最古の記憶(冬がすき/クリスマスがすき)
最近読んでいる本の中に、「高校生のための文章読本」という本がある。
筑摩書房から出ている文庫本で、五百六十ページ近くあるのでなかなか分厚い。値段は千五百円(税抜)と、これまた文庫本にしては少しお高いのだが、後世を生きる“高校生のため”、古今東西の名短文が七十篇程集められており、濃い、内密度の高い本だといえる。
私はもう、とっくの昔に高校生ではなくなってしまっているのだが、先人達が“高校生のため”に作ったアンソロジー本とあれば、そりゃあいいものに違いないと思って手に取った。それはやはり、間違いではなかった。どの短文も読みごたえがあり、美しく、おもしろいのである。それを毎日、ちょっとずつちょっとずつ読むのが、最近の私の日課となっている。
その本にはただ短文が載っているだけでなくて、良い文章の読み方、書き方の、その方法や考え方の指南も書かれている。
この本によると、『文章を書く上で最も大切なことは、他人には決して書けない、自分にしか書けないことを書こうとすることだ』とある。そして、その『自分にしか書けないこと』の代表的なものとして、『一番古い記憶』を挙げている。『記憶』というものは当事者にしか分かり得ないものであり、その風景、空気感を他人に伝えるためには、創意工夫して文章を書かなければならないからだという。
なるほど。と、私は納得した。そしてすぐさま、自分の記憶を探って、最古の記憶を引っ張り出してみた。――すると。現在の私の価値観にも通ずる、ルーツともいえる体験が、蘇ってきたのである。
私の最古の記憶。それは、1994年12月24日のことだった。
夜。部屋は石油ストーブによってぽかぽかに暖められ、少し暗いリビングには、白熱灯による夕陽色の光で満ちていた。四才の頃の私は、今現在の私のように笑顔を自らの意思でもって我慢するようなことは一切無く、無邪気に、なすがままにニコニコと笑っている。考えていることは、サンタさんが持ってきてくれるのであろうプレゼントのことだけ。それだけ。将来への不安や、いつかくる誰かの死、時間の流れについてなどは、一切考えもしなくって、声優やスーツアクターの存在だって知らなかった。目の前には両親がいて、今より若い母は微笑み、父は大きなビデオカメラを手にしていた。私はそのおかげで、双方の視点の記憶を持っている。両親を見る視点、私自身を見る視点。(その数日後、この日の様子を撮ったビデオを、父と見た。父はブラウン管テレビに映る私を指差して、「同じ服を着てるね」といった。アメリカのお菓子みたいな、毒々しい程に濃厚な青のトレーナー。当日も、そのビデオを見た日も、確かに同じ服を着ていた。これが、この記憶が私にとっての最古の記憶になり得た原因だと思う)
父は座りながら、後ろに伸ばした脚で壁を叩いて、ドン、ドンと鳴らした。「あれっ、サンタさんが来たんじゃない?」。私は笑いながら、「あしでやったでしょ!」という。「やってないよ」。私は身を乗り出して、父の脚を見ようとする。父が身体を使って、それを止める。
また、ドン、ドン。「サンタさんが来た音だよ」。私はよろこぶ。見ている方が恥ずかしくなる程に。そして、寝室に向かって駆け出す。父が、暗い廊下を追う。
寝室に入る私。そこは、今は自分の部屋になっている部屋。今現在キーボードを叩いている私の視界に入っている、そのドア。背をいっぱいに伸ばして、その扉を開ける。駆ける私。ベッドに飛び乗ると、這うようにして進んだ。セミダブルとシングルを並べた、大きなベッド。枕元に、緑色の紙でラッピングされた箱がある。当時の私の心臓が、最高潮に高鳴る。――私が今ちょうど、座っているここだ。
父は、「サンタさん来てくれたんだね」といった。私はウン、と頷く。「ありがとう、いわなくっちゃ。まだそこにいるかもよ。大きな声で。ほら」。
「サンタさん! ありがとう!」。確かに私は、そういった。大きな声で。今私の右隣にある、この窓に向かって。リビングに戻ると、私は箱を開けた。母が、「サンタさん来たんだぁ。よかったねぇ」と茶化す。それは、大きなドリルのついた車だった。変形して、ロボットになる。説明書を熱心に読み込みながら、何度も何度も、車にしたり、ロボットにしたりした。今調べてみると、それは94年から95年にかけて放送されていた「勇者警察ジェイデッカー」というアニメに出てくる、「ドリルボーイ」というロボットだった。見れば見るほどに、懐かしい。――あれは、どこにいってしまったんだろう。
酒を飲んだ父がやがてリビングで寝てしまって、母がおもちゃで遊ぶ私に「早くお風呂に入りなさい」といったところまで、ハッキリと覚えている。その年の、その日以外の記憶なんて、全くないのに。
思えば、幼い頃の記憶を辿ってみると、どれも冬のものばかりだった。母と二人で、天気の良い日に散歩をした日。今は弟のものになっている、前の私の部屋の窓の下で、一人で遊ぶ私。見上げれば、水彩絵の具で描いたような綺麗な青空があって、遠くから石油を売り走る車の、オルゴールのような音色が聞こえる。断片的な、そんな場面。
私は、冬がすきだ。特に、クリスマス周辺なんかはわくわくする。今でも、これからもずっとそうだと思う。
あの日のビデオは、今でも押入れのどっかにあるだろう。でも、今は見ない。今見ようとしようものならば、茶化す人がリビングにいる。
その人がいなくなったら、見ようと思う。
そんな日は、一生来なくてもいいと、思うけれど。




