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もう君と食事をすることは、100はない

 先々週の日曜日。仕事中、仲の良い後輩のK氏が思い切ったようにいった。



「俺、三月いっぱいで、ここ辞めます」



 私は頷き、「そっか」とだけ返事をして、「じゃあ休憩に入るね」といってバックヤードに向かった。

 平静を装って。――といっても、そこまでショックを受けていたわけではなかった。そういう時期(・・・・・・)であったし、予期していたことだったからだ。でも、じゃあ全くなんとも思わなかったのかといえば、そうではない。先日書いた、『祖父の余命宣告を受けた時』と同じで、(あぁ、その時が来たのか)と、思った。


 後輩のK氏は現在大学三年生で、今年の春で四年生になる。つまりそういう時期(・・・・・・)というのは、就職活動が始まるということだ。



 彼が、私がアルバイトをしている書店にやってきたのは、二年前の春のことだった。彼は大学二年生に進級したばかりで、私はフリーター一年生になりたてだった。初めて彼がレジに入った時、教育係になったのは私だった。一通り仕事を教え、一段落したところで、私は彼に簡単な質問をした。どうしてここでアルバイトをしようと思ったのか、だとか、趣味についてだ。これから一緒に働いてゆく人間がどんな人間なのか、責任者として知っておかなくてはならなかったし、彼も初日で緊張している様子だった為、少しでもほぐしてあげようと思ったのだ。(まぁ、私自身どうしようもないおしゃべり好きであるから、沈黙が我慢ならなかった、というのもある)

 するとどうだろう。趣味が、ことごとく合う。彼は大の映画好きであったのだが、私が今まで見てきて感銘を受けた映画――メジャーなものからマイナーなものまで、全て鑑賞済みだった。さらに、私は仮面ライダーを見て育ったが、彼はウルトラマンを見て育った人間だった。(これは仲良くなれそうだ!)と、私が出会った初日に心踊らせたのは、いうまでもない。

 それから彼とは、バイト終わりには毎回のようにラーメンを食べに行ったり、悪ぶった中学生のように深夜、公園で駄弁ったりした。その年の秋には、二人して初めて煙草を吸った。それ以来、私達は喫煙者である。九月十九日――その年の中秋の名月は、満月だった。

 映画も見に行った。私の小説を読んでくれて、感想をいってくれたりもした。私は三つ下の後輩に、赤裸々に悩みを語ったりもした。――彼は聞いてくれた。同級生が皆就職してしまったので、私にコンスタントに付き合ってくれる友人は、もう彼しかいなかった。



 あれから二年。彼は、いよいよバイトを辞めるという。驚きはしなかった。いずれ、必ず来る日だったからだ。

 とはいえ、残念な事この上ない。自慢じゃないが、私には友人が七人いる。まぁ、七人しかいない(・・・・・)ともいえる。(憂木くんは含めない。彼は私の中では、『好敵手ライバル』にカテゴライズされている)六人は高校時代の同級生であり、一人は無論、K氏だ。高校時代の級友六人は皆それぞれ働いており、月に一度会えればいい方である。

 私は滅多に、人をすきにならない。本当に信用でき、共感でき、また尊敬できる人間でないと、友人だとは思わない。私にとっては、『友人』とはすなわち、『親友』なのだ。

 さてそうなると――K氏がアルバイトを辞めてしまうと、もう定期的に会うことのできる友人が、いなくなってしまうではないか。私は困った。



 昨日。K氏と一緒にレジに立っていると、いつものように彼が、「今日飯食い行きましょうよ」といった。私はいつもの通りに、「いいよ」といった。


 少しして、私は別のレジに一人で立っていたのだが、ふと気付いた。


(あぁ、もう彼と食事をすることは、100はないんだな)と。


 10回はあるだろう。20回も、今後彼が辞めた後にでも会って、あるかもしれない。でも、『100はない』と。確信めいたものがあった。


 彼は私と違って交友が広く、大学に友人がたくさんいる。就職した後も、同僚やら新しい先輩、後輩などができて、楽しくやるだろう。彼女ができ、やがて子どもも生まれたりなんかして、『家族』ができるということもあるかもしれない。私はそれを、彼の友人の一人としてとても、うれしく思う。だがそれにより、私とは会わなくなる。


(……こんな書き方をしてしまったら、これを読んだ人の中には私のことを『同性愛者なのではないか』と疑う人も、いるかもしれない。だが、私がそこで『私は同性愛者ではない』などといって反論したならば、それはまるで私が『同性愛者だと思われたくなくて、いっている』ようで、私はそんなことはいいたくない。私は同性愛者を差別するようなことはいいたくないのだ。だが、あえて(・・・)いうが、私はK氏のことはもちろんすきだが、それは『性的な意味のすき』とは全く異質なものであるということを、一応記しておく)


 すると急に、なんだか淋しくなってきた。よくよく考えてみると――私にとって今一番大事な人たちというのは『祖母』、両親と弟といった『家族』、そして先ほど述べた七人の『友人』達であるが、『祖母』には半年に一回しか会わないし、最後に一緒に食事をとったのは、いつのことだったろう。思い出せないほどだ。両親や弟とは最近時間が合わず、一緒に食事をすることはほとんどない。『友人』達もそれぞれ忙しくしており、なかなか会えない。

 おやおや。こうして考えてみると――今年の秋には一人暮らしを始める予定であるし、私には、『愛する人と食事をする機会』というのは、トータルで見ても、『200はない』んじゃないか……? となってくる。


 こんなことを考えていたら、もう胸が締め付けられて、張り裂けそう……ではなかったけれど、しぼみにしぼんで、干し柿のようになってしまいそうだった。淋しい。無性に、淋しくなった。


 どうしてこんなに淋しいのだろう? 考えてみた。それは、そのカウントダウンは、『死』を予感させるからだ。リミットがある。一緒に食事をするごとに、それは『1』ずつ減ってゆく。『愛別離苦』。私はそれこそ最も辛い悲しみであると、思っている。(まぁ別に、みんな今すぐ死ぬわけでもないのだが)


 また、どうして愛する者と食事をすることは、私にとって特別な行為なのだろうか? とも考えてみた。……これについては、答えが出なかった。わからない。今の私には。誰かわかる人がいるなら、教えてほしい。ただ、『一人で飯を食う淋しさ、物足りなさ』と、『すきな人と飯を食うことの特別さ』は、私は感覚で知っている。私は未熟者であるから、これを言語化することは、今はできない。


 ともあれ、私は淋しくなった。私はそれを――迷ったのだが、仕事終わり、K氏にいってみることにした。


 彼は笑って、「人と人との出会いは『一期一会』ですよ」と、何かの本で読んだのだろう、彼らしくないことをいった。


 そして、こともなげに「彼女つくればいいじゃないですか」といった。



 そう! それ! そうなんだよ! 私はいった。配偶者ができれば、話は違ってくるのだ。そうすれば、『数』は桁違いに変わるのだ。……しかし、いうのは簡単だが、それがなにより、ムズカシイ……。



 私と彼は笑って、支度をし、「行こう」といった。店を閉め、ラーメンを食べに行った。



 『数』が、『1』減った。



 昨日の夜は、なんともいいようのない不安で、なかなか寝付けなかった。

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