アノ本 / マボロシの正義
「神戸の本、ありますか?」
レジに立つ私にそう尋ねたのは、三十代くらいの女性だった。時間は二時過ぎ。私は「こちらです」と向こうを手で示し、店内を先導するように歩いた。
迷わず、旅行雑誌が並ぶコーナーを案内した。そこで、ほんのちょっとの違和感を感じていた私は、その女性に言った。「神戸の、観光の本、でよろしかったですよね?」
なぜなら、旅行関係の本を買いたくて来たお客さんなら、「旅行関係の本はどこにありますか?」と。聞くはずだからだ。その質問なら今までに、何度も、何度もされている。でも、そんな聞き方は初めてだと思った。「神戸の本、ありますか?」だなんて。
女性は言った。「あっ、そうじゃなくって……」
神戸で起きた、アノ事件の……
そこで、私は気付いた。その日、朝起きてすぐ点けたテレビで、その本に関するニュースが流れていたからだ。
コメンテーターが言っていた。
『……やはり私たちのようなごく普通の人間は、そういった特殊な人間に対して恐怖や嫌悪感を覚えると同時に、その頭の中がどうなっているのだろうかと、好奇心をもってしまうものだと思うのですよね。……』
「あぁ、アノ本」
私はその日昼から店に出ていたので、入荷状況がわからなかった。朝から入っていた同僚に聞いた。「アノ本って……」
同僚曰く、発売日には店に入ってこなかったという。私の働いているような小さな個人経営の書店であれば、珍しいことではない。「重版分の予約はしてあるけど」同僚は言った。
私はそれを、女性に告げた。「今当店には在庫がなくて……」
女性は「そうですか」と言って、店を出た。
数十分後。正面の文庫コーナーをふと見ると、同僚がお客さんから話しかけられていた。
七十は過ぎているであろう、腰の曲がった女性だ。
「今、売り切れでして……」
同僚の声が聞こえた。「重版分の予約はしてあるんですけど……」アノ本について、聞かれていたのだ。
老婆は小声で、コソコソと聞いているようだった。
まるで、聞かれちゃマズイことを聞いているかのように。
まるで、見られちゃいけないことをしているかのように。
まるで、悪い事をしているかのように。
そういえば、あのさっきの女性も、ハッキリは言わなかったな。そんな風に思った。あの人の表情にも、少しの罪悪感が、少しの恥ずかしさのようなものが。あった。
それが、一昨日のこと。
そして、昨日。
午後六時頃。向こうのレジから男性の声がした。「儲かっちゃってしょうがないよなぁ」
「でも、気になっちゃうんだよなぁ」
アノ本を買っているようだった。
「入ってきてたんですね」
同僚に聞くと、
「今日四冊入ってきたんだって。でも、予約していたお客様がいらっしゃったから、お店分はもう無し」
さっきもまた予約入ってたし。へぇ。そんな会話をして、私は一昨日あったことを話した。
「……まるで、悪い事をしているようにさ」
同僚は苦笑して、
「アノ人の両親もさ。アノ事件の後、本出しててね。それが売れて。確か、その印税で慰謝料払ってたみたい」
――。
なんだか、やるせなかった。
私はその事件当時、幼かったし、調べようと思えば調べられるけれども、その事件について、詳しくない。
法律について――少年法についても、死刑制度に関しても、詳しくはないし、その事件について論じられる自信もない。
その元少年がどんな家に生まれ、どんな教育を受け、どんな風に育って、ソノ事件を起こすに至ったかという経緯も知らないし。
被害者がどんな子達で、どんな家に生まれて、どれだけ愛されてその短い生涯を送ったのかも――その子を亡くした両親がその後どんな感情を抱いたのかも、どんな風に毎日を過ごしたのかも、今現在どう暮らしているのかも、知らないけれど……。
でも、どんな事件だったのか、なんとなく輪郭はわかるし、感情移入だってできる。
凶悪な犯罪を犯した若者がいて、逮捕された。
慰謝料請求がなされるも、その金は、その事件について書かれた本による印税でまかなわれていた。――らしい。これも、私は聞いた話であって、本当にそうなのかは知らない。
いくらの慰謝料請求がされて、いくらの印税が入って、今現在いくら支払われているのかも、いくら手元に残ったのかも、知らないけれど。
凶悪な犯罪が、結果的に金を産んだというのか。それで慰謝料がまかなわれているだなんて。そのお金で、元少年が生きながらえているだなんて。そんなことが本当に行われているのだとしたら――。被害者家族の手元に入ってくる慰謝料、お金は、元を辿れば、その事件について興味本位で知りたい! という、人々の好奇心が。お金に変わっているのだというのか。
殺され損というか。殺し得というか。
そんなこと、ゆるされるんだろうか。
私は神を信じていないし、宗教だって信じてない。神を信じる人や、宗教を信じている人を馬鹿にしているわけではなくって。私は必要としていない、というそれだけの話だ。
でも、私は正義は信じてたんだ。まるで神や、宗教といったそれらを信じるように。正義を信じてた。本当にあると思っていたんだ。それが私にとっての支えであったし、礎であった。
正義なんてものがマボロシであることに気付いたのは、本当に最近になってのことだった。子どもの頃からあると強く信じていたもの――それを信じて、愛して、それに従って生きてきていたはずだったのに、なんと、無かったのだ。そんなものは。愕然とした。心に穴が空いて、すぅすぅした。
この世に神はいなく。本当に人を救いたいと願う、慈愛に満ちた、優しい嘘をつく宗教があって。争いと金を産む、汚い宗教もあって。そして、正義も悪も無くって、ただ人間がいる。
愛と、それとほぼ同義の憎しみがあって。それらを持った、人間がいる。この世界はシンプルに、本当にそれしかないんだと気付いた。
……でも、それを知って、「じゃあお前は自分の信じていた正義を捨てるのか」と問われれば、答えは「いいや」。捨てないよ。
無いことに気付いたって、私は正義をそれでも信じたい。正義を素直に信じる子どもが愛おしいし、正義を表現するクリエイター、アーティスト、エンターテイナー達が、愛おしいんだ。
私も信じたい。そして、「あるよ」って言いたい。夢を見たい……。
だって、人は海に出たいから船を作ったし、空を飛びたいから飛行機を作ったし、深海に潜りたいから潜水艦を作ったし、宇宙に行きたいから宇宙船を作ったんだろう?
私はそれでも、正義を信じたい。




