ある住人の悩み
「人は生まれながらにして平等である」
「次の鍋はやく!」
「はひー」
私がここに来た元々の理由は本を読むためだったが、気がつけば彼女たちの働く姿を目で追っている自分がいた。
そのようなことを外の知り合いに話せばきっといい笑い話になるだろう。
そもそも使用人とは主人のために働く存在であり、そこに特別な気持ちを抱くことなど貴族からすれば本来はあってはならないことだ。
しかし、ここにいるとその距離感をどうしても見失いがちになってしまう。
たとえば小さな体躯で必死に樽を運ぶ姿、額に汗をためながらスープをかき回す姿、みんなで歌いながらシーツを洗う姿、屋敷にいた頃には決して見ようとは思わなかっただろう彼女たちの姿。
生き生きと働いている彼女たちを見ていると、言葉や文字では表せない感情がフツフツとわいてくる。
しかしそれがいったいどのような感情なのかはわからないが、恋とか愛なんて馬鹿げたものではないのは確かである。
私は屋敷にいたころ、彼女達を気にしたことなど殆どない。むしろ視界に入ることさえ嫌悪していた。
視界に入った時点で追い出したこともあったし、声が聞こえただけで仕置きをさせたこともあった。
だが今ではどうだ?私は労働階級には労働階級にのみ存在しうるある種の美があるのだと、理解できるようになってしまった。
「肉が焼けるまでどれぐらいだい?」
「あと2回ですー」
彼女たちは私達が気まぐれで始めた宴会のため、朝からずっと間断なく料理を作っている。
これまで多くの美術品・芸術品を見てきたが、彼女たちの料理に比べれば陳腐なものと思えてくる。
ただの白い粉を水でまぜ火に入れる、それだけで綿のように柔らかいものから石のようなものまで自在にパンを焼き上げ、時にはそれを様々な形の麺としてゆで上げてくる。
骨や野菜を煮込んで琥珀のように美しいスープを作り出す。
鳥や豚を生前の姿そのままに綺麗に焼き上げて提供する。
その仕事はさながら錬金術師か魔術師といったところだ。
「倉庫に肉がもうありません!」
「乾燥室にあるやつ乾いてようが湿ってようがありったけ持ってきなさい!もう肉ならなんだってかまわないから!」
野菜を切るだけでも同じ大きさに切りそろえることもあえて不規則に切ること、さらに望まれれば彫刻のように動物を模って作る。
焼くことで甘味が増すもの、煮ることで苦味がでるもの、それらを巧みに操り料理を仕上げる彼女たちを芸術家と評しても差し支えないとさえ今では考えている。
そしてそれはキッチンメイドだけではない。ハウスメイドたちによる掃除や手入れのおかげで私たちは快適な日々を過ごせるわけであり、ランドリーメイドたちにしても同様である。
私達はそれを当然のものとして享受してきた。
しかしそれがいったいどのようなものか理解しようとはしなかった。
知ってはならない、見てはならないものとして、私達は身分という見えない壁を建てることで理解を放棄してきたのだ。
「バター塩抜きやった!?」
「スミマセン、忘れてました」
私は世を捨てた、しかし私に流れる血は貴族の血のままである。
そして貴族は見えない壁を誰よりも守らなければならない。
「じゃあゲームを始めよう」
「邪魔しないでください、ハリスさん!」
しかし彼女たちと楽しげに話しているアスター殿を見ていると、その血を疎ましく思うこともある。
あぁ、私はいつまで貴族でいられるだろうか?
「しかし不平等に育ち、そして平等に死ぬ」