終 保健室のふたり
※ https://ncode.syosetu.com/s5540e/ 保健室シリーズの三作目です。先に前2作を読んでいただければ幸いです。
保健室の扉を開ければ、今日も藤井先生の姿があった。窓辺に腰を掛け、授業中の喧騒をアテにコーヒーを啜るいつもの姿。自称軽度のサボり魔である私、雪代梓にとって保健室は小学生の頃から憩いの場所ではあったけれど。
藤井先生にとってこの場所は、もっと特別なものなのだろうと思えた。そういう風に、いつも微笑んでいる。
「こんにちは、藤井先生」
声をかける。けれど帰ってくるのは挨拶などではなく。
「今、授業中のはずなんだけど」
呆れが混じったため息と悪態。この人本当に教師かな、と思いたくなる。どうして体調の悪い女子高生が笑顔で訪ねてきたのに追い返そうとするのか教えて欲しい。
「サボりました」
けれどちゃんと答えるのが私の優しいところだろうか。ちょっとお腹が、なんて甘い事は言わない潔さ。誰か褒めて。
「堂々と言われても」
「まぁ、良いじゃないですか。授業の半分出てれば出席扱いだし」
「誰から仕入れたのさ、そんな悪知恵」
「亮介先生」
そう言えばあれだぞ、授業って半分出てたら出席になるからな。室町幕府について板書している時、思い出したようにそう呟いたのを今でも私は覚えている。なぜそんな事を急に言い出したかはわからないが、きっと足利尊氏が何かの琴線に触れたのだろうと勝手に思うことにした。
「あの……バカ、人の仕事を勝手に増やして」
ちなみに亮介先生は女子生徒から結構な人気がある。他の教師よりまだ若い20代ってアドバンテージを差し引いても、人懐っこい笑顔と優しい性格は当然の様に人気者の原点なのだ。顔はまあまあというところだけど、愛妻家というのが高ポイントの一因だ。不倫したい教師ナンバー1の座をどこかで獲得したとかしてないとか。
「それより先生? また校内新聞のネタ提供して?」
とまぁそんなことより、藤井先生である。私はわざわざ学生の本文というものを無為にしてまで、保健室に来ているのだ。新聞部員としての使命が1年A組出席番号37番の使命より勝ったのだ。仕方ないね。
「えー……」
「またまた、先生だって知ってるでしょ? この間の、文化祭の美少女カワサキさんが人気だったって」
こう見えてこの養護教諭、この学校出身である。なのでどんな先輩よりもこの学校のそういうネタに精通していると言っても過言ではない。ちなみに当時の写真なんて無かったが、私は美術部も兼部しているので問題なかった。
「人に聞くのが悪いとは言わないけど、たまには自分で調べなさい」
ここでふてくされてからの泣き落としを始めるのが昨日までの雪代梓。だけど今日の雪代梓は、なんと成長しているのだ。
「と、言われる思って今回はなんと調べて参りました」
「今度は最初からそうしてね」
「善処します」
ここで一つ咳払いして、内ポケットに忍ばせていた一通の手紙を取り出した。
「実はこの間ですね、知り合いからラブレターをもらったんですよ」
「おめでとう、付き合うの?」
「あ、いやそういう意味じゃなくて」
しまったこの言い方だと私が青春真っ盛りみたいじゃないか。
「知り合いが書いたラブレターなんですけど、宛先が不明だったんです。どうでしょう、謎のラブレター? こう高校生が盛り上がると思いません?」
届かなかったラブレター、君は誰なの。うん、こんな感じの見出しが似合う。
「悪趣味な気はするけどね。ちなみに差出人は?」
「そりゃあもう、ばっちり書いてます」
「じゃあ本人に返して終わりでいいのに」
「そんなの、つまらないじゃないですか」
そうだと思ったとでも言いたそうな、呆れた顔をする藤井先生。もっともいちいち先生の顔色なんて伺ってられないので私はさっさと話を続ける。
「でもまあ、やっぱり問題があるか大人に判断してほしいんです。それでは藤井先生、読み上げるんで感想をお願いします」
「本人に返した方がいいって意見は取り下げないけどね」
もちろん聞く耳など持たず、手紙を掲げて読み上げる。
「ほにゃららへ」
「なんだそれ」
「かすれて読めないんですって」
「見せて」
「嫌です。いいから続けますよ……ほにゃららへ。君と会ってから、もう一年が経とうとしています」
「普通」
私もそう思います。
「改めて手紙なんて物を書いたのは、君の連絡先をそう言えば知らないことに気づいたからです」
「先に聞けばいいのに」
「シャイな人が書いたんですって、多分」
そう答えると、少し不服そうにコーヒーをすする藤井先生。
「そういう訳で手紙です、便箋と封筒で300円ぐらいかかりました。今度請求してもいいでしょうか」
「良いわけないでしょ」
「さて、一年が経ったのでクラス替えの時期です。先生に聞いた所、どうやら君は無事留年せずに済んだそうです。良かったですね」
「不真面目な生徒宛てらしいな」
「いるんですね、そんな子好きになる人。物好きなんですかね」
「さあ、どうだろうな」
随分とぞんざいな態度をする藤井先生。ま、いいや続けよう。
「君とクラスが変わるのか、少し不安です。協調性も無ければ愛嬌も無い君が、新しいクラスでうまくやれるか結構心配です」
「お節介な人なことで」
「と、言うわけで先生にお願いして一緒にしてもらいました」
「えっ」
お、やっと驚いた。
「来年のクラス委員も面倒ですがやろうと思います。君が教室に来てくれればいいかなとは思いますが、まぁ無理なので」
「待て待て待て待て」
待たない待たない待ちませんとも。
「それが言いたかったんです。多分、それぐらいです。また保健室に遊びに行きます。 藤井」
「待てええええええっ!」
「おおっと!」
突如手を伸ばして飛び込んでくる藤井先生を回避する。やっとわかったか、馬鹿め。今日は日頃私を邪険にする先生への復讐なのだ。
「雪代、お前、それは」
「やっと気づいたんですか藤井先生。残念ですね、亮介先生から頭いいと聞いていたんですがどうやら買い被りだったようです」
みるみる赤くなる藤井先生。いつもの冷静沈着な態度は何のその、こんな表情もあるのかと驚く。ポケットからスマホを取り出して撮影してやりたいぐらいだ。
「ああもう、人の事をおちょくって、最初からわかってたな!? ……その手紙は」
「雪代いるかー?」
これ以上にないタイミングで、亮介先生の声が聞こえてくる。本当、狙ってたのかと言いたくなるぐらい。まあ、でもそれはないか。だってこの人は。
「私宛だろ!」
書きかけのラブレターを本に挟んで、十年後に妹の葵先輩に発見されるような人なんだから。
「おい雪代! それどうした!」
「葵先輩からもらったんですよ! あの人OGでよく美術部に来てくれるから!」
やいのやいのする私と藤井先生、ぽかんとした顔で突っ立っている亮介先生。
「あ、こんにちは亮介先生」
「こんにちは、じゃないだろ。もうホームルーム終わったぞ」
ごめんなさいと舌を出すが、今はそれどころじゃない。手紙を真っ赤な顔で奪い取ろうとする珍獣と化した藤井静と格闘している最中なのだ。
「……どうしたの?」
「いいえ、何でもありません」
「本当?」
「うるさい」
睨みつける藤井先生。流石に亮介先生もビビったらしく、こっそり私に耳打ちしてきた。
「雪代さん? 俺の奥さんご機嫌ななめなんですけど?」
「さあ、いい事あったんじゃないですか?」
「なら良いけど」
「良くないわよ!」
吠える嫁に驚く旦那、そして始まるお説教。犬も喰わない夫婦喧嘩が繰り広げられる。それで私はスマホを取り出し、二人の写真を一枚撮る。もちろん、校内新聞にでかでかと載せるためだったけれど。
「だいたい亮介はね、いつもいつも」
保健室のふたりの姿は額縁で飾られたように似合っていたから、このネタはボツにする事にした。
「じゃ、私帰ります」
幸せな二人の姿なんて、新聞に載せる価値のないくらい、皆んな見慣れてしまっているのだ。