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1話 赤霧京とは


 落ちて、いく。

 内臓の浮かび上がる感触。上へ上へと流れていく景色。今ちょうど三階の理科室が流れていった。一瞬目が合ったのは科学部の部員だろうか。彼らは驚愕の表情を見せていたような気がする。それはまあ、そうだろう。窓に地上へと現在進行形で真っ逆さまの人間が映れば誰しもそんな顔をする。

 死ぬ間際には走馬灯が見えるなんてことがこういう時のお約束だが、俺はどうやらそれには当てはまらないようだ。そもそも振り返るだけの出来事がない。積み重ねてきたこともない。そして、これから死ぬとしてもそれほど後悔することもなかった。強いて言うならスタブレのイベントを完走できなかったことだろうか。だが、それもただ空虚な毎日を埋めるためにこなしてきたことでしかなかった。本当に熱中していたわけじゃないので後悔というには弱いだろう。


「あ、ああああ! 助け、助けてええええッ!!」


 隣で嗚咽混じりの絶叫が聞こえてくる。声の主は俺と同じく絶賛落下中の男だ。まったく騒々しいものだ。死を前にこんなに取り乱すなんて、普段のこいつの振る舞いからしたら想像もつかないな。というかお前のせいでこんなことになっているというのに。

 地上までの僅かな時間、俺はその時間つぶしも兼ねて今日のことを思い返すことにした。


 ◇ ◇ ◇


 俺、赤霧京あかぎりきょうはいわゆる陰キャと言うやつだ。友達はいない。勉強も中の下。運動能力も一部を除いてほとんど皆無。こんな人間が誰かと仲良く楽しくスクールライフなんて、ありえないことは明白だった。


 気がつけば高校生活が始まって一年と半年、すでにクラス内の勢力図もほぼ固まりつつある中、俺は絶賛最底辺の最底辺。いわゆる二人組み作ってーと言われれば必ず余る不良在庫品だ。俺以外にも陰キャに大別される奴らがいないわけでもないのだが、そいつらはそいつら同士でシンパシーを感じてか、仲良くやっている。同じ陰キャにさえシンパシーを湧かせないという突き抜けた俺はある意味このクラスでは非常に目立つ存在と言えよう。

 そんな人間が、だ。クラスでどのような評価を受けるかといえば、“いない存在”として見ないふりをされるか、影でコソコソ嘲笑の的、そして。


「やっほーあかちん。スタブレやってるぅ?」


 ストレス発散の対象として堂々とカモられるばかりである。

 俺に声をかけてきたのは巻島、マッキーで親しまれるクラスの中心人物その1。チャラチャラした見た目と言動。典型的な陽キャ、パリピという奴だ。


「まあ……」

「そうだよねえ。どうせ家帰ってもあかちんがやるのそれくらいだよねえ。そんなことより昨日から始まったガチャの新キャラ出た?ねえねえ」


 スタブレ、正式名称は『スター・ブレイヴァー』というスマートフォン向けのアプリのことだ。ファンタジー世界が舞台となり勇者を集めてストーリーを進めたり闘技場でPvPなどを行うゲーム。

 現在中高生を中心に世界的に大ヒットを記録している。学校ではやってない者を見つけるほうが困難なほどだ。

 俺もその流行りに乗っかってインストールしたわけなのだが、退屈しのぎにはちょうどよいことがわかって以来、家に帰ってからはほぼそれに没頭し続ける毎日だ。


「出たよ」

「おお、さすが! 運だけはそれなりにあるよねあかちん」


 んじゃあ――、と巻島はにんまり笑顔作って見せて、


「放課後またキャラかけてバトろうよ。ほら俺も前あかちんからもらった五星のやつかけるからさ」


 言外によこせとのたまってきた。

 『スター・ブレイヴァー』の特徴としてキャラ譲渡システムというのがある。GPS機能を利用して近くのプレイヤーとのみキャラやアイテムを渡したりもらったりが可能。

 またこのシステムを悪用した複数のアカウントやリセマラによるキャラの無限増殖を防ぐためアカウント作成に電話番号による認証だとかが組み込まれていたりもする。


 とにかくこのようにレアキャラを交換できるというソシャゲとしては珍しいシステムにより、戦って負けた方は賭けキャラを渡すというローカルルールが醸成するにはさほど時間はかからなかった。


「いいよ」

「さっすがあかちん!戦闘民族ぅ!」


 そしてそれに伴いこのように無理矢理に対戦を申し込みキャラを奪っていく「スタブレいじめ」というのも全国の学校現場で問題となってるらしい。

 別にこういうものは今に始まったことではない。少し昔ではTCGトレーディングカードゲームが流行りいじめっ子がレアカードを脅して奪ったなどという事件もあった。要するにカードゲームからソーシャルゲームへと形を変えただけであって、いつの時代でもどこにでもこういったことはありふれているのだ。


「あ、あと言っておくと」


 能面のような笑みが消え、巻島は俺の胸ぐらをぐいと掴む。


「逃げたら、殺すからな」


 一オクターブ下がったドスの効いた囁き。こんな恐喝まがいの忠告を周りの目も気にせず平然としてくる剛胆さには呆れもするが今に始まったことではないので置いておくとする。


「何をしてるんだ、巻島」

「げ、委員長」


 誰もが巻島の振る舞いを見て見ぬふりをする中、その男だけは平然と声をかけてきた。

 黒羽夜次くれはよつぐ。クラスの中心人物その2だ。陽キャパリピの典型が巻島だとするなら、黒羽は頭脳明晰容姿端麗の典型的優等生だ。まるで漫画の登場人物が飛び出してきたかのような完璧さ。誰にも分け隔てなく接する誠実な人柄もあって女子からの人気も厚い。

 1年の始めころ一人で孤立している俺に初めて話しかけてきたのもこいつだ。優等生の義務感というものなのだろうか、俺がクラスに馴染めるよう様々なアプローチをしてきた。クラスの催し物の企画とか、部活動への入部なんかも勧めてきてたっけかな。

 それでも状況は変わらず、業を煮やした黒羽はついに俺に尋ねてきた。何か君にしてあげられることはないかな、と。

 それが一つのターニングポイントだったのだろう。あの時俺は黒羽にもっと効果的で、もっと確実にクラスの者と打ち解けられる提案をしておけば今よりはマシな状況になっていたはずだ。だが俺は「なら俺に関わらないでくれ」と差し伸べられた手を振り払った。

 黒羽が気に入らないとか孤高を気取りたいからとかではない。ただ単純に仲間を作るということに興味がなかったのだ。

 それ以来黒羽は律儀に必要のない時以外は俺に関わらないようにしている。その聞き分けの良さはありがたいことだ。


「大したことじゃねえよ。放課後遊ぼうって約束してただけだよ、な?あかちん」


 黒羽の前では巻島もタジタジだ。前に喧嘩をふっかけて返り討ちにされたことがよほど響いているらしい。俺は適当に頷きを入れて話を合わせておく。


「交流を深めるのもいいが、学生の本文は勉強だ。あまり遊びすぎるなよ」

「へいへい。委員長様のありがたいご高説、骨身に染みましたよ」


 うっとうしそうに話を切り上げると、巻島は自分の席に退散していった。その背を見送る俺と黒羽だが、その間に会話はない。


「さて、僕も放課後に提出する予算案をまとめないといけないな。やれやれ」


 奇妙な独り言を残し黒羽も自分の持ち場に戻っていった。今のは、放課後なにかあるのならば自分を頼れと暗に伝えていたのだろう。

 あいつにしてはあまり器用と言えない伝え方だ。おそらくは関わらないでほしいと言われた手前あいつが出来る最大限の気遣いがあれだったのだろう。

 だが俺にあいつを頼ろうという意思はない。俺は別にこの状況に悲観も絶望もしていない。ただ俺の送る日常の一片として受け入れているからだ。


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