屋敷勤めとの違い
大空を舞う鳥は籠の中を望み、飼われた鳥は大空を望む。
屋敷勤めと大図書館塔での仕事の内容は似ているようで似ていません。
例えば屋敷であれば普通、使用人には主人や女主人、時にはそのご子息に仕えることになりますし、その身分の差は山よりも高い。
しかしここでは住人と私たちの差は殆どない。
むしろ仕事の邪魔だと判断すれば力づくで排除する権利が私たちにはある。
もちろんキッチンメイドにはコックメイドが、ハウスメイドにはハウスキーパー、ランドリーメイドにはランドレスが存在しているけど、仕事以外のところではとても親切にしてくれる。
それというのも、あくまで私たちが仕えているのはこの大図書館塔そのものと、ここに所蔵されている書物に対してであって、その業務の一環として各住人の世話が付帯しているだけだからだ。
そのため、屋敷ではありがちな主人の気まぐれに振り回されることは殆どないし、不貞を持ちかけられて断れずに泣き寝入りする子もいません。
…たまに困った方がもたらす面倒ごとはありますが、屋敷勤めよりはきっと少ないと思います。
その日の仕事が終わればそれ以上働く必要もありませんし、周りと折り合いがつけば休むこともできます。
だから前日に準備をしておけばほぼ丸一日を休むことだってできたりします。
なんてったって私たちは『何よりも本を第一にすること』、それだけを遵守すればきちんと仕事をこなせばお腹いっぱいに食べられます。
お腹いっぱいに食べられて、十分に休めることはとても幸せなはず。
それに加えて恋愛や結婚、そして出産も育児も仕事に影響が出ないならば許されています。
これは屋敷勤めでは許されていません。
とはいってもここが自由な恋愛環境とは言い難く。なんせ使用人は皆女性で、住人の方々は仔細洩れなく変わり者。
それ以外の出会いと言えば、『三度の飯よりも知識』という新たな居住希望者か、『拝金主義者』な出入り業者ぐらいしかないため、そんな浮いた話はとんと聞かない。
それもこれも私たちがここから出ることが許されていないことが原因です。
一応ガーデナーになれば塔の外側へ菜園を持つ事が許されるそうですが、その際には魔物に襲われる危険と戦いつつ、会話を禁止する仮面の着用が義務付けられているためやりたがる子は殆どいません。
それというのも簡単に外部との接触が許されると、本の知識を外へ流出させるためだけに使用人を送り込むことができてしまうため、だそうです。
契約では任期を全うすれば外出を認められてはいますが、契約期間は200年。
それは死ぬまで働く事と意味はあまり変わりません。
この期間は私たち使用人だけでなく、住人の方々も同様だそうです。
もちろんそのことは再三再四、確認した上で皆契約をしているから破ろうなんて真似はする気はしません。
その代わりに私たちの家族にはそれ相応の給与が送られています。
給与の不払いや地縁に一方的な契約打ち切り、事実無根な罪を着せられたり、体罰や筆舌しがたいあれやこれ、そんな嫌なことがここでは嘘みたいに起きません。
でも、屋敷勤めしていた頃の方が『生きている』という思いが私の中にはあります。
なら「今から屋敷勤めのあの頃に戻りたいか」、と尋ねられたら「休みの日ならいいかな」と私は答えると思う。
なんせここは研究者たちにとって楽園であるように、私たち使用人にとっても楽園なのですから。
「この鳥たちが幸せになるためにはどうすればいいか、それを追求し模索することが我々の仕事だ」
「えっと、人が鳥を飼わなければ解決します」