愛について(all you need is love)/ 美について(整形は悪か?)
※このエッセイは私の書いた短編小説「birth」、「oh,little girl(s)」、「love me do」、「もし、俺が――」のネタバレを多分に含んでいます。
未読でももちろん構わないのですが、上記四作を読んだ上でこのエッセイも読んでいただけると、とてもうれしく思います。
第十八期テーマ短編(テーマは「if」)の提出作品として、「もし、俺が――」を先ほど、投稿した。この「もし、俺が――」は、BL作品である。
前々から、疑問に思っていた。百合作品の作者は、男女比がそれほど極端に偏ってもいないと思うのだが、これがBLとなると話が違ってくる。女性作者が圧倒的に多く、男性作者はほぼいないといっていいだろう。(もちろん、中にはいるとは思うのだけれども。私はそこまでBLに詳しくはないので、ご容赦いただきたい。ただ、一書店員として日々本棚を見ていて、目に入らないということである)
であるからこそ、私はいつかBLを書いてやろうと思っていた。私は百合を読んでいて、作者の性別が作品に如実に現れることを知っている。つまり、簡単にいえば、女性の書くそれの方がリアルである。男性の書く百合に現れる女性は、男性の理想とする女性像であることが多い。人によってその好みは別れるだろうし、「どちらにもそれぞれ良さがあってすき」という人もいるだろう。その通りであると思う。だが、私はあえていうならば、『女性作家のかいた百合』がすきである。……だからこそ。男である私は、『男性作家のかいたBL』を書こうと思ったのだ。それが、「もし、俺が――」を書くことのなったキッカケである。
そして、私は去年の十一月に「birth」という短編小説を書いた。これは、『一万年以上前に生きていた(言語も文字も持たない)人間も、恋愛をし、キスをしたのだろうか』という発想から生まれた作品である。(タイトルを英語にしたのは、文字のなかった古代の話であるため、原始的な、記号チックな字体にしたかったからだ)
十二月には「oh,little girl(s)」を。これは念願の百合作品だ。実は『百合』以外にもテーマ(モチーフ)にしたモノがあるのだが、ダサいのでそれはあえていわない。(タイトル、作中の場所がヒントである。……ジツは気付いてほしいのだ)いわずもがな、女性の同性愛のお話だ。(タイトルが英語である理由もあるのだが……それもいわない)
一月には「Love me do」。これは『自己愛(しかし『ナルシシズム』ではない)』がテーマの作品で、今一番のお気に入りであり、私の今思う全てを注ぎ込んだといっても過言ではない作品である。(タイトルを英語にしたのは、意味が読後、時間差でわかるようにしたかった)
男性の同性愛を書いた「もし、俺が――」を合わせて、以上四作品は、世界観こそ繋がっていないけれども、『連作』だと思っている。共通点としては『キス(またはそれ以上の)描写』がある、『愛』をテーマとしているということが挙げられる。
『愛』。目には見えないもので、大人になるとなぜか口にするのが恥ずかしくなる言葉である。しかし私は――あえて言おう。「愛こそ最も尊いものである」と。
「時は金なり」という言葉があるが、『愛』はその『時』と『金』に勝るとも劣らない価値があるといえるだろう。愛は直接身体の栄養にはならずとも、精神を支えるものである。これは根拠のない話ではあるが、人は「誰からも愛されず」、また「誰も愛することがなくなった」ら、死ぬしかないのだと、私は思う。
なぜそう言い切るのか。……これがうまいこといって、説き伏せることができないのだから、私は未熟なのである。どうか笑ってやって欲しい。そう思うのだから、そうとしかいえない。ただ、いいたいことは、「きっと古代の人たちだって『愛』によって支えられて生きていたのだ」ろうし(「birth」)、「人を愛してしまうということは言葉にしようもない、どうしようもないことで、よって同性を愛してしまうことは悪でもなんでもない」(「oh,little girl(s)」、「もし、俺が――」)のだということ。そして、「誰からも愛されず、また愛する対象もいないのであれば、せめて自分を愛して生きてくれ」(「Love me do」)ということだ。
こういうことは小説を読んでくれた人がそれぞれ考え、思えばいいことなのであって、作者は作品にメッセージを込めれば良いことなのだが、今回ばかりはちゃんといっておきたい。「誰かを愛してほしい。もしくは、せめて自分を愛してほしい」。(もちろん、その対象を一方的に愛して迷惑をかけてしまう行為はNGだが)
そして、ついでだからいいたい。「容姿に恵まれずに生まれてきた……――もういいや。「ブサイクが二次元・三次元の偶像を愛することを、許してくれ」‼︎
私は、容姿に恵まれずに生まれてきた人間である。つまり、ブサイクである。自分の外見にコンプレックスを持っている。そして、そういった人間――つまり、見た目の美しくない人間は、他人から愛されにくい。(当たり前のことをいっているとは思うが)
そういった愛されにくい人間は、じゃあどうするのか。……二次元・三次元の偶像に走るのである。先ほども述べたように、愛されることもなく、また愛する対象もない人間は、死んでしまうのだ!
生きるために! 愛を求めて。一人の配偶者も得られる期待が見込めないのであれば、もう偶像しかないのだ。
アイドルのコンサートなんかに行くと、こんな場面が見られる。アイドルが「みんなー! 愛してるよー!」という。会場のファンは「オレモー!」という。アイドルは活動の為、生活の為に、『愛』(家族に対する「無償の愛」ではなく、優しい嘘、「インスタント愛」である)を振りまく。ファンは喜び、それを受け取る。『愛すること』と、『愛されること』が、ここで成立しているのである。これはまさしく、『WinWin』ってやつである。(これは私自身がアイドルオタクであるからいえることだ)(であるからして、アイドルが恋愛絡みのスキャンダルを起こしてファンにブチ切れられるのも、「まぁ気持ちはわかる……」といえる)
偶像に走るのは、自己防衛本能からくる行動のように思える。愛を摂取するための。だから、偶像を愛する人を悪くいうのは、やめてほしい。そういう生き方しかできない人だって、いるのだ。愛に飢え、そういう人は一倍さみしいのだ。(同性愛者に対するそれもそうだ)
そして、ここでもう一つ話をしておきたいのは、『整形』についてだ。
「あの人絶対整形してるよねー」「あぁ、目ェいじってるわ。これェー」「鼻の形、変わってね?」。そんな声を、耳にすることがある。まるでその人が悪さをして、それを発見したかのように、皆いう。容姿に恵まれた人を見たら「イケメンー!」だの、「カワイイー!」だのいうくせに。
「整形は悪か?」。私はそうは思わない。むしろ、勇気ある行動であると、賞賛したっていい。勇気を出し! また金を出し! そして行動に起こしたのだ! それは素晴らしい行動だと、私は思う。なのに、彼奴等は「整形したよねーアレ」って。それはもう、『妬み』だ。『整形』は、『ズル』だと思っているのだ。
しかし、「美しくなりたい」と思うことは罪悪であるだろうか。いや、そうではないだろう。みんなファッションには気を使うし、化粧だってするだろう。(特に最近の化粧なんて進化が進んで特殊メイクとなんら遜色ない)そんな毎日何時間もかけて化粧をするんだったら、もう整形してしまったほうが早くないか? と思う。顔をイジるのはいけないだなんて、前時代的な考え方だと思う。実際、見た目の良い方が生きやすい世の中である。(みんな口にしないだけで)仕事にも影響する。私はある飲食店で、隣に座っていた何処かの企業の人事の人間が「ぶっちゃけ『仕事のできるブサイク』と『仕事できないけどカワイイコ』だったら、『カワイイコ』取るよなぁ!」といっているのを聞いて、ショックを受けたことがある。実際、ブサイクにはなれない職業がある。例えば、それこそ『アイドル』。『水商売』などで、なれるものの、『客商売全般』で容姿は影響してくる。もう、ほんとはいっちゃいけないみたいな風潮があるけど、いってしまおう。「見た目の美しさで人生はある程度決まる」。
じゃあそれを踏まえて、「オマエはどうなんだ」と、思うだろう。私は、「自分のブサイクさを受け入れた上で、その見た目でも選択できる最高に幸せな生き方をしたい」と、思っている。絶対に叶わない夢がある。例えば私が今から「オレ、EXILEに入るわ……(恍惚)」とかいい出しても、それは千%ムリな話である。高(過ぎる)望みはいけない。この容姿で生まれてきてしまったことはどうしようもなく曲げられない事実であるのだから、身の丈にあった生き方をするべきなのだ。それがイヤなら、まぁお金の力でなんとかする(例えば整形する)しかない。しかし私は今現在ノーマネーであるからして、それは無理だ。しかし、私は幸せのハードルが低いので(例えば、澄んだ青空をみるだけで「あぁ、綺麗な空だなぁ……」と、幸せな気持ちになれる)、まぁ今幸せにやってるわけである。
就職活動に失敗した時は「もう死ぬしかない」と思った私も、あれから三年経って、死ぬ勇気もなかったからこうして生きているわけだが、なんとか幸せにやっている。新しい目標も見つけ、日々生きている。それは過去を受け止め、自分を愛することができるようになったからである。昔の私と同じように、コンプレックスに悩み、辛く思いながら生きている人にいいたい。……ポジティヴに。自分を含む、誰かを愛して生きてくれ。
でも私、いつかお金持ちになったら、整形しようと思ってます。(形を変えたりするんじゃなくって、黒子を消したい)(別にモテたいとかじゃないよ。例えば絵画とか音楽とか、そういったあらゆる『美しいもの』を愛する私自身が『美しくない』ということが我慢ならないというだけです。理由としてはほんとただそれだけであって、もう一回いっとくけど別にモテたいとかそういう理由jy……)




