住人紹介:運営者
巨石を川のために形を変える。
私がここの運営を始めるまでは老若男女問わず定額であったため、多少の変動はあったもののその対価は非常に高額であった。結果として入れる者は多くはなかったし、当初の目的である研究というより隠居後の道楽のために住む者がその比率の多くを占めていた。
別にどのような人間がいようが私にとって観察対象の種類が増えるだけでは構わないが、使用人や本を乱雑に扱われるのは他人事では済ませられないし、そういった手合いを後腐れなく処理するのは非常に手間だった。当然ながら運営する上では住人などさっさと処理してしまう方が手間ではないし早死にしただけ丸儲けなのだが、それをすると面倒な奴らに小言を言われるのでなかなかで滅多なことがなければやるつもりはない。このまま使用人に運営を任せていたのではいつかは破綻を迎え、それは私にとって都合が悪かったので、あの時点でも現時点でも最長滞在者として私が運営を取り仕切ることとなった。当然ながら少なからず反発はあったが、人の寿命などさほど長くはないものだ。
まず最初に手を加えたのが、ここへ来るための対価を相手に合わせてることだった。そもそも人の寿命は一定ではない、例えば2日しか生きられない者と20年生きるであろう者ではそこにかかる費用は大きく変わるし、大食漢と粗食家でも食費は変わってくる。そういった個人の性格や嗜好などを私は計算材料とし、生涯でかかるであろう諸費用を算出して対価に反映している。他にも本を理由にすることで様々な無駄を引き締めていき、さらに使用人たちには商品となりうる何かを作らせて副収入にする動きもとっている。
物を買うにも一つのところから購入していたが、これも不公平という名の下に止めさせた。これまで散々儲けてきたことを訴追しなかった事を感謝されこそ、商家の一つが滅びようが知ったことではない。滅びる物は滅びる、ただそれだけのことだ。
そのような当たり前なことにも気づくことなく彼女たちは、ただ過去から今、そして未来へと仕事を流してきていた。しかしそれを私は良くも悪くも変えてしまった。最終的な着地点としては私がいなくなってからも運営が存続できる体制を整えるになるのだろうが、少なくとも国を相手にできるだけの力とそれを自制できる存在が必要になるし、供給を封鎖されても乗り切れるだけの食糧の確保も求められる。
しかし私にはそこまで世話をする責任感など持ち合わせてはないが、「寝ていても食べ物があり、新しい本が集まってくる」というここでの暮らしを気に入っているし、個人的な目的のために多少の協力はすることにしている。例えそれが同胞を相手にすることになったとしても……