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邂逅

 仙台を越えると車内は少し乾燥して気温も過ごしやすくなる。


 恐らく車内にいる全ての人が同じ感想を抱く訳ではなく、しかし東京発の東北新幹線に乗り込み、仙台を越えて尚降車しない人は、私と同じく思う人の方が割合として多いのではないだろうか。


 首都圏に移り住んでから年月が経ちすっかり慣れたつもりでいたが、やはり故郷へ近付くにつれ、自分はそこからはじまったのだと思い知り納得する。


 少しだけ窓の外に目をやり、また手元の本に目を戻す。


 先ほど入手した巷で話題の有名作家の新作は、いつものように私を素敵な世界へ誘ってくれるはずだった。


 しかし文字しか頭に入ってこない状態で待望の本を開くのは気が咎め、私は本をそのままに目を閉じて高校時代の秋世を思い出す。


 今回の帰省の目的は、高校時代からの親友である秋世の結婚式に参列するためだった。




 秋世から結婚する旨の報告をもらったときに私は飛び上がって喜んだ。


 秋世は明るく活発で人望も厚く、私が高校生活で得た宝物のひとつが彼女なのだ。


 ところが人望と仕事が恐ろしいほど集まってくる彼女は、かなり多忙な生活を送っていたため、気付いたら運命の出会いが無いまま良い年頃を過ぎようとしていた。

 本人には

「余計なお世話だよ。」

と笑いながら怒られたものだが、親友の素晴らしさを知っている私は世の中の殿方は一体何を見ているのかと、お酒を飲みながら管を巻いたものだった。


 秋世はとても友人思いで人当たりも良く、仕事も趣味も常に全力で、元気の素が歩いているような女性だ。それでいてスタイル良くセンスも良く、肌の美しさは目を見張るものがある。

 強いて言うなら高校時代から私達はよく

「あんたたち似てるよね。」

という批評が出ていたので、顔については何とも言い難いところではあるが。


 秋世は他人の世話をするくせに、長い間恋人がいなかった。

「今はそれ所じゃないからね。」

といつも笑って言っていた。


 そんな秋世が電撃的に結婚を決めたのだ。




 高校時代の秋世は、宮本という幼馴染みの男子と仲が良かった。私は秋世と仲が良くなると当然のように宮本とも仲が良くなった。


 秋世と宮本はよく笑いながら

「お前が売れ残ったらもらってやるよ!」

と言い合っていた。


 秋世と宮本は、何かがあるといつも私の側にいてくれた。

 高校を卒業してからもことあるごとに連絡をとりあい、辛い時も悲しい時も大笑いした時も気付くと不思議なほど一緒にいた。




 秋世の結婚式では宮本とも会うことができる。

 最近話をする機会が無かったので、顔を合わせるのが楽しみだ。




 しかし落ち着かないのはそれだけではない。




 きっかけは同じ高校からのもう一人の親友、ゆきからの電話だった。






 地元の駅に降り立つと、7月も近いのに肌寒かった。

 空気を吸い込むと故郷の味がして少し胸が締め付けられた。


 地元の駅前は少しずつ開発され、今では十年前の面影がほとんど無い。

 背の高い建物が随分増え複雑な迷路になっていた道路も整備され舗装された。


 地元住民の生活を考えると割と適切な開発のはずなのだが、昔の面影が消える寂しさに個人的で身勝手で理不尽な感傷を覚えていた。


 私は昔から変に理屈っぽい人間で、そのせいか自分の感情や他人の感情を受けとめたり整理したりというのがあまり上手くない。

 もちろん笑ったり泣いたりするのだが、感情表現にワンテンポ遅れるため、他人からは可愛いげがない鈍感女だと評価されている自信がある。




 だから私は読書が好きだ。

 私には絶対に思いつかない世界がたくさんつまっている空間。

 それに感動している瞬間に広がるものは私に幸せをもたらしてくれる。

 そして自分のペースで受け入れ、考える事のできる時間は、私にとって大切な時間である。




―――――




 基本的に私はあまり思考力が強くない。


 それでも生きていくためには考えなければならない事が多く、それ所以に中々脳みそが休まる時間がない。


 そのくせ金融関係勤めなものだから、毎日が終わる頃にはくたくたで泥のように眠る。




 仕事や生活に追われてつかの間のある休日、幸から電話がきた。

 幸は高校時代、共に運動部で汗だくになった仲間だ。


 彼女もまた私の親友の一人で、高校入学後一番最初にできた友人だ。

 幸は学校で秋世や宮本とも笑いあった仲だが、家が遠いため休日を共に過ごす時間はそれ程多くはなかった。

 比較的大人しく多くを語らない彼女だが、心が豊かで優しくしっかり者で、私はそんな彼女が好きだった。


 私達は部活動中に留まらず、休み時間にもよく語らった。


 幸は高校卒業後から東京で過ごし、現在は結婚して子どもがいる。




 幸からの電話は、秋世の結婚式への参列が残念ながら難しいという話だった。


 年齢が高くなるにつれて各々の家庭の事情が出てくるため、まして生活圏とは遠く離れた地域での行事に参列できないことは、決して珍しい話では無い。

 しかし幸は本当に残念がっていた。


 仕方ないとなだめつつその時初めて知った。


「秋世の晴れ姿見たかったよ。

 それに今年度中で私達が卒業した高校が閉校になってしまうでしょう。

 皆と一緒にもう一度高校へも行きたかったな。」




 私は驚いた。


 高校が無くなる事と、私に高校時代の記憶がほとんど無い事に。




 私は秋世と宮本と幸以外のほとんどの記憶を「自分の意思で」閉じた。

 何故閉じたのかは何となく覚えている。


 しかし高校が無くなってしまう事を聞いた私は動揺した。


 卒業してから十年以上が経ち、年齢を重ねていく事で青春に思いを馳せる時がいずれくるのだろうかと考えはじめた頃だったからだ。

 そこで高校が無くなってしまうと、閉じる事で忘れてしまった記憶を思い出すのが難しくなってしまうのではないかという不安を感じたのだ。


 私は自分の意思で高校生活の記憶を閉じたのだが、その意思がこんなに綺麗に記憶を消した結果に、驚きと不安と悲しみと、言葉にできない絶望的な感情を覚えた。




 秋世と宮本と幸以外の写真は捨てた。


 卒業アルバムもどこにあるのか分からない。


 高校の記憶を閉じた事を、私は今初めて後悔した。


 秋世の結婚式には高校の同級生も来るだろう。

 ところが私は誰一人記憶がなく思い出話もできない。




 そして、それだけではなく大切にするべきだった思い出が他にもたくさんあった事を思い出した。


「私はまた間違っていたみたいだ。」




 幸は私が何故記憶を閉じたのか知っている唯一の人間だ。


 電話口の私の動揺が伝わったのか幸が静かに言った。




育実はぐみ。思い出したいなら協力するよ。」




―――――




 駅前のバス乗り場へ向かうと丁度バスが到着したところだった。

 地元の駅から実家への道程はバスで二十分程度。

 本来なら家族に車を出してもらう予定だったのだが、家族に急用が入りバスを利用する事になった。


 昔は車での移動を好んだが、久しぶりに帰ってきた故郷を思いにふけいりながら眺めるにはバスの方で都合良いと感じた。


 結局のところバスの中から見える移り行く街並みは、目新しい建物が随所に立ち、物思いどころか驚きや奇妙な感動を私に与え、私の弱い思考は目まぐるしく昔と今とを交錯させながら、現在の発展ぶりを眺める事となったのだが。






 実家は住宅地の中にある。

 住宅地の様子はあまり変化がない事にどこか安堵し、私は見慣れた家の前でチャイムを鳴らす。

 母がどうやら台所から玄関へ迎えに来てくれた。

 濡れている手をエプロンで拭いながら

「お帰り、疲れたでしょう。

 あんたの荷物は二階に運んでおいたから。」


 母は前回会った時より少しだけ歳を感じる。

 それでも私はその顔を表情を見られた事が嬉しく、自分はこの母にとっては永遠に子どもで、またそれが幸せだと思う。


 自分の実家だというのに少し照れるというか落ち着かないというか、そんな感情を抱きはにかみながら

「ありがとうね。

 お土産買ってきたから荷物ほどいたら仏壇へあげるね。」

と言って私は自室だった二階の部屋へ移動した。


 帰省後まず最初にその荷をほどく事が私の仕事だ。


 距離が遠い帰省先への移動は、新幹線でも飛行機でも手荷物を増やしたくない。

そのために前日のうちに着替えなど嵩張る物は段ボールなどに詰め込み、予め実家へ宅配するのだ。




 荷をほどいたら仏壇の間へ行きお土産に買った和菓子を手に遺影を眺める。


 私はいつも並ぶその遺影の中で祖母のものに目をとめる。


 祖母は父方の祖母で

「あなたは私にそっくりだよ。」

と祖母に微笑みながら言われた事を思い出す。


 当時小学生の私は、嬉しくなかった。

 まだまだ自分は十代のぴちぴちなのに失礼だなと、浅はかで酷い考えをしてしまったのだ。


 その祖母が亡くなった時、祖母の親戚や同級生が泣きながら教えてくれた。

「あなたのおばあちゃんは、みんなの憧れで素敵な人だったんだよ。」


 私はここで初めて祖母にも青春があった事を知った。

 全く失礼な人間で、自分の思慮の浅さに心底がっかりした。


 そんな娘だから、祖母に似たはずの私は皆が憧れるような存在にはなれなかった。




 私はたくさんの間違いをしてたくさんの人を傷つけて生きてきたのだ。


 人は一人では生きていけないから、生きているだけで誰かに迷惑をかけているのだと聞いた事がある。

 全くその通りなのだが、私の中の間違いは全てそれで正せるものでもない。

 かと言ってその責任に対し自らの命を断つのは、迷惑度合いから考えるとこの上ない最大級と思われるため、そのような行動をとるつもりもさらさら無い。


 結局のところ自分勝手と言うのかもしれないのだが。


 蝋燭を灯すと優しい光がゆらゆら揺れる。

 優しい優しい光は私に安心をくれた。




「今日はあんたの好きなハヤシライスも作ったよ。」




 気付いたら背後に 笑顔の母が立っていた。




 リビングでお茶を飲みながらお互いの最近の生活を話したり、秋世の花嫁姿の期待に盛り上がった。


 壁には前回来た時は無かったのに、昔私が作った母の日のお祝いカ―ドが飾られていて少しくすぐったかった。


 しばらくすると父が帰ってきて、その少し後に弟とお嫁さんとその子ども達もやってきた。


 弟と私はとても仲が良い。

 私は彼にかなり助けられて生きてきた。

 反抗期の時期も、彼は私が家を飛び出すと、夜中でも昼でもいつも探し歩いて迎えに来た。

 私が今こうしていられるのは彼のおかげでもある。


 やんちゃな子ども達の動きと、それを困った顔で追いかける可愛いお嫁さん。弟と父の仕事の話。そしてあまり語らずとも楽しそうな表情の母。


 私はそれを眺めながら小さな頃から大好きなハヤシライスを頬張る。




 弟夫婦はとても幸せそうな家族で、私は心から嬉しくなった。




 不思議と楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 でも明日は秋世の結婚式だ。

 楽しい時間はまだまだ続く。




 私は弟夫婦の帰宅を見送り、両親が就寝した後自室だった部屋に戻った。


 久しぶりに寝た自分のベッドは、長い間不在にした主人へも安らぎを与えてくれた。

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