14-4 頑強の魔女
真夜中の氷原を2人は歩いた。幸いなことに天候は良く、空には満天の星空が広がっていた。レンは立ち止まって空を見上げていた。
「よく考えたら空なんてちゃんと見上げたこと無かった」
「それは勿体ないことしてるわね、レン。あ、小屋が見えてきた」
扉を開いて顔を覗かせたのは魔女のカノンだった。カノンは一瞬黙り込んだが、すぐに笑顔になった。奥に向かってレンとアルルが来た、と叫ぶと扉を大きく開いてくれた。
中には硬いソファにくつろいでいるジュリの背中があった。
「あ、レンにアルル。随分またいきなり来たね」
「客っていきなり来るもんだろ。今回は俺じゃなくて、アルルがね。カノンに用があるってさ」
「私にかい?」
カノンは首をかしげたが、すぐにテーブルに向かうようにアルルに言った。その間、レンはジュリの隣に座っていた。
「今日はタンポポさんは居ないの?」
「明日帰ってくるよ。今夜は留守だ、別世界に行くって言ってた。多分嘘だと思うけどね」
「何で嘘だって分かるの?」
「姉さんが嘘をつくと大体分かる。本人は隠し通せているって思ってるみたいだけどさ。ジュリも見破れないけれど、私は見破れるんだ。多分帰省しているんだと思う」
「帰省って、アースとか?」
「姉さんは悪魔なんだよ」
カノンの言葉にアルルは手が止まった。カノンが作ってくれた紅茶のティースプーンをかき回すことをすぐに再開しつつ、アルルは息をついた。レンもジュリに耳打ちをした。
「タンポポが悪魔って知ってたのか?ジュリは」
「いや今知ったよ、私も。カノンの方が長と一緒にいる時間は長い」
レンはタンポポの姿を記憶から掘り起こした。タンポポの綿毛のようにふわふわとした白髪の少女。優しい微笑みを持ち合わせている、異界の長だ。
「タンポポは見た目からして"こっち"の一族じゃないぞ」
「集会の中に長が居たらすぐに気づいていたさ。カノンの言っていることが本当なら、長はサングスターの悪魔ってことになるな」
「大丈夫なのか、一緒にいて……」
「ここは異界。一族も血も関係ないって前に言わなかったか?私も自分のことを必要以上に長には話していないよ。私やレンの正体を知ったところで長は私達のことを殺しはしない」
それを聞いてレンは少し胸をなでおろした。一方、アルルとカノンの会話は続いていた。
「だから多分、悪魔界に行ってるんじゃないかな。……で、アルルの話って何だい?レンに浮気でもされたか?いや、そしたら一緒に来ないか……あ、真実を吐かせるのを手伝って欲しいとか?」
「い、いや、違うけれど……じゃあ今後そういう事があったら頼みに来るわね」
アルルが嬉しそうに話す声を聞いてレンは苦笑いをした。そんなレンをおかしそうにジュリはつついた。
「レンのことじゃなくて、私のことについて。というか私のお母さんについて聞きたいの」
「アルルの母さん?」
「うん。私を産んでくれたお母さんはね、ルーシェって言う魔女だったんだって。すぐに亡くなっちゃったけれど」
「ルーシェってあんた……"頑強の魔女"のことか」
「"頑強の魔女"?」
「魔女達の間ではそう呼ばれていたよ。そう呼ばれているほど彼女は優秀で、その腕は素晴らしかったのさ。そうか、ルーシェさんの娘っていうのはアルルのことだったのか。アルルは父親の血を継いだんだね。魔女はどんどん減っていく、仕方の無い事だけれど」
「この人だよね、ルーシェって」
ポケットから写真を取り出し、テーブルの上に置いた。カノンはそれを手に取りうなずいた。カノンは何かを思い出しているような、懐かしそうな顔つきになった。
「……ねえ、カノンって何歳なの?」
「はいはい、魔女は皆チビですよ」
「そういうことを言いたかったわけじゃ」
「何歳かは教えないよ、アルルには。……確かに言われてみればルーシェさんに似ているなぁ、アルル。畜生、可愛いなこの野郎。私はアルルよりもずっとずっと長く生きているよ」
「いてててて」
アルルはカノンに頬をつままれて小さく悲鳴をあげた。
「……ねえ、カノンって何歳なの?」
「はいはい、魔女は皆チビですよ」
「そういうことを言いたかったわけじゃ」
「何歳かは教えないよ、アルルには。……確かに言われてみればルーシェさんに似ているなぁ、アルル。畜生、可愛いなこの野郎。私はアルルよりもずっとずっと長く生きているよ」
「いてててて」
アルルはカノンに頬をつままれて小さく悲鳴をあげた。それを見てカノンは笑うと、きちんとアルルに体勢を向き直した。
「辛い話になるけど、良いかい」
カノンが、頑強の魔女ルーシェに会って話したのは、たったの2回だけだった。何故話す機会が少なかったのか。それはカノンが"出来損ない"の魔女だったからである。
魔女という存在は、まず第一に空を飛べること。第二にヒーリング(錬金術)ができることが定義だった。魔女の種族は、魔女の村でひっそりと文化が継承されていた。そこは別世界の森の中でも無法地帯で、魔術士の世界とは決別されていた。魔女はいわゆる絶滅危惧種だった。というより、絶滅させるために恋愛を禁止としていた。
魔女の最大の特徴は長寿であることだった。何百年と、歳を取らずに生きること。それは羨望を向けられる一方で呪い的な地獄だった。そのため子孫を残すことは禁忌とされていたのだ。
「アルルはラッキーだったんだ。魔女の血を引いていたら、だいぶ辛かったかもよ」
そんな魔女に産まれたカノンは、空を飛ぶ能力が欠乏していた。ただの祈祷師なのでは、と嫌味を言われたこともあった。しかし、カノンは何十年と生きても見た目が変わらなかった。歳を取らなかった。
魔女の村で生きることは苦痛だった。魔術士のサポート役としての役目は真っ当しているものの、1人前の魔女と認められることは無かった。空を飛べないなら、誰よりも優れた錬金術を扱える魔女になるしかない。果たしてそれは魔女と呼べるのか分からないが、漠然とした目標をカノンは追いかけることにした。
その日も、いつものように森をうろうろ徘徊して、キノコや原料の植物の採集を行なっていた。
"おーい!"
ふいに頭上から声がする。魔女の村にある森の木はかなり背が高く生い茂っている。その木よりも上から、誰かが声を上げているのだ。まさか、自分に声をかけているはずがないと思った。
"おーいって!君だよ!グリーンツインテール!"
カノンをおかしな名称で呼んだ女こそ、ルーシェだった。赤髪のルーシェは上手く木々をすり抜けて地上に降り立つ。
"やあ!"
"どうも、ルーシェさん"
"あたしのことを知っているのかい?!"
"あなたは頑強の魔女って呼び名で有名だよ"
"あははは!それは面白いわね!"
ルーシェは大きい声で高笑いをすると、森中に声が響いた。少し迷惑そうな表情を浮かべそうになり、カノンは必死に作り笑いをした。
"あなたのことは尊敬していますよ。どんなに酷い状態でも、決して諦めない。あなたに助けられた魔術士は何百人も居るとね。上の人達から目をつけられても、無駄に魔術士と関わろうとすると"
"私のことを本当によく知ってるね!とは言え、君も研究熱心じゃないか!それは錬金術の原料を集めてるんでしょう?私、思うのだけど魔女たちはもっと自分に誇りを持つべきだと思うんだ。私たちはサポートの道具じゃない。君は魔術士達のことをどのくらい知ってる?"
ルーシェが優秀であることは知っている。しかし優秀であるが故に、他人の痛いところを的確に突いてくる魔女だとつくづくカノンは感じていた。
"魔術を使う人間としか……私は依頼が来た時だけしかそちら側には出向かないようにしてるんだ。まあ、そもそもそんなに依頼も来ないんだけど。皆が駆り出されて誰も居ない時に、仕方無くって感じだ"
きょとんとした顔で、ルーシェはカノンのことを見つめていた。数秒間沈黙が流れたあと、得意げに口角を上げてルーシェは口を開いた。
"あんた、名前はなんて言うの?"
"あ、あたしはカノンだけど……"
"カノン、私はあんたのことを覚えた。カノンはもっともっと、視野を広げるべきだ。……飛べない代わりに、皆が知らない知識をその目と賢い頭にたくさん入れることができたら、必ず優秀魔女になれる。皆と一緒でいる必要は無いんだ。種族に囚われる必要も無い。むしろ君には勿体ない!勿体なさ過ぎる!次私たちが出会う時、君は今よりも、皆と違った魔女になっているように。これは私との約束さ"
カノンは一方的に結ばれた約束に納得がいっていなかった。自分にできることは、日々錬金術の腕を上げて、淡々と魔術士の怪我を癒すこと。別世界の医者的な存在、祈祷師と行動を共にする時は、よく憐れみの目を向けられた。カノンは魔女としての生き方を、在り方を変えなかった。
ルーシェに再会するのはほんの10数年後のことだった。その時、森に住む魔女たちは皆ルーシェに注目していた。なぜなら、ルーシェは禁忌を犯したからだ。
出来損ないのカノンの耳にも嫌というほど噂は入ってきた。
ルーシェは魔術士と恋に落ちた。
ルーシェは子どもを身ごもった。
ルーシェは子どもを堕ろすべきだった。
ルーシェは子どもを出産した。
ルーシェは禁忌を犯した。
ルーシェの心臓は燃やさなくてはいけない。
ルーシェの子の心臓も燃やさなくてはいけない。
魔女の種族は長寿である。長寿である彼等がこの世から命を落とす方法―それは心臓を燃やし尽きることだった。これはアースから伝わった伝承で、身体全てを火炙りにする方法だった。
皆と違った魔女になったのは、ルーシェだけだったのだ。頑強の魔女は、木造の十字架に吊るされていた。皮肉なことに、カノンはまた顔を見上げてルーシェと再会した。別れの言葉など惜しむ余裕も無い。
ルーシェはずっと何かを言っていた。よく内容は覚えていなかったが、それは確かに魔女たちの名前だった。
"―。―はできたかい。―、―がとても美味しかった。―、―の―は素晴らしい。―"
その時、はっきりと聞こえた。
"グリーンツインテール、カノン"
"……っ!"
"少しは新しい世界、新しい知識を獲得できたかな。皆と違った魔女になれただろうか"
なれなかった。私はなれなかった。
頑強の魔女は最後まで頑強だった。火が体を包んでも悲鳴1つ上げなかった。代わりに家族の名を呼んでいた。
"シェリー、シェリー。シェリー……きっと立派な魔術士になれるから。どうか、生きていて"
ルーシェは森の中で燃え尽きた。その数日後、ルーシェの娘は死んだという知らせが魔女たちに伝わった。
「そのシェリーというのが、アルルだったわけだね。あんたは名前を変えられて、亡くなったことにされて、父親の妹に引き取られて、守られたわけだ」
アルルはいつの間にか目から涙を流していた。母の壮絶な過去ももちろんだが、同時にカノンが異界にいる意味も何となく分かったからだ。
「カノン、貴方がいまここにいるのは」
「いやいや、私はただ運が良かっただけだよ。たまたま夜に森を抜けて走っていたら、夜の市場、カーニバルがやっていて。私にとってそれは初めて見る光景でオロオロしていたら、姉さんが、タンポポが声をかけてくれたんだ」
「ここに来てから、色んな人に会ったでしょう」
「それはとても。この別世界には本当にたくさんの種族があって、皆それぞれが、それぞれの誇りを持って一生懸命生きている。私はもう70年近く生きてるけど、まだ知らないことはたくさんあると思うよ。ただ、私がここまで生きてきて思うことはね……」
「うん」
「この世界には根っからの幸せ者なんて居ないってことさ。皆幸せを求めて毎日生きてる。少なくとも魔術士っていう種族は、悲しい人、寂しい人で溢れかえっている。1人で生きるには寂しすぎる世界だ」
アルルはふと思い出す。チームオセロのことを思い出す。
今まで出会った人達のことを思い出す。ずっと完全に忘れることなどできなかった人もいた。しかし、彼の幸せを望む資格などアルルには無かった。
1人で生きるには寂しすぎる世界。彼は1人になってしまったのではないだろうか。そんな中ふと、クッキーを持ってきた白髪の天使の姿が浮かんだ。
「ラファウル」
「ん?何だよ急に。というか、ラファのこと覚えてたのか」
「そうよ、彼にはここで初めて会ったんだわ。彼は他の小屋にいる?」
するとカノンは困ったような表情を浮かべて、首を横に振った。
「ラファは、ここを去った。また旅に出たんだ。もうしばらくは、顔を見せにきていないよ。普段からふらっと居なくなっては戻ってくるような奴だから、心配することは無いと思うけどね」
「そうなのね。……ならきっと、一緒に居るんだろうな」
アルルは安心しきったようにそう呟いた。
一方その頃、お茶ですっかり体が温まり、眠気に襲われていたレンをジュリは揺さぶった。
「レン、聞いてくれ。あんただから話せることだ」
「……何だい」
「タンポポが、チリフでアルトゥールと話しているところを見た」




