新人教育
巨木も最初は木の実から
ここにやってくる使用人はみんな何かしらの理由を抱え、志願してやってくる。ある先輩は干魃で死を待つだけの家族を助けるため、ある先輩は仕えていた屋敷の奥方を助けるためだと言っていた。そしてここの主人は入念な身辺調査を重ねた上で、それに嘘偽りがないことを神前で確認して契約になる。たとえ一国の王女だろうが教会の聖女であろうとも、ひとたびここで働くことになれば生きてここから出ることはまずできないらしい。
しかし外へ出る自由と引き替えに安全な生活が手にはいる今を知ってしまえば、仮に外へ出られたとしても出て行こうなんてそうそう思えることでもない。実際、先輩が「出たいなぁ」なんて口にすることはたまに見かけますが、行動に移した先輩は数えるほどしかいないそうっすし、その全員がここに戻ってきているとのこと。
そしてあの日、新しい使用人がやってきました。私にとっては初めての後輩になるので、とマムに連れられてその引き受けに立ち会わされました。
身なりをきっちりとした商人は少女が入った檻を置いていきます。それを見て私は、ずいぶんと厳重な護衛だなぁ、と自分でもずれてるとわかる感想を抱いていました。私の時は首に縄だけだったし、魔王さんなら荷台に固定もなく載せるだけでしょうし、背負われてきた先輩もいるそうです。でも木とはいっても流石に檻に入れられて来たなんて話は聞いたことがありません。言いたくなかっただけかもしれませんが。
さすがのマムはそれに驚く様子もなく、契約書へ印章を捺して檻ごと引き取ります。彼は離れたところにいた仲間のところへ合流すると、その商隊はそのまま砂漠の方へと歩いていっちゃいます。
マムは裏口を閉めると、持っていた鍵で檻をその場で開放しました。それから楽しそうに檻に入れられていた少女の身体を観察し始めます。はたから見てるとただの変態みたいですが、間違ったものが届いたとなれば大問題。でもそれを確認するなら印章を捺す前なんじゃ、とツッコミたい。
私も暇だったのでマムの後ろから観察します。髪は肩ほどで切りそろえられた綺麗な銀色、青色の目、私の方が年上かな?かなり怯えているように見えるけど仕方ない、私も自分の時は正直マムが怖かった。あそこは魔物や人間も食べるような変人の集まりだ、なんて聞いてたから食材としての鮮度確認にしか見えません。
なんて考えていたらマムの方は確認が終わったらしく、少女の腕輪を外して私の方に振り返り
「それじゃあその子の教育は任せたわよ」
「はいマム、はい?」
教育係を押しつけてきた。それが突然だったため思わず返事をしてしまいました。気がついた時には手遅れで、すでにマムが私のことを勝手に紹介しています。ちょっと頼りないけど先輩だから助けてあげてね、……いえ、確かに頼りないとは思いますが、それでも助けてあげてねはないと思いますよ。これでも1年近く水汲みしてるわけですし、流石に今日きた子には負けられませんよ。
「あれ、ってことは私は水汲みから昇格ですか?」
「そうなるわね、希望はキッチンだったわね」
「はい」
あぁそっか、教育係って引き継ぎのことか。言われてみたら私も水汲みを始めた時は先輩が3日ぐらい教えてくれたっけ。運ぶのに力と技術はいりますが、仕事内容だけは単純だから引き継ぎはすぐに終わっちゃったからあまり記憶にはありませんでしたが。
「キッチンの仕事も教育も疎かにしてはいけませんからね」
「えっ、同時にですか?」
「当たり前です」
言い切られてしまいました。それで優しい先輩の引き継ぎがあんなに短かったのか。思い返してみれば先輩は洗濯室と私のところをかなり走り回ってた気がします。まぁ、注意することを教えたらあとはそれほど複雑な仕事ではないからその間ガマンすればいいかな?あぁ、でも樽洗いだけはしっかり横付きしなきゃダメか。
「分かりました」
「ではこの子が一人前になるまでしっかり教育してくださいね」
「はいマム」
深いことを考えず私は引き受けました。彼女も物覚えが悪いわけではなく、運び先や片付け方法をすぐに覚えてはくれましたが、いかんせん体力がなかったのです。
空の大樽1つ持ち上げるのですら一苦労で、彼女が1つ運ぶまでに私は5個も6個も運べてしまいます。私だって最初は慣れてませんでしたから遅かったですが、流石にそこまでは遅くはありません。しかし彼女が手を抜いていたりサボっているのかといえばそうではなく、玉のような汗を浮かべながら樽を転がしているのです。
それだけ仕事が遅いと他の仕事に差し障りがでるわけですが、その穴埋めを誰がするかと言えば教育係の私以外にいません。
最初のうちはまぁ仕方ないかな、とキッチンと行ったり来たりしてましたが、段々と仕事に支障が出てきたのでマムに相談しましたが、「一人前になるまで」という約束なので手は出さないと断られました。しかもキッチンの仕事も行うようにと言い渡されます。
うん、実はかなり厳しかったけど周りがキッチンの仕事を減らしてくれたりしたおかげもあって、さほど大きな問題なく半年が過ぎてようやく一人前になりました。
「が、この子の時の話」
「ちょ、ちょっと先輩、恥ずかしいからバラさないでくださいよ」
「あなたに偉そうにしてるこの子だってあなたみたいな時期はあったし、私からしたらまだまだ半人前なの。
だから迷惑かけてる、とか思っても大丈夫よ。あなたが困ってたらきっと助けてくれるから」
そんな風に頭を撫でると、少女はようやく泣き止みました。それから「後始末はやるから早く水を運んできなさい」と背中を押してあげます。一方の話のネタにされたあの子はブツクサ言いながら箒を持ってきました、なぜか2本。
「じゃあ先輩、一緒に水掃き掃除お願いします。なんせ私まだ半人前なんで」
「……」
マム、そこで笑ってないで助けてください。