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 相変わらず100mのタイムはふるわなかった。人にアドバイスされるのも、あがくのも嫌だった。結果を残せないくせに生意気だと思うが、部長やコーチがうるさく言ってくることはなかった。

 そもそも三年生である部長はこの夏が最後なのでいつまでも自分にかまっていられないのが実情だ。砲丸投のエリアで腕の曲げ方を調整している姿をペアストレッチしながら遠目に眺める。


「おい裕紀、ぼんやりしてると怪我するぞ」

「ああ、気を付ける」

 指摘されて気を引き締める。このあいだの新入生歓迎会で一緒に餃子のタネを作って以来、彼と組むことが多くなった。と言っても仲が良いわけではない。

 馴れ合いは嫌いだ。


「あ、城下先輩だ」

 互いに手をつないで脇腹の筋肉を伸ばしていると少年が不意に言った。

「俺、走り幅跳びだからかもしんないけど、3000mも走ろうとするなんて気が知れないんだよなあ」

「あの人、3000mなの?」

「は? 仲良いのに知らなかったのかよ」

「良くなんてない」

 心外だ。

「じゃあこれも知らないよな。城下先輩って中学二年生まで短距離で100mしてたんだぜ」

「え」

「けどコーチに向いてないって言われて長距離に転向したんだって。100mなんて特に生まれ持っての資質が物を言うもんな」


 残念だがそれは事実だ。筋肉や骨格で有利不利がある。ある程度は努力で埋められるが、あくまでもある程度なのだ。

 なんとなくモヤモヤもしたものを抱えて寮に戻る。


 食堂で長めに夕飯をとったが、頼子は現われなかった。いつもならすぐに自室に引きこもるが、今日は学生室に寄ってみた。ここは食堂と同じく男女ともに入れる場所となっている。

 相変わらず騒がしいので端に置かれているソファに腰かけた。すぐに手持無沙汰になったので、これまたそばに積まれている雑誌を適当に手に取った。漫画ではなく文芸雑誌だったので文字が紙面を埋め尽くしている。

 ここでも裕紀は思い知らされる。


 自分は読書など好きではない。


 何とはなしにページをめくっていると「裕紀」と声を掛けられた。一瞬、頼子かと思ったが彼女は自分をそんなふうには呼ばない。

「由利恵」

 隣には大地がいる。

 由利恵はぎこちなくだが笑いかけ、隣に腰かけた。あの日以来で身体が意図せず強張る。


 久しぶりに見る由利恵は同じようでいて、ところどころが違っていた。少し肌が焼けたように思うし、手の甲には引っ掻き傷がある。

 裕紀の視線に気づいたらしく由利恵は説明した。


「このあいだね、大地くんと山登りしてきたの」

「山登り? この学校も山のなかにあるのにわざわざ?」

「一口に山と言っても、ぜんぜん違うんだよ」

 どこか誇らしげに由利恵は言う。裕紀は斜め前に立つ大地を見た。どうせ彼の影響だろう。

「由利恵は山が苦手だろ。小学生のときに虫がいっぱいで泣いてたじゃないか」

「うん、今回もいっぱい出て悲鳴あげちゃった。でもね、山では知らない人でもすれ違うたびに挨拶してくれて楽しかったよ。それに大地くんが植物にすごく詳しくて、いろいろ教えてもらったんだ」


 由利恵は新しい〝好き〟を見つけたのだ。そして自分の知らないところでこれからも増やしていくのだろう。

 とても悲しいことなのに、それを受け入れる自分がいた。


「裕紀にここで会えて良かった。今日、家庭科で調理実習があってクッキー作ったの」

 ラッピングされた包みを差し出される。裕紀はそれと大地を見比べた。

「もちろん俺も由利恵ちゃんからもらったよ。と言うか、交換した。うちのクラスもあったから」

 無意識に遠慮してしまった自分が腹立たしい。

 くるんとカールしたリボンを乱暴に引っ張ると、チョコレートクッキーが出てきた。

「好きでしょ?」


 裕紀はうなずけなかった。


 二人がいなくなってもぼんやり包みを見ていると、隣にだれかが座った。頼子だった。


 裕紀がずいぶんと意気消沈しているようだったが、その手にあるものを見て納得する。今日大地がもらっていたのと同じものだ。

 由利恵と裕紀があれ以来、どのような会話をしたかは知らない。だが裕紀はともかく、由利恵は関係を壊したくないと思っているだろう。優しいなと思う。自分と兄では考えられない関係だ。


「……あんたのクラスもクッキー作ったんだろ」

「うん。材料多かったからけっこう配れたよ」

 ビニール袋を掲げて見せる。他クラスの友人や部活の先輩にも渡した。それでも一つ余っている。


 一つ、余らせた。


「それ」

 裕紀は奥歯で言葉を噛み潰した。口にしようとした自分が信じられない。


 頼子は手の上に最後の一つを転がした。キッチンペーパーで包んで輪ゴムで結んだだけのそれは由利恵のものより見劣りがした。

「自分用なんだけど、良ければ食べない?」

「食べる」

 即答だった。


 裕紀と頼子はひそかに驚いた。


 何重にも巻かれた輪ゴムは解きにくいのでペーパー部分を破った。中に入っていたのは薄赤い生地のクッキーだ。

「これ、なにが入ってるの」

「ニンジンの粉末。さすがに生はベチャベチャになりそうで使えなかったよ」

 一枚を口に放り込む。ほのかな甘さが舌の上に広がった。

「どうかな」

「……うまい、と思う」

「良かった。おとうとくんはニンジン好きだもんね」

 二枚目を食べようとした指が止まった。

「なんで俺の好きな食べ物を知ってるわけ」

「え? だって良く食べてるじゃない。ニンジンのコールスローは絶対頼んでるし」

「俺、肉が好きなんだけど」

「でもニンジンも好きでしょ。好きな食べ物がたくさんあるのは良いことだよね」


 由利恵の姿が思い浮かんだ。男の子だからお肉だよね、と焼肉や鍋のときにも裕紀の器によく入れてくれた。それがうれしかった。うれしかったのに。


 裕紀は愕然とした。

 由利恵が好きだ。けれど、絶対に由利恵である必要はないのだ。


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