八.《驚いた顔をされた。》
慌てて部屋を出て行く給仕の女性。
「驚かせたのか?」
少しショックだ。声を掛けただけなのに、あんなに驚かんでもいいだろうに。
「そうだねぇ、声を掛けられるなんて、ここの子には滅多にないことだから、驚くだろうね」
「滅多にない?なんでだ?」
ヒビキは目を閉ざして味覚に集中しているようで、口にした蜂蜜パンを咀嚼してから、こちらを見た。
「所謂、上下関係?僕らは別格の存在だと、認識しているから、目を交わすことすら、畏れ多いと感じるみたい。同じ空間に居ても、僕らの言葉はあの子達には聞いてはいけない言葉だと、認識していて、なんて言えばいいのかなぁ、交わらない?うーん、理解しようとしないことが正解、と思ってるのかな。兎に角、絶対的不可侵な存在なんだって」
「絶対的不可侵な存在?誰が?」
ヒビキは笑いながら、自分とセイを指差した。
「サカエはまた違うんだよね。この人は存在すら、認識されない。空気のように、居ることが当たり前。だから、誰も気にしない」
「なんだその感覚。変だろ」
「長く生きすぎたからね。僕らは」
言いながら、ヒビキは自分とサカエさんを指差した。
セイは?
「セイは長く生きてないのか?」
「私はまだ新参者ですから、ついこないだ十九歳になりました」
若!いや、普通か。
「俺より若いな。ヒビキは百を超えてるとして、サカエさんは?」
「僕より十三歳年上だよ。正解には違うけど、まあ、そんなもんかな」
「なんだ曖昧だな。しかし、百を超えてると十三歳なんて大した差ではないよな。見た目は若そうだし。でも、そうだからって空気みたいな存在にはならんだろう。サカエさんは引きこもりだったんですか?」
「サカエに質問はダメ」
「なんでだよ」
「なんでも」
「ふうん、じゃあ、ヒビキ。サカエさんは引きこもりだったのか?」
「引きこもりに拘るんだ?サカエは引きこもりではないよ。寝てたんだ。半世紀ばかりね。つい十年くらい前に目覚めて、リハビリをしていたから、みんなの前には姿を見せてないんだよね。その間に、割増された噂が定着してたみたいで、サカエは僕とも違う存在として皆に認識されてたんだ。もう、どこから正せばいいのか分からないくらい。でも、まぁ、いいか、ってこないだ話をしたばかりなんだ」
お?話をした?サカエさんは喋れるのか?
「あ、次が来るよ。早くサラダを食べないと」
突然、話を切られ、止まっていた食事を促された。
入ってきた給仕の女性は先程の人ではなかった。
大皿に鳥らしき形の照り焼き肉が丸っと一つ乗っている。あれをどうやって食べるんだと思っていたら、後ろから小皿とナイフを乗せたお盆を持つ女性が続いて入ってきた。
机の端に皿を置くと、女性はナイフと細長いフォークを器用に使って鳥肉を切り分け、小皿に盛っていく。が、表の美味しそうな照り色に対して、切り分けた身は、緑色をしていた。
「ヒビキさん、あれは何?」
「鳥肉?」
「緑?」
「え?鳥肉って昔から緑でしょ?」
え?ヒビキさんも、鳥肉は緑の認識?
くすっ、
顔を見合わせている俺とヒビキを見て、誰かが笑った。