7-1 海の依頼
見覚えのある赤い場所にレンはまた立っていた。この前見た夢と同じく、辺りには醜い姿をした悪魔達が集まっていた。これは夢のようであって、夢ではないような気がした。
レンは悪魔達の間をすり抜けて、玉座に座る黒の女王になるべく接近した場所へ移動した。隣に立っている魔術士が深く被ったフードを少し上げて声をかけた。
「やあ」
「ジュリか。またこの集まりなのか」
「戦いは近いようだ」
「戦い?何の戦い?」
「黒の女王がこれから教えてくれる」
ジュリはまたローブのフードを深く被った。黒の女王は機嫌が良さそうに笑うと、自分の仲間達に手を振った。悪魔達は歓声を上げた。
「我が誇り高き戦士達!開戦の兆しが見えたようだ!我々の時代がやってくる!サングスターの一族を一人残らず駆逐せよ!その先に我々の勝利が待っている」
レンは一人、手を挙げた。その途端歓声が治まり、皆がレンに注目した。黒の女王は優しい声で尋ねた。
「どうした?」
「サングスターの人を、全員殺す必要なんて俺は無いと思う」
「何故そう思う?」
「……そんなことしたら、サングスターのやってきたことと同じことを俺達はするだけだ。だから、戦っても何も良いことなんて無い」
「聞いてくれないか、レン」
レンの体は宙を浮き、黒の女王の隣へと行った。レンは氷原で会った魔術士と目が合った。
「レン・グレイ、また余計なことを……」
睨みつけてくる魔術士を無視して、レンは黒の女王の言葉を待った。黒の女王はゆっくりと言った。
「お前の意見は実に人間らしい。だが、お前のこの血の中にはな、私達悪魔の血が流れている。お前は悪魔の子なんだよ。悪魔はやられた分だけやり返すのが主流だ」
「……俺は悪魔じゃない、魔術士だ」
「私達はずっと差別をされてきた。天使にも目を背けられた。私達はどうして自由に生きてはいけないんだ?私達だって自由に生きたい。それはレンも同じだろう?」
「それは……俺だってそうだけど……」
「レン、何度も言うけど貴方には悪魔の血が流れている。いつその力が暴走してもおかしくないんだよ。そして、君の周りに暴走した君の力を止めてくれる人は居ない」
「居ます」
そう答えた時、黒の女王の顔つきが変わった。黒の女王はレンの体ごとローブを掴み、互いの額がぶつかるほど顔が接近させた。レンはその時初めてしっかりと女王の目を見た。女王の目の中は黒ずんでいて、そこに自分の姿も写していなかった。
「その人間は誰だ」
「殺すんですか」
「……少し言葉を謹んだらどうだ。どうしてそんなに口答えができる?何故こんなに私の近くに居るのにお前は震えていない?まるで……あの忌々しいナターシャのようだ。ナターシャ以外の者で私を怖がらなかった者はお前くらいだ」
黒の女王から発せられた"ナターシャ"という名前に周りの悪魔達からどよめきが起こった。すると女王がものすごい剣幕でレンに声を上げた。
「ナターシャ・フェアリーに関係する人間と関わっているのか!!あいつらは私達の敵だ!いつもニコニコと笑っていながら、私達のことを侮辱したんだ!許さない……私は許さないぞ!」
目覚めた時には汗びっしょりだった。黒の女王が登場する夢を見ている時は睡眠が取れていないように感じる。カーテンから少し外の様子を覗くともう明るかった。レンはまたベッドに倒れるとまた少しの間眠った。今度は夢を見なかった。
ノックの音でレンはまた目を覚ました。リズム良く叩かれるノックは耳障りで、レンは枕を耳に当てて聞こえないフリをした。しかしノックの音は止まない。起きたてでドアを開ける気は無い。それにこの一定リズムで叩かれるノックには聞き覚えがあった。
レンはドアを開けずにこちらから1回バンとドアを叩いた。
「うわっ」
ドアの向こうから驚いたような声が聞こえ、予想していた声だと思った。レンは顔を洗い、魔術で髪を整え、ローブのポケットの中にジュリから貰った拳銃や諸々な武器を無造作に放り込んだ。ようやくドアノブを回して開けると、ツバサとベティが居た。
「さっきまで寝てたの?もう昼間だよレン君」
馬鹿にしたように言うツバサに付け加えるようにベティが口を挟んだ。
「ご飯は食べた?」
レンが首を振ると、2人は顔を見合わせた。成り行きでベティのレストランに入ると、やはりレイナがまだ働いていた。
レンの向かいにはツバサとベティが座った。ベティはポケットから依頼の紙を何枚か出してテーブルの上に広げた。
「そろそろ仕事した方が良いと思って。またいくつかチョイスしてきたの」
しばらくレンが依頼書を片手にざっと読んでいると、ツバサが話を切り出した。
「そういえば、アルルのことなんだけどさ」
するとレンは依頼の紙から目を離した。食事は続けたままだったが。
「しばらく一緒に働けないって」
「え?病気?」
「いやいや。リアおばさんのとこにいるんだ。緊急業務らしいよ、俺もよく分かんないけど……一番始めにレンに連絡したって言ってたぞあいつ。でも出なかったって。お前寝てたんだろ、間抜けだなぁ」
「そ、そうなのか……それで俺の家来たのか」
「そういうこと。アルルも呼び出されたのは昨日の夜とかで結構バタバタしてたらしくてさ。何があったんだかな」
「でもあの女帝のところにいるって分かってるんだから会いに行こうと思えば行けるもんね」
ベティが明るい声で言うと、レンは黙ってうなずいた。アルルが不在なのは仕方ないため、次の依頼は3人で決め3人で引き受けることになった。
「これは?星の砂浜の監視員」
「何これ」
「そのままだよ。海水浴場の監視員」
「どうせお前遊びに行きたいだけだろ」
「めちゃくちゃ報酬良いぞ。1日だけでこの額だよ?しかも今、レクタングル国王即位30周年記念で、魔法海上遊園地ができてるんだ!行きたくないか?」
「仕事で、だろ」
レンが飽きれたように言うと当たり前だ、とツバサは言った。ベティも良いんじゃない、と少し弾んだ声で賛成した。
「でもたまには遊ぶのも良いか……」
「アルル居ないけどな。可哀想アルルー」
「ねー、可哀想よね」
「何かレンが結果一番可哀想」
ツバサが笑いながら言うと、レンはムッとした顔で睨みつける。ローブのポケットに手を突っ込みながらレンは立ち上がって言った。
「ちょっとハコ吸ってくる」
「え、お前ハコ吸う系魔術士だったの?!」
「お店の中でも大丈夫よ。その、そこに空気清浄装置があるから、レンは特別にそこの近くなら」
ありがとう、とレンはベティに向かって言うと、指さされた清浄装置の近くに立った。ポケットから、白いスティック状のものを取り出すとそれを口に咥えて、人差し指を軽く動かした。レンの人差し指の少し上に、小さな火が灯る。魔術士なら誰もが習う基本魔術の1つ、"火を灯す"魔術だ。それをスティックの先に灯すと、ゆっくり吸い込み、口から煙をふうーっと吐き出した。
ハコとは、アース生まれの"タバコ"という嗜好品が元になった、魔術士向けの"リラックス効果"のある嗜好品だ。ハコには特殊麻薬が含まれており、魔術士ではないごく一般のアース人―つまりリッチェル等が誤って口にしてしまうと、薬物依存症に陥る恐怖の代物でもある。スティックに染み込んだ特殊麻薬の香りがまた独特で、好みが分かれるため、ハコを吸う場所は選ばないといけない。
「ツバサ知ってる?アースではあれ、20歳まで吸っちゃいけないのよ」
「え、そうなんだ。ハコは確か火を灯す魔術ができてれば、何歳でも良かったよな」
「ちょ何歳でも良いわけないじゃない。体がちゃんと発達してからよ。大体15歳くらいからだわ……レン、もしかしてアルルが居たから吸ってなかったってこと?」
「ま、まあ……」
少し肩をすぼめてレンが苦笑する。ツバサはわざとらしくため息をついた。
「お察しの通り、アルルは吸ってないよ。そもそもハコを吸ってる人って、いつも疲れてるような人ってイメージがあるんだよね。リアおばさんがとにかくハコの匂いとそのビジュアルがスカしてて嫌だって人でさ。俺とアスカは城を出るまで吸わせてもらえなかった」
「えーツバサってリア女帝のお城に住んでた時期があったの」
「あーまだ言ってなかったっけ。今度詳しく話すよ」
「で、結局ツバサは吸わなかったのか?」
「吸ったよ。でも匂いが俺はダメでハマらなかった」
なんだ、と少し残念そうにレンは反応すると、またハコを吸った。すうーっと体の中に爽快感が染み渡る。メンバー達の前で吸ったのは初めてだったが、レンはよく黒の女王の夢を見た後なんかには家で1人で吸うことが多かった。ハコは特殊麻薬というものの、体に害はなくただ人より出費がかさむくらいだった。あとは入手するには、カーニバル(夜の市場のことだ)で屋台から購入する方法しかなく手間がかかることがデメリットだった。
「でもレン、それいつまで隠せるかね〜もう俺たちにバレちゃったんだから〜」
「なんかアルルは秘密にしてることの方が嫌がりそうだけどね」
次回は明日22時過ぎに投稿予定です。




