると、隣から声が聞こえてくる。まだ耳の機能だけは生きているようだ。
「あ、う……」
黒羽の声だ。幸か不幸かこいつもまだ生きているようだ。まあ、俺と同じく風前の灯火ではあるだろうが。それでも声を発することが出来る生命力には脱帽だ。
「ま、だ……死ね、ない。もっと多くを……多くの人を救って……」
この期に及んでまで誰かを救うだのほざけるのはもはや執念を通り越して狂気の沙汰だろう。筋金入りの救済バカ。今この状態でもっとも救われなきゃいけないのはお前だろうに。
「…を助けられるように、なら……い、と」
だが、少しだけそんな心残りを吐露できるこいつが少しだけ羨ましい気もする。俺は死の淵に立っているのに、何にもない。心残りも後悔も、ああ終わるのかという16年という短い人生のピリオドをどこか達観して受け入れてしまっている。
こいつの言う通り、俺は空っぽだったのかもしれない。何にも打ち込まず、何にも興味を持たず、知らず、聞かず、考えず、省みず。ただただ漫然と生きてきた。そのつけがまさかこんな形で払わせられるとは。
ああ、身体が冷える。もう指先の感覚も体全身を突き刺すあの激痛もない。そろそろ終わりの時が来たようだ。
この人生での後悔はない。だから俺は静かに願った。
来世では何かに一生懸命になれるように、と。
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