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吐いたらラクになる、そんな感じで

『そうだ、エッセイを書こう』


 そう思いついたのは一昨日、風呂の中でのことだった。



 キッカケといえるようなことも無かったのだけれど、私には昔っから妄想癖があって、頭の中では常になんかしら、とりとめもないことを考えている。それは好きなモノについてだったり、嫌いなモノについてだったり。今現在の自分について考えたりもするし、過去の出来事を反芻したり、これからの未来を、ミクロに、マクロに、想ったりもする。最近話題になっているニュースに対して、自分の考えをぶつけたりする。……壁とキャッチボールをするみたいに。


 まぁ、人は皆、そうだと思う。でも、それを『カタチ』にしよう。と思う人は少ないと思うし、しかもそれをネットで公表しよう。と思う人は、さらに少ないと思う。



 私はどうしてコレを書き、ネットに投稿しているのかというと。まずは単純に、『モッタイナイ』と思ったのだ。


 私は自分の考えていることが特別オモシロイだなんて、思ってはいない。そこまで自惚れ屋な、馬鹿ではない。ただ、『コレ』をひたすら頭の中でこねくり回して、ただフッ、と消してしまうのでは、何も残らない。モッタイナイ! と、思ったのだ。


 ネット上の文章なんて現実に存在する物質に比べれば、脆く、儚い。でも、でも。もしかしたら誰かが、読んでくれるかもしれない。共感してくれるかもしれない。考え、心の中でヒッソリと――または直接私に、反論してくれるかもしれない。(反論、批判はもちろん怖いが、無視されるよりはずっといい。なにより、私自身の考えを深めるキッカケにもなるだろう)


 自分の書いた文章がどこかの、自分の知らない誰かの目に入って、その人の心を少しでも、動かす。……なんてステキなことなのだろう‼︎ 一昔前なら、もっと難しいことだったはずだ。改めてネット社会、並びに『小説家になろう』(以下、『なろう』と略す)に、感謝をしたい。(もちろんネットは素晴らしいだけじゃなくコワイ面もあるが、それは薬と毒を代表として、万物に対していえることだ)


 ……とはいえ、私は素人。野良小説家である。……もっといえば、ただのフリーターである。自分の文章を楽しみにしている人なんていない、だなんてことは、万も承知だ。


 じゃあ、なんでそれでも書くのか。それは、私がただのイタいフリーターだからではなく、小説家になることを夢見ている、超イタいフリーターだからだ。


 文章力を上げる為には、読み、書くことが一番だと。それが真理だと、私は信じている。小説家になりたいのならば、小説を書きまくればよい。だが、良い小説家は良い小説だけでなく、良いエッセイも書くものだ。エッセイを書くことは、文章力の鍛錬になる。つまり私は、なにより〈自分のために〉エッセイを書くのだ。



 話は少し脱線するのだが、私は『なろう』サイト内で知り合った友人らと、『テーマ短編』という企画を行っている。一ヶ月に一回テーマを決めて、それに沿った短編小説を書くというものだ。――これも、自分の文章力向上のために発案した企画である。私はこの企画において、先月。締め切りを破った。月末までには投稿することが慣例となっているのだが、十二月以内に書き終えることが、できなかったのだ。


 結果、私は『なろう』サイト内に備えられている『活動報告』(簡易ブログのようなもの)で、謝罪をした。「スミマセン」と。――当然だ。仲間内のルールを、破ったのだから。だが、私は謝罪文をキーボードで打ち込んでいる時ふと、こんなことを考え、気付いた。


 それは、『コレはルールを破ったことに対する謝罪なのであって、私の作品を楽しみにしていた読者に対する謝罪なのではない』ということだ。著名なアーティスト(芸術家含め、歌手や小説家などの表現者)が「新作を発表します」だなんていったら、ファンは喜び、楽しみにして待つ。しかし、期日になって「できませんでした」だなんていえば、それはファンに対する裏切り行為であり、叩かれること必至だろう。――だが。私の場合、そもそも私の小説を楽しみにしてくれている人など、『いない』のだ。これは自虐などではなく、真実であると思う。仲間内で小説を書き、評価し合えば、少なくとも感想や評価ポイントがつく。それで、安心してしまう。「自分はちゃんと小説が書けているし、読んでくれる人もいる」……。なんと烏滸がましい甘チャンなんだ。安心なんか、してるんじゃあないッ! (と、自分に言い聞かせる)


 ……しかし。では、なんのために――誰のために小説を書いているんだ? と、いう疑問が湧く。そう。それは、〈自分のために〉だ。


 なにより、自分のために書く。文章力を向上させ、思慮を深め、いつかプロの小説家になり、いつだったか私を救ってくれたようなエンターテイメント作品を自分が創り、多くの人を救うために。その修行のために私はいま小説を書き、エッセイも書いているのだ。


 もちろん今だって小説を書く時は、読んでくれる人のことを考え、書いているつもりだ。でも、広大なエンターテイメント界からしたら、ナノサイズともいえる極小コミュニティの中で満足をしていたりなんかしたら、一生小説家になんかなれない。だから私は自分を追い込み、書き続ける。『テーマ短編』や去年の『百物語』だってそうだし、今日私がプロフィールを書きかえて『二十四歳、小説家を夢見るフリーター』だという死ぬほど恥ずかしい情報を公開したのも、そうだ。自分を追い込む。屈辱を味わいながら、劣等感を忘れず、ただひたすら上を見る。就職はできなかったけど、これだけは諦めないと、決めたのだ。自己啓発本なんか読まなくたって、自分で自己を啓発することはできる。(私は自己啓発本が、なにより嫌いなのだ)



 ……おっと。長くなった。こんなことを書くつもりはなかったのに……。



 マジメな私はエッセイを書く上で、まずはググった。『エッセイ』と。日本語では『随筆』。散文。自由に書いていいらしい。なるほど、これはおしゃべりな私に向いている。


 また、エッセイの原義は『試み』であるという。おぉ、まさに私にとってこれは『新たな試み』であるからして、これまたぴったり。



 タイトルは「ゆびならし」の感覚で、気軽に書きたいと思ったからである。毎日書くつもりはなく、書ける時に書く。『である口調』も、途中で『です・ます口調』に、変わるかもしれません。今後、『活動報告』はあくまで活動の報告にとどめ、思ったこと、感じたことなどはこちらに書くことにする。



 うん。思考をまとめるのに、いい行為だ。一石二鳥、三鳥。



 吐いたらラクになる、そんな感じで。

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