RE SET
六月十九日。
午後二時。
雨。
僕は、
机に向かっている。
*
六月十四日。
日曜。
すきになった人に、
告白をした。
*
六月十七日。
曇り。
正午前。
夜から雨が降るというので、僕は傘を持って家を出た。
外へ出た途端、梅雨特有の湿り気が、首やら肘の内側にまとわりついて、なんとも不快だった。
流行っているから欲しいような、でも流行っているから欲しくないような気もして、結局友人のすすめで買ったニューバランスの靴は、やっぱり高いだけあっていい靴だった。ソールに弾力があって、歩くのが楽しいと思えてくる。
半ズボンに、少し大きめのTシャツを着て。
リュックを背負って、片手にはお気に入りの、濃い緑色の傘を持って。
僕は駅の方へと歩いた。
毎日自転車でも通っているはずの道でも、歩いて通るのでは景色が全く違く見えてくる。
紫陽花がきれいに咲いているなぁ、なんて思ったり。
ニンニクやバジルの焼けた匂いがどこからか流れてくるから、
(ペペロンチーノ?)
なんて、
思ったりする。
その道は、小学校に通っていた時の、通学路だった。
正門まで回るのがめんどくさくって、この柵を乗り越えたりなんかしたっけ。
……今そんなことしたら、不審者だけど。
そういや、この柵をいつぞやか、乗り越えた時。
キンタマを打って、めちゃくちゃ痛かったっけなぁ。
本気で潰れたんじゃないかと心配になって、恐る恐る触ったりなんかした。
やっぱりあの頃より、低く見えるね。
しばらく歩いて、交差点。
お母さんが押すベビーカーの中の赤ちゃんが、僕を見ていた。
肉と皮が余分に付いた、たぽたぽになった赤ちゃんが、僕をつぶらな眼で、ジッ、と見た。
僕は一重の目をパッ、と見開いて見せて、少し笑った。
音楽を、聴いていた。
復習するように、聴いていた。
僕が向かっていたのは、カラオケ屋さんだ。
人生初の、一人カラオケに挑戦する日と、決めていたのだ。
踏切を越えて、友人らとは何度も来たことのあるカラオケ店に入ると、受付を済ませた。
恥ずかしかった。少しだけ。
ドリンクバーではマウンテン・リューをコップに注いで、エレベーターに乗った。
五階。
511号室。
部屋は狭かったけど、一人分には充分だった。
僕は荷物を置くと、少しの緊張を押し殺して、早速リモコンを取って曲予約を入れた。
野猿のシングル曲を五、六曲入れた。低い声でも歌える曲は、ウォーミングアップにいい。
歌っている途中でリモコンを操作して、槇原敬之のベスト盤、「SMILING」に収録された曲を、一曲目から順番に、次々に入れると、途中でリモコンには『予約は二十件までしか入れられません』と表示された。
一つ、勉強になった。
その後、槇原敬之――マッキーを十六曲歌って、僕は一度部屋を出た。
財布を持って。トイレに行って、二杯目のマウンテン・デューを持ってくると、続いては他のアーティストの曲をパラパラと十曲ほど。歌った。
アルバム曲も歌いたくって、槇原敬之を再投入する。
マッキーの歌は、時々高い。
特に、昔の歌より最近の歌の方がキーが高いので、「僕が一番欲しかったもの」なんかを歌う時には、必死になる。
裏声が出ないので、普通の高い声でカバーしようとする。
汗が止まらず、クーラーの設定温度を下げ、でも耳が慣れてきたので、マイクとミュージックの音量は上げた。
一人カラオケ――通称ヒトカラは、はじめてだったけれど、思っていたよりも楽しいなぁと思った。
僕は音楽を聴くのがすきで、音楽表現だってしてみたいとは思うのだけれど、楽器はリコーダーと鍵盤ハーモニカくらいしか触れたことがないし、そもそもおたまじゃくしが読めないから、歌うことくらいしかできないんだ。
歌うのはすきだ。けど、友達はみんな忙しいみたい。
だから、ヒトカラに挑戦した。
カラオケは、食事に似ていると思う。
食事のマナーというのは、一緒に食事をする人に不快な思いをさせないために守るのだと、私は信じている。
例えば、口を開けてものを噛まない。箸で人を指さない。テーブルの上に足を乗っけない。
カラオケもそうで、暗黙のルールというものが存在する。複数人でカラオケBOXに入ったなら、空気や展開を読まなければならないのだ。場の雰囲気も読まずに、アッパーチューンが続く中、一人ドバラードでも歌おうもんなら、まわりの人たちからはドン引きされること請け合いだろう。
ヒトカラであれば、まわりの人の表情を伺ったりする必要はない。バラードばかり何曲も歌って――それも感情たっぷり込みで――時に涙ぐんでしまったりなんかしても全然恥ずかしくなんかはない。一人なのだから。
一人、夜の街を走るランニングにも似ていると思う。自分のために、自分だけのためにやるのだ。
オナニーにも似ている。……と思ったけれど、まぁこれには深くは触れない。
そんなわけで、僕はその後、尾崎豊を一人熱唱した。時に立ち上がり、まるでステージ上のアーティストのようにマイクを持ってない方の手をヒラヒラ動かして。でも、ちっとも恥ずかしくはなかった。
四時間も過ぎると、なんだか頭がボゥッ、としてきて、ランニング・ハイならぬ、シンギング・ハイのような状態になった。不思議と声は枯れず、全く疲れも感じていなかった。それでも汗を流しながら、歌は本気で歌っていた。聴き慣れ、歌い慣れた歌であったからでもあるのだが、歌詞を読んだり、うまく歌おうと音程に気をつけたりはしなかったものの、『勝手に歌えている』といった状態になっていた。
ちなみに、僕は原曲キー至上主義者だ。
五時間では、足りなかった。途中、予約していた曲のいくつかを中止して、本当に歌いたい曲を四曲に絞ったりして、適当な時間で切り上げた。結局声は枯れなかったし、まだ尾崎豊も全部歌い切っていなかったし、六十曲近く歌ったけれど、僕は特撮ソングだけでも百曲以上歌えるし、まだまだ全然歌い足りなかった。
十時間でも居られると思った。クセになりそうだ。明日から、「趣味は一人カラオケです」って言おう。そう、思った。
*
六月十九日。
昼前。
雨。
僕は家を出て、傘をさした。
髪を、切りに行ったのだ。
店を出ると、刈り上げた後頭部がスウスウした。
セイセイした。
*
生まれてはじめて、人に「すきだ」と言った。
はじめて一人でカラオケに行って、鬱憤を晴らすかのように歌った。
髪を切った。
まぁ、ありがちというか、テンプレというか、ベタというか、月並みというか。
でも、僕は見た目から入るタイプだから。
清算と整理の日々は、最終段階に入った。
土日は、ノンビリしようと思う。
そして月曜には部屋を掃除して、爪と眉でも整えようと思う。
あとついでに、アドレス帳も見直そう。
形から入るのも、一区切りがわかりやすくていい。
新しい気持ちで。
*
六月十九日。
三時過ぎ。
雨がやんだ。
また降るだろうけど、またやむだろうと思う。




