表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

最後の祖父

 昨日は祖母の話が少し出たので、今日は祖父について。



 一般的に祖父母といえば、父方と母方、一組ずついるものだろう。私においてもそうだが、父方の祖父は早くに亡くしたので、覚えていない。私が二つの時のことだったという。もちろん触れ合ったこともあったそうだが――申し訳ないことに――全くもって記憶にない。


 今日話しをするのは、母方の祖父についてだ。三年前に亡くなった。2011年にガンを発病して、ちょうど一年後の2012年に。どこのガンだったのか、享年すらも知らないけれど、この『いつ亡くなったのか』ということは、一生忘れないだろう。四月――例の震災の、すぐ後のことだった。



 その頃といえば世の中は混乱の最中にあって、我が家はちょうど母が椎間板ヘルニアを発症したこともあって、いろいろと大変だった。それまでは親族のうちの誰かが病気することも、怪我するようなこと一つだって無かったのに。何故かその時期になって急に、災難が続いた。その頃の私は大学二年生、二十歳の若者で、特に何もすることもできなくって、ただただ周りが動くのを、黙って見ていることしかできなかった。――まぁ、二十五になる今になっても、何もできずにいるのだけれど。


 それはいいとして、祖父である。母は手術をしてなんとかなったものの、祖父は見つかった時には、もう手遅れだった。『余命一年』。そう聞いた時の私の気持ちを正直にいえば、(あぁ、ついにか)。冷静に、そう思った。



 祖父母にとって私という存在は初孫で、特に祖母は私を大いに可愛かわいがった(結果、私はおばあちゃんっことなる)。


 しかし、祖父は違った。彼は私を甘やかすようなことは、決してなかった。祖父母の家は昔ながらの亭主関白の家で、祖父の力は絶大だった。行儀の悪いことをしようものならば怒鳴られ、見たいテレビ番組も見せてもらえなかった。幼かった頃の私は、そんな祖父が恐くて仕方なかったのだ。


 やがて私も成長し、身体も精神も大人びてくると、流石に恐くはなくなったものの、彼の前では姿勢や言葉遣いを正し、付け入られる隙を与えてしまわぬよう、心がけた。



 私が十九の時のことである。忘れもしない、一月二日。私達家族と祖父母は、祖母の妹の家で、新年のお祝いをしていた。祖父はそこで駅伝を見ながら、大いに酒を呑むのを毎年の楽しみとしていた。私の父が車を運転するから、好きなだけ呑めるのだ。


 ――昼過ぎ。顔を赤らめた祖父が、正面に居た私に、突っかかってきた。



「おい、木下(祖父は私を、苗字で呼ぶ)。お前ぇ、車の免許はとらねぇのか」



「はい。別に、必要ないので」



 私が返すと、祖父はあざけるように笑って、「俺等がお前ぇくらいの時は、みんな取ったがなぁ」だの、「車の免許も取れねぇようじゃ、この先心配だ」だの、くだを巻きはじめた。


 私は、顔が熱くなるのを感じた。



「……といっても、お金も無いですし」



 私がそう言うと、隣で聞いていた両親が、「金なら出してやるよ」と言い出す。



「じゃあ、取ります」



 私は、はっきりと言い返した。


 (私はいつまでもあなたに恐怖していた頃の私じゃないぞ……! バカにしやがって……。取ってやろうじゃないか!)。祖父を見返してやりたい。そんな気持ちで、一杯だった。



 私はその数週間後に教習所へ行き(大学の試験があった為)、大学が春休みの間、二月一杯通って、一ヶ月で普通自動車免許を取得した。


 テストは全て、一発合格だった。誇れるようなことでもないのだが(そんなに、難しい試験でもない)、必死だったのだ。何より、両親に金を出してもらっているということが一番の理由だったが、祖父に対する反骨心のようなものも、あったのだと思う。



 初めて自分で車を運転して、祖父母の家に行った時のことを、今でもはっきり覚えている。祖母は褒めてくれ、祖父は何もいわなかった。ただ、「夕食を食べに行こう」ということになって、祖父母を乗せ、車を発進させる時。バックミラーで、祖父の顔を見た。窓の外を眺める彼の顔を夕陽が照らしていて、その顔は微笑みをたたえていた。満面の笑みではなく、こみ上げてきてしまったような、笑みだ。私は勝手にそれを、「認めてくれたのだ」と受け止めることにした。今となっては確認しようもないけれども、そういうことにした。


 その一年後、祖父はガンを発症する。もしそれが、祖母であったならば。私はその場で、涙を流していたのかもしれない。帰ってからも泣き続け、思い出に浸っては、嗚咽を漏らしたのかもしれない。だが、私はそれが祖父とあって、全く泣くようなことはなかった。帰ってきてからの記憶はないけれども、マンガを読んでいたのかもしれないし、ゲームでもやっていたのかもしれない。


 ただ、全くなんとも思わなかった(・・・・・・・・)わけでもない。二週間に一回くらいのペースで、家族で見舞いにも行ったし、自転車に乗って、一人で行ったこともあった。――まぁ、祖母のことが心配だったというのが、大きかったのだが。



 ある夏の日。私が病院に行くと、その頃にはもう、祖父は歩けなくなっていた。私は祖母に、血流を促す為に彼の足をマッサージをして欲しいと頼まれた。ベッドをめくり、パジャマをめくって両脚を出すと、それはもう、細い足でびっくりした。肌は白く、なめらかで、毛がほとんどない。筋肉が落ち、皮の余った脚は柔らかく、揉むと、ゆるゆるとしていた。祖父はおとなしく、なされるがままだった。私はなんともいえない気持ちで、その足を揉み続けた。


 「畑が心配だ」と、彼は言った。祖母と一緒に耕していた畑で、枝豆なんかを作っていた。「俺の代わりに、行ってくれないか」と、彼は頼んだ。「うん。わかった」。私は応える(結局、行くことはなかった)。


 そして、お年玉袋のような物を――祖母を通じて間接的に――私と弟にそれぞれくれた。彼が私達にお小遣いをくれるようなことは今まで一度も無かったので、これには驚いた。



 ……中を見ると、二千円が入っていた。


(ちょっと、おじいちゃん! 二千円じゃあ、大したもの買えないよ!)


 咄嗟にそう思って、吹き出してしまった。でも、そのお金は袋に入れたまま、財布にしまいこんだ。


(この二千円で、一生使えるようなものを買って、彼に見せよう。そして、こう言おう。「おじいちゃん。この前貰った二千円でね、コレを買ったんだ。一生、大事に使うよ」)


 そう思って、大事に取って置いた。



 夏の終わりに、祖父は病院から、家に帰ってきた。秋に、祖父の最後の誕生日がきて、親族みんなでお祝いして、冬がきた。そして、何を買おうか迷っているうちに、二月になって、祖父は死んだ。



 深夜。私が友人とオンラインゲームをやっていると、母が部屋にやってきて、祖父が危篤だと言った。私は友人に断りを言ってゲームを抜け、着替え、家族で祖父母の家に向かった。


 ちょうど、息を引き取る所だった。祖父のベッドの周りを医者含め、十数人で囲っていた。彼の子ども達と、その家族、孫達である。祖母だったか母だったか覚えていないが、どちらかが「おじいちゃんの手を握ってあげて」と言った。近づいて行って、私は衝撃を受ける。祖父の皮膚は黄疸に染まり、痩せ細り、もう、私の知る祖父ではなかったのだ。


 私は、その手を握るのが、怖かった。でも、断れる空気でもないので、言われるがままに、その手を握る。――冷たい。氷なんかとは違う、質感の違う冷たさだ。そして、硬い。数秒も耐えられず、すぐにその場を、離れた。



 しばらくして、祖父は完全に、息を引き取った。その時私は弟と、当時小六の従兄弟と、二階に居た。祖母が「お腹空いたでしょう。何か買っといで」と言うので、私は二人を連れて、コンビニに行った。その帰り道、私は隣で歩く、二人に言った。



「おじいちゃんはね。幸せだったと思うよ。だって、世の中には何の前触れもなく、しんじゃう人もいるでしょう? でも、おじいちゃんは家族みんなに囲まれながら、しんでいった。すごく、幸せなことだよ」



 私は従兄弟の中でも年長者なので、こんな時こそ彼らを支えてやらなくちゃいけない。安心させてやらなくては。そんな思いで、言っていた。弟は黙って、聞いていた。従兄弟はよくわからないといった顔で聞きながらも、頷いていた。


 でも、今ならはっきりとわかることだが、あれは私が(・・)私に向かって(・・・・・・)言っていたのだ。自分に、言い聞かせるかのように。



 次の日。祖母の家で眠った私は、電車に乗って、一人で帰った。友人と、手帳を買いに行く予定があったのだ。友人は「いいの?」と言ったが、私は「いいの」と言った。そうして、新宿に行った。



 葬儀があって、火葬場に行って――。周りの大人達が動いて、私はただついて行った。誰かが泣いているところは、あまり見た記憶がない。多分、見たくなかったのだ。下ばかり、向いていたのかもしれない。


 やはりというか、私は一切、泣かなかった。



 それから半年くらいして、私の誕生日。祖母は私に、一万円をくれた。母は「もういい歳なんだから」と言った。私も、全く同感なのだが、断るのも祖母に悪い気がするので、ありがたく貰った。


 そして、悩んだ結果、銀座伊藤屋へ行った。普段使いのものから、高級品まで揃った文具店である。私はそこで、祖父に貰った二千円を袋から出して、祖母に貰った一万円とを合わせて、万年筆を買った。


 黒く、光沢のあるボディ――金色のペン先が、なんともカッコイイ。私はこれを、一生使うことにした。インクを継ぎ足し、大切に使えば、それこそ一万年後も使えるだろう。



 私が死ぬ時には、一番大事な人にあげたいと、思っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ