12-1 再会 - 消滅の危機
0時は餌やりの時間だ。オウバルBで働くサングスターの女悪魔は、その時間になると食べ物を乗せた台車をガラガラと押して歩く。食べ物と言っても、悪魔の脳味噌をペースト状にしたものと、気持ちばかりのパンだけである。横になっている魔術士の名前を呼んでやると、のそのそと魔術士は起き上がる。毎日がその繰り返し。魔術士達は、暴れないよう両腕に重たい鎖状になった防術魔法がかけられている。
「カーター君、食事の時間ですよ」
カーターは顔を埋めて体を丸め込んでいた。右手は包帯でぐるぐる巻きにされ、血が滲んでいた。左足だけ、鋭い鉤爪が生え、悪魔化に成功していた。その目に輝きは無かった。目の下には酷いクマがあり、ゆっくりと女悪魔に向けて顔を上げる。カーターは少し微笑みながら口を動かす。
「……ああ、アルル……来てくれたんだね」
「また私を"アルル"と勘違いしてるのね。……まあ良いわ。ほら、口をあけてごらん。あーん」
ペーストをパンに塗り、ちぎったものを口元に持っていくと、カーターは小さく口を開けてそれを受け止める。アルルが作ってくれたの、とカーターが小さく呟く。それに対する返答は無い。
「ありがとう……だけど、アルル、逃げて……悪魔が、狙ってる……逃げて」
「……え?」
ゆっくりと食事をするカーターに、女悪魔はもう一度尋ねた。
「何で、悪魔が狙ってるの?」
「フェアリーの血は、封印を解くから……」
「封印って……何の。まさか……ね」
「石……ナターシャの石。だから、早く逃げて、アルル……」
薬物中毒の戯言であると、女悪魔は信じたかった。ナターシャの石の封印を解く方法は、グレイの一族を滅亡させることだったはずだ。
しかし、もしもこれが真実なのだとしたら。1人で抱えるには荷が重すぎた。抱えきれなかった女悪魔は、それをアルトゥールに伝えてしまった。
そして、アルトゥールに呼び出されたのはフェアリーの天使であるラファウルだった。
ラファウルは、息が詰まりそうな気分で王座の間の椅子に座っていた。その顔を手で覆ったまま、アルトゥールは尋ねた。悪魔王の口から話されたものは、ナターシャの石を封印する方法についてだった。
「お前は知っていたか、この真実を」
「……いいえ」
割かししっかりとした声で、ラファウルは答えた。その頭では、どこで話が漏れたのだろう、と少し混乱していた。この真実を知っているのは、カーター、それからアルルだけだったはずだ。とっくにアルルとその仲間たちはアルトゥールと戦闘した後に、別世界へ戻っている。カーターが、悪魔化の訓練の最中に雑談でもしたのだろうか。いや、彼はそんなヘマをするような人間ではない。
「お前は確か……カーターとそれなりに親しかったと記憶している。この情報は……カーターが言っていたそうだが、お前は聞いたことがあったか。これは真か?」
「カーターは、今悪魔化の訓練を受けているんですよね」
「ああ、そうだが。手間取らせるな。質問に質問で答えないでもらいたい。この話は真か?」
「確証はありません。僕から答えることはできないです」
「……彼の悪魔化は少し難航しているらしい。こちらに戻るまで、もう少し時間がかかりそうだ」
「何が、言いたいんですか」
「私はいつでもカーターを消せる。おい、オウバルBの映像を寄越せ」
アルトゥールが近くにいた悪魔に命令すると、ラファウルの視線の先にモニターが現れた。宙に浮いたモニターには、暗闇の中で座り込むカーターの姿があった。顔はやつれていて、何かぼそぼそと呟いている。艶があった茶髪は輝きをなくし、ボサボサになっていた。途端にカーターは頭を抱えて絶叫した。その右手の形が変形していく。右手が怪物へと変わっていく。
「ごろす!ごろす!ごろしてやる!!返せ!仲間を返っ!せ……!えええああああ」
誰かが走り寄ってくる。女悪魔だ。女悪魔はカーターの首元に何か注射をした。途端にカーターの体がぐったりとして横に倒れる。
「カーター!!カーターに何を打って」
「質問に答えろ、フェアリーの天使。封印解除の話は真実か?答えてくれたら会わせてやる。むしろこいつの悪魔化を成功させてやってくれ」
ラファウルの唇は震えた。どうしてカーターだけがこんな目に遭わないといけないのだろう。どうして、僕が愛するカーターが、苦しまないといけないのだろう。
ここで自分が頷いたら、カーターが好きなアルルが死ぬのだろうか。そうしたら、カーターは悲しむのだろうか。
いいや。もう、どうでも良かった。アルル・フェアリーが死ぬんだったら死ねばいい。助かったところで、彼女はカーターを愛さない。
だったら、僕だけが君の傍にいさえすればいい。
「はい。僕は確かに、カーターからその話を聞きました。アルル・フェアリーが、新暦書を読んだとも」
「ふっ」
アルトゥールは口元だけで笑った。静かに、ラファウルは悪魔王に問いかけた。不思議と、唇の震えは止まっていた。
「僕も、フェアリーの血を持っています。貴方は、私を殺しますか」
「……そうしたかったところだが、できないと見受ける」
悪魔王は、気の毒そうにラファウルを見下ろしていた。彼の目には、一部分が黒く染まったラファウルの翼が映っていた。
「堕ちかけているぞ、お前」
数分後、ラファウルは変わり果てたカーターと再会した。アルルが来た、とカーターは呟く。
「違うよ、僕はラファウル。ウルだよ、カーター」
「ウル……そうか、ウルか、俺の友達の、天使の……」
「そう、そうだよ!大丈夫、カーターは強い魔術士なんだから、きっと立派な悪魔化を遂げられる。僕が隣にいる。君の好きな食べ物も持ってくるから。もう1人じゃないよ、大丈夫」
「……ウルの髪、いつから黒く……」
不思議そうな顔をするカーターの髪に手を入れると、いつの間にか白髪が大量に増えていた。
「このままだとカーターが白髪になって、僕達反対になっちゃいそうだね」
胸が痛い。胸が痛くてたまらない。再会を喜ぶはずだったのに。目は酷く乾いていた。
※ここから消滅の危機
「やばいよ……お金が無いよ……食費が無いよ」
毎月ギリギリの収入で生きているアルルは財布を眺めてため息をついた。午前中の学校が終わり、教室の椅子にぐったりと座っていた。
仕事をしなくては。そう思っていても自分からチームメンバーを集めることはアルルにとって耐え難い事だった。自分がチームメンバーにやってしまったことの記憶ははっきりと残っている。チームメンバー達は気にするな、と言ってはくれたがどう考えても悪魔城から脱出したあの日から少しずつ変化が起こっている。
「参ったな……」
もしかしたら誰か来るかもしれない。そんな途方もない期待を胸に、いつものカフェテリアで時間を潰した。依頼書に目を通しつつ、ポケットから出てきた"ナターシャの石"に関するメモ書きを見る。
今頃、カーターがアルトゥールにこの真実を伝えているのだろう。今度こそ本気で彼らはアルルの命を狙ってやってくるだろう。そんな時にチームはバラバラだ。軽く2週間以上は経ってしまっている。学校へ行って帰ってくるだけの毎日はつまらない。レンはさておき、ツバサとベティは学校にすら顔を出さなくなった。
「チーム消滅の危機なのかな」
アルルは自分で発言したことに自分でゾッとした。チームを組む前は何となくツバサがいつも絡んできていたが、今は誰も居ない。
「やっぱりレン、怒ってるのかな……」
レンの家を訪ねてみよう。そう決めると、アルルは立ち上がって学校を後にした。
レンが1人で暮らす家はあいかわらずこぢんまりとしていた。カーテンは閉まり、明かりもついているようには見えない。おそるおそる扉をノックするが、特に何も反応は無い。留守なのだろうか。そう思った時、微かに足音がして扉が開いた。
「……アルルじゃないか」
「何か久しぶりだね。皆にも全然会ってないから元気にしてるかなって思って」
「うん……アルルも皆に会ってないんだ。でも、元気そうだね……良かったよ」
レンの目の下にはクマができていて、あまり顔色も良くなかった。頭を片手で押すような動きを見せ、頭痛でもしているのだろうかとアルルは思った。どうぞ、とレンは扉を大きく開けた。
「大丈夫?……凄い体調が悪そうだけど」
「最近あんまり寝れてないんだ。ちょっと頭痛がするけど、平気だから……」
「寝れてないって……ごめんね」
「いや、アルルのせいじゃないよ。悪魔界が賑やかでさ、毎日のように作戦会議だよ。寝ようとすれば夢に引き込まれる」
「作戦会議?」
「ああ、そうだよね、知らなくて当然だ……」
椅子に座るアルルの前にティーカップを置くと、レンは弱々しく笑いながら話し始めた。1人で暮らしているのに、この家には椅子が4つある。何故かアルルは胸が苦しくなった。
「俺達グレイの一族はね、女王様に夢の中に呼び出されて意識だけが悪魔界へ飛ばされることがあるんだ。一応夢を見ている時にそれは起こるけれど、殆ど眠れていないのと同じなんだ」
「じゃあ毎日オールしてるようなもんじゃない」
「確かに……おかしくなりそうだよ。こんな時にアルルが来るとますますおかしくなってくる……俺の頭の中が」
「も、もう軽くおかしくなってるんじゃない?」
アルルが苦笑いをしても、レンはずっとニコニコと笑みを浮かべているだけだった。その笑顔が何故かカーターと重なり、自然と鳥肌が立った。するとレンは少し顔つきを変えて首をかしげた。
「どうした?……紅茶、不味かった?」
「寝た方が良いよ、レン。私も一緒に寝る」
「……へ?一緒に?」
「だって寝不足なんでしょ。何かさっきからテンションおかしいもの。私が一緒に寝たらベッド壊れちゃうから嫌だ?」
「いや、心配する所そこなのかよ」
アルルは立ち上がりレンの腕を引っ張った。レンはベッドの前まで連れていかれた。2人は小さなベッドに川の字になって横たわる。くんくんとアルルはわざとらしくレンのローブの匂いを嗅いだ。どうしたの、とレンがぼーっとした声で聞いた時、レンはあることに気がついた。
机上にハコが置きっぱなしだ。おまけに鎮火していない。
「何でもないわ。何か変わった匂いがすると思ったけど、気のせいだったみたい。香水か何か?」
「せ、洗剤かなあ」
無理な嘘をレンは突き通した。アルルはあまり反応せずにそっぽを向いてしまい、レンに寝るように促した。しかしレンはアルルの首に手をかけて、自分よりも背の小さい頭に顎を乗せた。アルルは特に何も言わなかったが、レンはぼそりとつぶやいた。
「俺達さ、最近ゆっくり2人で過ごすこと無かったじゃん。いつもツバサが邪魔してくるから」
「邪魔……してたっけ」
そう言ってアルルは顔を上げてしまった。そこですぐに顔を上げなければ良かったかも、と後悔した。レンはアルルの髪に手を入れて、その唇を塞いだ。
まだ慣れていない長いキスに、レンの腕をぎゅっと掴んだ。目の前がぼやぼやとしてくる。何故か涙が零れた。息が荒くなり、体が熱くなってきた。アルルの髪に触れるレンの手も熱い。
唇を離し、アルルの目から涙が零れていることに気づきレンは寝不足ながらも我に返った。
「え?!え?!待って、俺舌噛んじゃったかな?何か口の周りに、デリケートな部分があるとか?どうしたの?!」
「わかんない。何か泣いちゃった」
「……そう。じゃあ続きを」
「え?!」
気づいた時にはアルルはベッドの上に倒れていて、目の前にはクマができているレンが居た。しかしレンは寝不足でも体は普通に元気だった。アルルは黙ってされるがままになっていた。ローブのボタンが簡単に外され、中に着ているTシャツが顕になった。
レンはシャツの中に手を入れ、アルルの肌を素手で触った。恥ずかしくて顔が見れない。それを察したのかレンはまたキスをした。レンの手は胸元まで上がっていくと、今度はシャツを脱がされそうになる。
「……あー待ってちょっと限界、眠気が」
半分シャツが脱がされた状態でレンはいきなり眠りに落ちた。
「ちょっと!何でこのタイミングで寝るのよ!てか重い!起きてよ!!」
レンは一向に覚める気配はなく、逆に気持ち良さそうな寝息が聞こえた。ちょうどアルルの胸の上に顔を乗せて眠っている。
アルルはため息をついて天井に目をやった。
「苦い味……何となくそんな気はしてたけど、ハコ吸ってるの分かってるんだからね……」
いつもは届かない高さだったが、この状態では届いた。眠るレンの頭をアルルは初めて撫でてやった。そしていつの間にかアルルまでも眠ってしまった。
「はぁ……」
「あんた何か最近イライラしてない?そういう時期?……ああ、あれ、倦怠期ってやつ?」
お盆を抱えたまま28回目のため息をつくベティのことをレイナは横からつついた。この頃ベティはずっとこの調子である。それを察していたのはレイナだけではなく、ベティの祖母や他の店員もだった。そしてベティは学校にあまり行かなくなり、レストランで一日中働くことが多くなった。
「あんたもたまにはオフの日入れたら?気晴らしに外に仕事行くとかさ。私だって夜くらいは遊びに行ってるよ、依頼の仕事もあるけど」
「……オフあったって、上でゴロゴロしてるだけだもん。それならホールにいた方がマシでしょ」
「普通に大丈夫なわけ?チームメンバー生きてんの?」
「それぞれ生きてるんじゃないの。どうせそのうち皆忘れていって、自然消滅しちゃうのよ」
「自然消滅って……別れ際のカップルみたいな言い方して。ツバサと何かあったんでしょ」
「ツバサが何を考えているのか私にはわからないの。何だかどこまで首を突っ込めばいいのかもわからないし……はぁ」
「要は構ってほしいってことか」
「単純にそうだったら良いんだけどね……ツバサもツバサで1人で学校行ってるとか訓練してるとかそんなんだったら良いのにあの男は!」
「浮気?!……えっ結構まじな話じゃんおい。でも女といるの見かけても、ベティは堂々と前に出ていける権力があるじゃない。それで8割型解決なんじゃ――」
「私の知ってる人なんだもん!!」
ベティが言い捨てるように叫ぶと、店内の客がびっくりして沈黙が流れた。ごめんなさい、と慌ててベティは謝りレイナまでため息をついた。
「で、誰なの?その相手って」
「リッチェル」
「ああ、あの魔法士の子ね……確かに綺麗な顔してるよねえ。彼女ってこの間彼氏さんが亡くなっちゃったんでしょ?だから元気づけようとしているんじゃないの、ツバサなりに」
「だからって私に連絡一つしないで放っておくものなの?!どっちかを見かければ必ずどっちかがいる。それに前まではまた来たよってウザくなるくらいここの店にも来てたのにぱったり来なくなった!何かやましいことでもあるのよ間違いない!」
「チリフ呼び出しなよ。連絡鳥だけで良いじゃん」
「今だってきっとリッチェルとデートしてるの。私はただの邪魔者ってこと」
「で、デートって……あいつの"デートする相手"はお前しかいないだろうが!」
ベティが悶々としている理由はツバサのことだけではなかった。無関係者、という訳では無いが、自分の存在はチームにいてもいなくてもどっちでも良いような気がしてきたのだ。
先日の牢獄脱出も殆どレンの足手まといになった。ベティは普通の雷術士。それ以上でもそれ以下でもないのだ(とはいえ雷神の直系子孫ではあるが)。
「もう嫌だ私ー」
「じゃあ私と仕事でも行く?……それとも遊びに行く?夜」
「うーん……でも金銭的には別に困ってないからなぁ……遊びに行っても、まあ良いよ」
「ベティも欲求溜まってるんでしょ。良い出会いがあるかもよー?」
「私別にそこまで欲溜まってないし、そんな場所に出会いは求めないから。ただ遊びたいだけです」
「溜まってない?!ツバサの奴、常に欲ありそうだけどね。あいつ暇さえあればヤルことしか考えてなさそう」
「男って皆そんなもんじゃない?」
「まあね」
ベティとレイナは営業中に普通に話している為、店内にいた男性客が少し苦そうな顔で笑っていた。ここのレストランはお得意さん、という人が多いため2人のプライベートな会話も特に誰も首を突っ込んでくることがないのだ。とうとうレイナは一線は越えたのか、まで尋ねてきた。ベティは首を横に振った。
「いいや」
「へえ意外だね。あ、寸前まで行ったんだっけ?でも店でゴタゴタがあったから邪魔されたとか何とか」
「その原因あんたでしょ、レイナ」
「でもあれから結構日が経ってない?よく我慢してるね」
「向こうは我慢どころかもう1発やっちゃったんじゃないの?」
「随分あんた怒るとゲスいこと言うのね……流石にそこまでは行かないでしょ、あいつも」
「行く可能性ありありよ。だって私、もう3回くらいおっぱい触られたけど、触られただけでいつも何かが起きて仕方ないからその日は終わるのよ!だからって別の女と寝るのもそれはそれでどうかしてると思うけど!」
「だからリッチェルと寝たって確証無いじゃんか。それにそこまで行ったんなら尚更ベティを求めるでしょう?」
「だったら何で求めに来ないのよ!別に期待してるわけじゃないけど、ここ最近ほぼ毎日学校にも行かずにここで働いているのよ!欲しいんなら求めに来ればいい話でしょ!」
「よーしわかった!私が代わりに連絡してやろう」
レイナはベティの背中を叩いて、何か言われる前に連絡鳥チリフを呼び出した。そしてすぐにツバサへ連絡をかけた。ベティは死んだような顔をして横から見つめていた。
「なかなか出ないな……お?」
「……ただいま、チリフを受け付けすることはできません。伝言を残したい方は5秒後にお話ください」
録音された機械音が響き、レイナもベティも唖然とした。その約5秒後、ベティは叫んだ。
「……もう、絶対会いにこないで!馬鹿!大っ嫌い!」
ドタドタと階段を駆け上がり、ベティは自分の部屋のドアを乱暴に閉めた。




