第一章:土蜘蛛ノ巻
『土蜘蛛』
平家物語『剣の巻』にある源頼光の土蜘蛛退治説話(『剣の巻』では山蜘蛛になっている)で広く知られるようになる。
絵巻物や芝居では、源頼光が土蜘蛛の魔力で病気になり、四天王とともにその病気の原因である土蜘蛛を退治する内容になっている。
ここでは土蜘蛛は、怪しい術を使う蜘蛛の妖怪として扱われている。
<『日本妖怪大事典』より>
* * * * *
「今の持ち金はこれだけ…」
と愼介は手持ち金を橘に見せた。
その少なさに橘は肩を下げる。
「…今日は野宿か」
「いえ、むしろ働いて旅のお金を貯める方がいいかと…」
「妖怪の俺らがそう簡単に働かせてくれる所なんてないぞ」
「見た目が人間なので大丈夫です、橘殿は。自分は半人半妖ですけど。ちなみに言っておきますが、持ち金がこんなに少なくなるのは誰のせいですか」
愼介の指摘に、橘は言葉を詰まらせた。しかも冷や汗を流して。
「だ、誰のせいかなぁ〜」
「あなた以外誰がいますか。橘殿の団子や甘味物でなくなっているんです!少しは我慢できないのですか!」
説教を始める愼介に、橘は両手を合わせて謝る。
「わ、悪かったって!だって、すごく美味しそうだったから…つい」
「橘殿!!」
声を張り上げた愼介に、橘は耳を塞いだ。
「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!」
「…とにかく次の村で、どこか働かせてもらえる所を探しましょう」
「はい…」
橘は初めて愼介が怒ると、すごく恐いことを知ったのであった。
愼介の後につづきながら、(昔はこんな子じゃなかったのに)と心の中で愚痴っていた。
* * * * *
数百年前――とある戦神が神の剣『神剣』を手にするべく、それを守っていた土蜘蛛を倒したそうだ。
その土蜘蛛は女に化けて、夜な夜な男を洞窟へ招き入れ、糸で絡めて動きを封じ喰ろうたそうだ。
戦神のおかげで、村は平穏になったのだった。
さてこの戦神のような者が、土蜘蛛に支配された村に現れるのだろうか。
* * * * *
「やっと着きましたね」
「そうだなぁ。でも、歓迎はなさそうだぜ」
とある村に辿り着いた橘と愼介。
だが、村の雰囲気と村人たちの様子に橘はおかしいと思っていた。
「なあんで、俺らのことジロジロ見るんだろうな」
「橘殿、ちゃんと羽根は隠していますよね?」
「あったりまえだろ!つうか、いつも隠してるだろ。いいか愼介、村でも町でも道端でも他人様のことをあんなにジロジロ見る奴はいるか?」
橘の問い掛けに、愼介は顎に手をかけ考えたあと、いませんね、と答えた。
橘は、そうだろ、と頷く。
「女に見られてるのはよし!だがな、今俺らを見ているのは野郎と年寄りばかり!気持ち悪いったらありゃしない」
「そういえば、この村若い女性が見当たりませんね」
愼介はもう一度辺りを見回す。
橘の言う通り、周りには男と老人しかおらず、若い女性は一人もいない。
「どういうことでしょうか?」
「さあな。俺にもよくわからねぇ。聞いてみた方が早いかもな」
と、橘はちょうど近くにいた若い男に声をかけることにした。
「おい、そこの兄さん。聞きたいことがあるんだが…」
だが橘が問い掛ける前に、男はそそくさと去ってしまった。
「なんだあいつ!かんじわりぃ」
そんな相手の態度に橘は激怒した。
「まあまあ橘殿。落ち着いてください」
愼介が橘を宥めさせていたときだった。
「この村の人達に話し掛けても無駄さ。よそから来た者には声をかけられても無視するように言われてるのだから」
体格ががっしりとし、短い白髪をした男が来て、二人にそう告げた。
突然声をかけてきた彼に、愼介は尋ねる。
「あ、あの…あなたもこの村の人ですか?」
「あぁ、すまない。挨拶がまだだったな。俺は栄吉。この村にある宿屋を営んでる。まっ、村がこんな感じだから客足が全くなくて暇だけどな」
栄吉は笑ったあと、お前らの名は?、と二人に聞く。
「自分は愼介と申します。隣にいる方は橘殿といいます」
「天狗様はちゃあんと奉れよ、人間」
「…は?」
橘の妙な言葉に、栄吉は口をポカンと開けた。
そんな相手を見て、愼介は橘を小声で叱った。
「た、橘殿!むやみやたらに正体をばらさないでください!」
「悪りぃ。つい昔の癖が…」
「まったく、気をつけてくださいよ」
そう言った後、愼介は栄吉に向き直り、
「すみません。この人、頭がおかしいんです」
と告げた。
どういう意味だ、と橘は無言で愼介を睨みつける。
が、それで納得した栄吉を見ると肩をおとしたのだった。
「あ、そうだ。栄吉さん、この村にどこか働ける場所はありますか?」
愼介は村に来た目的を思い出すと、早速栄吉に聞いてみることにした。
「働ける場所…?なんだ、お前さんら、ひょっとして文無しか」
「…はい。旅の資金の稼ぐためにここの村に立ち寄ったのです」
痛いところを突かれると、愼介はため息を吐いて事情を話したのだった。
栄吉は暫し考えた末、
「じゃあ、俺の所で働くか」
と告げた。
「え!いいのですか?」
「宿泊代はそこから引かせてもらうぜ。しっかり働けよ」
「はい!頑張りましょうね、橘殿」
働ける場所が見つかって愼介は喜ぶが、橘は面倒くさそうだった。
「たりぃ…」
「橘殿、誰のせいで働くことになったのですか」
愼介の静かな怒りに、橘はビクッと肩を上げた。
「…頑張ります」
「よろしい」
「何があったかしらねぇが、本当に金ねぇんだなお前ら」
栄吉は苦笑すると、二人を自分の営む宿屋へ連れていったのだった。
「あ、そうだ。栄吉さん、この村にどこか働ける場所はありますか?」
愼介は村に来た目的を思い出すと、早速栄吉に聞いてみることにした。
「働ける場所…?なんだ、お前さんら、ひょっとして文無しか」
「…はい。旅の資金の稼ぐためにここの村に立ち寄ったのです」
痛いところを突かれると、愼介はため息を吐いて事情を話したのだった。
栄吉は暫し考えた末、
「じゃあ、俺の所で働くか」
と告げた。
「え!いいのですか?」
「宿泊代はそこから引かせてもらうぜ。しっかり働けよ」
「はい!頑張りましょうね、橘殿」
働ける場所が見つかって愼介は喜ぶが、橘は面倒くさそうだった。
「たりぃ…」
「橘殿、誰のせいで働くことになったのですか」
愼介の静かな怒りに、橘はビクッと肩を上げた。
「…頑張ります」
「よろしい」
「何があったかしらねぇが、本当に金ねぇんだなお前ら」
栄吉は苦笑すると、二人を自分の営む宿屋へ連れていったのだった。
* * * * *
妖怪なんて嫌い。
この村も嫌い。
あの妖怪のせいで、
この村の風習のせいで、
母は贄にされてしまった。
どうして、
どうして母が選ばれてしまったの?
どうして父は母を助けなかったの?
嫌い…嫌い…嫌い…
みんな大嫌い!!
だから、私をこの村の外へ連れていって。
どこか遠くへいって、一緒に暮らそう。
お願い…。
* * * * *
栄吉の宿屋にやってきた橘と愼介は、さっそく栄吉からもてなしをされていた。
御膳の上にある綺麗に盛りつけられた料理の品々に、橘の目は輝きだす。
「うまそー。いただきまぁす」
と、ガツガツとそれらを食べ始めた。
そんな彼を見て愼介は呆れながらも、自分も料理を摘みながら、栄吉に村の風習を聞くことにした。
「栄吉さん、この村の風習って一体なんなのですか?村人達は何故外から来る人達を拒むのですか?」
愼介の質問に栄吉は言うのを微かに躊躇っていたが、相手の真剣な目を見て話すことにした。
「支配されてんだよ、この村は。……土蜘蛛っつう妖怪にな」
「土蜘蛛だと…!?」
土蜘蛛と聞いて、食べることに夢中だった橘の様子が一変した。
「ご存知なのですか、橘殿」
「知ってるもなにも、土蜘蛛は遥か昔源頼光とその四天王が倒した化け物だ。あとは…数百年前に、とある村にいた土蜘蛛を十振りの神の剣を持つ戦神が退治したとかいう話もある」
土蜘蛛は一匹じゃなさそうだな、と橘は呟いた。
「村では年に一回、白羽の矢がたった家の娘を土蜘蛛に捧げなければならないんだ」
「あぁ、だからこの村は若い女性が見当たらないのですね」
愼介は納得したように言うが、酷いことだ、と最後に呟いた。
「村長も村の連中も、みんな土蜘蛛の言いなりだ。…俺も昔はそうだったけどな」
栄吉は畳を拳で叩き、奥歯を噛み締めた。
そんな彼を見て、橘は見透かすように言う。
「自分の娘を、土蜘蛛に差し出したんだろ」
栄吉は首を横に振った。
「いや、妻を土蜘蛛に差し出したんだ。娘…お静の代わりにな。俺は止めたさ。でもあいつは…」
そこで栄吉は話を止めた。
「そろそろ、お静が茶を持ってくる頃だな。あいつの前だと話しにくくてな」
そう言った直後、失礼します、と一人の少女が部屋に入ってきた。
前髪を綺麗に揃えた黒髪がとても印象的で、未だ幼さが残る顔立ちをしている。
橘と愼介を見たあと、少女は栄吉の方を向く。
「お父さん、この方達は?」
「ああ、まだ話してなかったな。この人達は訳あって、今日から少しの間、内で働くことになったんだ」
栄吉はそう少女に言うと、
「娘のお静だ」
、と橘と愼介に紹介した。
「初めまして、お静といいます」
お静は丁寧に挨拶をした。続いて、愼介と橘も挨拶する。
「自分は愼介と申します」
「俺は橘だ。よろしくな、嬢ちゃん」
「愼介さんと橘さんですか。今日はゆっくりしていって下さいね。明日からお父さんがコキ使いますから」
「コキ使うのはお前だって同じだろ」
栄吉はそう言い返すが、お静はお茶を置くと黙って部屋を出ていった。
そんな彼女に、栄吉は肩を下げた。
「あいつ、母親を土蜘蛛に差し出したことに怒ってるんだ。あの時、お父さんが止めてくれたらって…。あんまり気にしないでくれよ。いつものことだから」
栄吉は二人に告げるが、愼介にはその目はどこか寂しそうに見えていたのだった。
* * * * *
空き部屋を借りた橘と愼介は、土蜘蛛と村のこと、そして栄吉とお静について話し合った。
「まずはこの村だな。なんでよそ者を嫌うかだが、おそらく土蜘蛛に脅されているんだろうな」
「外から来た者達が、土蜘蛛がいることを世間に広ませないためですね」
「まあ、それもあるかもしれないが、見つかりたくない相手でもいるんじゃないか。神とか」
「神!?彼らは実在するのですか!」
愼介は“神”がいることに驚いた。
そんな彼に、橘はどうだろうなと素っ気なく返した。
「ま、そのうち奴らとも会うことになるだろうけどな。あとは…オッさんと嬢ちゃんのことだな」
「母親を土蜘蛛の生贄にされたことに、お静さんは妖怪嫌いになり、また、それを止めなかった父親である栄吉さんを許せないそうですね」
「止めなかった理由はあるかもしれねぇが、それをあの嬢ちゃんが耳を傾けるかどうかだ」
橘は懐から煙管を取り出すと、それを口にくわえる。
「いい年こいて未だ反抗期だからな。いい加減大人になれってんだ。見ていて腹が立つ」
「それは貴方も変わらないでしょう、橘殿」
愼介に図星を突かれると、橘は視線を逸らした。
「す、少し村のことも調べておかないとな。そういうことで愼介、俺は今晩から土蜘蛛のことを探るから…稼ぎはお前に任せる」
「………は?」
橘の話に愼介は口をポカンと開けた。
(稼ぎはお前に任せるって…!?それじゃあ、あんたは初日からサボるのですか!)
「ちょっ…橘殿!それは困ります。せめて昼間だけでも働いてくださいよ」
「早急に土蜘蛛の住家を見つけたいんだよ。働くよりもそっちを優先するぜ、俺は」
「働きたくないだけでしょ!」
「うるせえ!とにかく稼ぎは頼んだぞ、愼介」
そう言い残して、橘は漆黒の翼を広げ、格子から飛び出していった。
見送った後、一人になった愼介は呆れ果て、蒲団を敷いて寝ることにしたのだった。
* * * * *
匂う、匂う、匂うぞ。
怪の匂いがするぞ。
我以外の怪の者がここにいるとはな。
片方は大天狗の倅、もう片方は…
……………
ほう、こいつは…
我ら土蜘蛛族の憎き同様の相手に倒されたあの悪鬼か。
ふむ、血を求めて仕方のないようだ。
では、我がお前を呼び起こし、
沢山の血を浴びせてやろうではないか。
酒呑童子よ…。
* * * * *
村に留まってから数日が過ぎた。
未だに帰ってこない橘を心配しながらも、愼介は頑張って働いていた。
今日は薪割りである。
風呂を沸かすのに使ったり、飯作りにはかかせない。
普段なら栄吉がやるのだが、朝から姿がないので、お静は愼介に頼んだのであった。
「ごめんなさい、愼介さん。お風呂掃除しているときに…」
「いえ、気にしないでください。風呂掃除は後にでも出来ますから。それに薪割りは男の仕事ですから」
「橘さんもいれば、愼介さん苦労しなくて済むのに…」
「あの人がいたら、自分の苦労はもっと増えますよ。いい年して我が儘だし、金遣いは荒いし…」
愚痴を零す愼介に、お静は微かに笑う。
「愼介さんでも愚痴を言うのね」
「橘殿と付き合えば、嫌という程出ますよ」
「なんか愼介さんって…橘さんのお母さんみたいね」
「おかあ…!?」
愼介は顔を真っ赤にし、薪割りをしていた手を止めた。
そんな彼に、お静は笑った。
「冗談よ、冗談。…あ、そういえば、お二人には両親はいるの?」
お静の問いに、愼介は答えにくそうな表情を浮かべる。
いや、悲しげだった。
「橘殿の両親は本人に聞かないとわかりませんが、自分には母がいました。父は物心ついたときからいません」
「そうなんだ。あたしとは反対だね」
「ですが、その母も今はいません。…自分が十になったばかりに死にました」
「ごめんなさい。嫌なこと思い出させて」
謝ってくるお静に、愼介は、気にしないで下さい、と告げた。
「それにこれは忘れられないことですから」
「…病気で亡くなったの?」
「………」
黙り込む愼介に、お静はもしかしてと目を見開く。
「…妖怪に殺されたの?あたしのお母さんみたいに生贄にされたの?そうなんでしょ!」
突然豹変したお静に愼介は驚く。
「お静さん?」
「なんであんな奴らがこの世に存在するの!あいつらがいるから…あいつらのせいで、あたしのお母さんは…」
お静は両手で耳を塞ぎ、憎々しげに喚き散らす。
愼介は彼女を正気に戻そうと、名を呼ぶ。
「お静さん!」
「妖怪なんて、みんな死んじゃえばいいのよ!」
「………ッ!」
その言葉が愼介の心に突き刺さった。
――死んじゃえばいいんだ。
では、人間ではない自分は死ぬべき者ではないのであろうか。
愼介は悲しくなった。
もし、お静に本当のことを告げたら、彼女は自分をどう見るのだろうか。
中にいる酒呑童子が表へ出ようとしていることを感じ、愼介は我に還った。
駄目だ。弱きになれば奴が出てしまう。
愼介は自我を保たせると、お静に声をかけた。
「落ち着いてください、お静さん。自分の母は、生贄にされてません」
否定した愼介に、お静は落ち着きを取り戻した。
「あ…、そうなんだ。ごめんなさい。勝手に思い込んで」
「いえ…。お静さんは妖怪が嫌いなのですね」
愼介はおそるおそる聞いてみた。返ってきた答えは予想通りだった。
「嫌いよ、大嫌い。お父さんも、この村も嫌い」
「そうですか…」
「愼介さんも妖怪嫌いでしょ」
「自分は……」
返答に困った愼介。
ふと、彼の脳裏に浮かんだのは、橘の姿だった。
「…嫌いになれませんよ」
相手の答えに、お静は不満な顔になる。
「どうして?」
「自分が出会った妖怪が、自分を救ってくれた恩人だからです」
それだけ言うと、愼介は薪割りを再開した。
わけわかんない、とお静は思いながら、彼女も仕事を再開することにしたのだった。
* * * * *
その頃、橘は村近くにある山の中にいた。
「…ここだな、土蜘蛛の住家は」
見つけたのは熊が住んでもおかしくない洞穴だった。
橘はゆっくりとした足取りで洞穴の奥へ進む。
土蜘蛛の気配はないが、漂う妖気は残っていた。
人間であったらこの妖気だけで息苦しくなるが、橘は同じ妖怪のため平気だった。
奥へ進むたび、妖気はどんどん濃くなっていく。
ふと、橘の鼻につんとした臭いがきた。
それがなんなのかは、彼には嫌というほどわかった。
屍の臭いだ。
橘は鼻を押さえ、眉間に皺を寄せる。はっきりいって辛い。この臭いは好きではない。
戻りたい、と思ったが、奥がどうなっているのか気になった橘は、それを耐えて先へ進むことにした。
着いた場所は天井がぽっかりと大きく開いた場所だった。そこから陽射しが入っており、地には微かに緑も生えている。
一見美しいと思ってしまうが、周りの壁を見て橘は目を見開いた。
骨だけとなったたくさんの屍が、蜘蛛の糸に絡まってぶら下がっていた。
* * * * *
一方、村では栄吉が村長を中心とした村人達と対峙していた。
「栄吉、お前はこの村が無くなってもいいと思っておるのか!」
「知るか!俺はお紗枝と約束したんだ。お静を土蜘蛛の生贄にはさせないってな!」
「お前はまだお紗枝のことを引きずっておったのか、栄吉」
「とにかく、俺は反対だ!あんな矢一本で、お静の運命が決まるなんて冗談じゃねぇ!」
栄吉は自分の家の屋根に刺さっている白羽の矢を睨んだ。
どうやら、土蜘蛛の生贄選びが始まったのだ。
栄吉の家にそれが刺さったということは、娘・お静を土蜘蛛に差し出さなければならない。
しかし、栄吉はそれを拒んだのだ。
そんな彼を村長と村人達は説得しに来たということだ。
その様子を黙って見ていた愼介だったが、村長達の言動が許せず、栄吉に加勢した。
「待ってください。貴方達は土蜘蛛を倒そうとは思わないのですか。大切な人を奪われて憎くないのですか」
愼介の問い掛けに、村長は怯えながら答える。
「よそ者は何も知らぬからそんなことが言えるのだ。あの恐ろしい土蜘蛛を倒すだと?儂らが束になってかかっても、敵わぬであろう」
「では、幕府に退治を頼むことは…」
「それも無理だ。土蜘蛛の存在すら信じてもらえぬだろう」
村長は肩を落とすと、愼介に目を向けた。
「お前はどうなんだ、若造。お前なら土蜘蛛を倒せるのか?」
「……わかりません」
愼介の返答を聞いて、村長らは笑いだす。が、それはすぐに止んだ。
「ですが、例え相手が恐ろしく強くても、自分は大切な人を守るために戦います」
愼介の真剣な眼差しに、村長らは呆気にとられ、栄吉は誇らしげな笑みを浮かべた。
* * * * *
村長らが帰った後、愼介は栄吉に
「お紗枝」
のことを聞いていた。
「あの、栄吉さん。お紗枝さんという方は…」
「お紗枝は俺の妻だ。前に話したよな。妻を土蜘蛛に差し出したって」
「その方がお紗枝さんなのですね」
栄吉は頷くと、話しを続けた。
「白羽の矢が立った家は、娘を土蜘蛛に差し出さなければならない。だが、その頃のお静はまだ幼かった。俺達は躊躇ったさ。この子は生贄として生まれてきたのかって」
遠くから蒲団を干しているお静が目に入り、栄吉は一息吐いた。
「幼い娘を土蜘蛛には差し出せない。そこでお紗枝はお静の身代わりとして、土蜘蛛の生贄になるって言ったんだ」
栄吉がお静には言えなかったことの意味を愼介にはわかった。
お紗枝が身代わりになって生贄になったということを、お静が知ったら、彼女は自分のせいで母親が死んだと責めてしまうからだ。
そう、あの時の愼介と同じように――
「俺は止めたさ。だが、お紗枝の決意は固かった。最後にあいつは俺に言ったんだ。――お静を守ってほしい、と。だから、俺はお静を守る。お紗枝の約束のため、父親としてな」
栄吉は拳を握りしめた。
彼は村と土蜘蛛を敵にまわしても、お静を…娘を守ろうとしている。
「自分も手伝います、栄吉さん」
栄吉に心打たれた愼介は、そう相手に云った。
「足手まといになるかもしれませんが、自分もお静さんを土蜘蛛から守ります」
村に味方がいない栄吉には、愼介が頼もしく見えた。
「ありがとうな、愼介」
栄吉は愼介に礼をしたのだった。
* * * * *
日が沈んだ後、愼介は未だに帰ってこない橘のことを心配していた。
(橘殿…どうしたのだろう。もしや、何かあったのではないだろうか)
そう思いながら、外を眺めていた。
庭の方を見たとき、愼介の目に飛び込んできたのは、お静と白く長い髪をした見知らぬ青年が抱き合っている姿だった。
顔を真っ赤にし、逸らした愼介だったが、二人の会話が耳に入ってくる。
「白籠、あたしをこの村から連れ出して!そうしないと、あたし…お父さんと村の人達に土蜘蛛に差し出されちゃう!」
白籠、と呼ばれた青年はお静の頭を優しく撫でながら、彼女に言う。
「君がそれを望むなら、私はそれに応えるまでだ、お静」
と、彼はお静の手を握る。
「行こう、私達の家へ」
白籠は優しい口調で告げた。
そのとき、愼介は息を呑んだ。
白籠が、お静に気付かれることなく、愼介を見ている。
その顔はお静に向けているのとは違い、不気味な…いや邪悪さが潜んでいるようにも見えた。
愼介は彼の目から視線を逸らせずにいた。
いや、白籠から感じるまがまがしい気によって、石のように身体が動かなかった。
(あいつはなんだ?何故、自分を見ている…)
愼介がそう思っていたとき、白籠の口が動いた。
「娘は貰っていく。我が住家で待っておるぞ、酒呑童子」
離れているのに、その声は耳元の近くではっきりと聞こえた。
何よりも驚いたのは、相手が愼介の中に潜む鬼を知っていることだった。
問い詰めようとした瞬間、急に身体が軽くなった。
白籠とお静が庭から去ったため、愼介の金縛りも解けたのだ。
愼介は呼吸を整えると、すぐに童子切安綱を手にした。
(お静さんが危ない…)
白籠の意味深げな言葉と、愼介に見せたあの邪悪に満ちた顔が脳裏に浮かぶ。
嫌な予感がした愼介は外へ飛び出すと、二人のあとを追ったのであった。
* * * * *
白籠に連れられ、お静が来た場所は、ぽっかり開いた穴から月光が差し込み、緑が生い茂る美しい場所だった。
平たい大きな岩の上には小さな家屋が建っている。
「あれが私達の家だ」
と、白籠はお静に云った。
ここで、白籠と一緒に、静かに、幸せに暮らすのだとお静は心を踊らせた。
さあ…、と白籠はお静の手を引く。
お静はゆっくりとした足取りで前に進む。
彼女の瞳には、優しく微笑む白籠の姿しか映らない。
貴方がいればいい…。
貴方のためなら、私は自分の命を投げ捨ててもいい。
白籠がお静の方を向き、両手を広げる。
「おいで、お静」
云われるがまま、お静が彼の胸の中に飛び込もうとしたときだった。
「駄目だ!お静さん」
愼介の声がお静の耳に届いた。
「愼介さん…!?」
我に返った彼女は目の前にいる者を見て絶句する。
そこに愛しい人の姿はなく、獣の顔をし、蜘蛛の身体をした化け物が、お静を食らわんとばかりの大口を開けていた。
そして、その化け物は白籠の声でお静を呼ぶ。
「お静…。さあ、こっちへ来るんだ」
化け物はゆっくりとお静に近づいてくる。
「いやぁぁッ!」
お静は叫び声を上げると、愼介の方へ駆け出した。
「お静ぅぅぅッ!こっちへ来るんだ」
化け物は糸を吐きだし、お静の足を捕らえた。
「お静さん!」
愼介は倒れたお静を見ると、近くにあった石を手にし、それを化け物へ投げ付けた。
石は見事化け物の目に当たった。
それが悶えている隙に、愼介はお静の足に絡まっている糸を解き、彼女の手を引いた。
「逃げましょう、お静さん」
「白籠は?白籠はどこ?ねえ、白籠は…」
「その白籠が土蜘蛛なんです、お静さん。貴方の母親を殺したのもそいつです」
「え……」
白籠が土蜘蛛と聞かされて、お静は戸惑った。
「そんな…そんなの嘘よ。嘘……」
「貴方達が庭で会っているところを自分は見てしまいました。彼の身体から放たれる気は人のものではないこと、そして、自分と視線を合わせたときのあの邪悪な笑み…」
愼介は化け物、土蜘蛛を睨みつけた。
土蜘蛛は高らかな笑い声を上げ、愼介を睨み返す。
「貴様のせいで娘を喰い損ねたわ、小僧!」
その言葉を聞いて、お静は愕然とする。
土蜘蛛はそんな彼女を可笑しそうに見て、話し続けた。
「父親を信じず、見知らぬ男を信じる哀れな女だ。その男が自分の母親を喰ろうた化け物だと知らずにな!」
土蜘蛛は周りを見渡した。
愼介とお静も土蜘蛛と同じように周りを見渡す。
暗くてすぐには気付かなかったが、そこには白骨化した沢山の屍が、糸に絡まって垂れ下がっていた。
土蜘蛛は目をギラつかせ、下卑た笑みを浮かべた。
「お前の母親もあそこにいるだろう」
残酷な言葉と裏切りに、お静は泣き崩れた。
母親を奪い、尚且つお静をたぶらかし、彼女の命を奪おうとした土蜘蛛に愼介は怒りをあらわにした。
「貴様ぁ!」
童子切安綱を手に掛けようとした瞬間、愼介は土蜘蛛に殴り飛ばされた。
その拍子に童子切安綱を手放してしまう。
身体を地面に叩きつけられるもその痛みを堪え、愼介は拾おうとしたが、土蜘蛛に身体を押さえ込まれてしまった。
土蜘蛛は愼介の奥に潜む者を見透かしながら、彼に語りかける。
「小僧。いや、古の悪鬼・酒呑童子よ。何故、お前は人間などに荷担するのだ」
(こいつ…。酒呑童子を知っているのか!?)
土蜘蛛が酒呑童子を知っていることに愼介は驚いた。
土蜘蛛は話し続ける。
「遥か昔、我が始祖とお前は、憎き源の名を持つ男に殺されたというのに。本当は沢山の血を浴びたい、肉を喰らいたいと呻いておるであろう」
「……黙れ!」
愼介の脳裏に幼い頃の忌ま忌ましい記憶が蘇る。
村人達を惨殺し、母までも手に掛けたことを。
愼介の微かに怯えた様子に、土蜘蛛は追い打ちをかけるかのように、お静に告げた。
「お静!いいことを教えてやろう。お前の父親が雇った奴らは――」
土蜘蛛がお静に何を云うのかを察した愼介は
「やめろ!」
と叫ぶ。
しかし、それは虚しく散った。
「お前の嫌いな妖怪だ!とくに、この偽善者振った小僧は人を喰らう鬼だぞ!」
そのことにお静は信じられなかった。
恐る恐る彼女は愼介に問う。
「嘘よ、ね?愼介さん。愼介さんと橘さんが妖怪なわけ…ないよね?」
愼介は答えることができなかった。
真実だから。
彼の中に人を喰らう鬼がいることも…。
返答のない相手に、お静は愼介に酷い言葉をぶつける。
「そんな…。じゃあ、騙していたのね。優しい振りして、本当は殺すつもりだったんでしょ!」
「違う!お静さん、自分は――」
「いや!来ないで、化け物!」
お静に拒まれ、愼介の心は深く傷ついた。
視界が真っ暗になっていく。
奥の方から、鬼が這い上がってくる。
鬼は愼介の肩に手をかけた。引っ込める気だ。
――駄目だ!
もうあんな惨状を見たくない
人殺しなんてしたくない。
もう傷つきたくない!
橘殿…。
助け…。
愼介が鬼に変わろうとした間際、上空から閃光が現れた。
それは、愼介の身体を押さえていた土蜘蛛の脚を切り落とした。
土蜘蛛から解放された愼介の目に漆黒の翼が映る。
「大丈夫か、愼介」
橘だった。彼の手にはいつの間にか童子切安綱の姿があった。
橘は愼介にそれを渡した直後、二振りの刀を抜き、土蜘蛛の打撃を防いだ。
「久しいなぁ、烏!大天狗は元気にしておるか?」
「ふん、あんな奴のことなんかしらねぇよ!」
押し返すと、橘は土蜘蛛の顔面を切り付けた。
土蜘蛛の咆哮が洞穴中に響く。
橘は背後にいる愼介に
「嬢ちゃんを連れて逃げろ」
と命じた。
「この蜘蛛野郎は俺が相手になる!」
一人で戦おうとする橘に、落ち着きを取り戻した愼介は承諾しなかった。
「無茶です!いくら剣術に優れた橘殿でも一人でなど――。それに、お静さんを連れて逃げるなど出来ません。……自分は“化け物”なのですから」
俯く愼介を横目で見た後、橘はお静に視線を向ける。
お静は、愼介同様、橘も化け物を見る目で見ていた。
橘はそんな彼女を冷めた目で見下ろした。
「嬢ちゃんは妖怪が嫌いかい」
橘の問いに、お静は
「嫌いよ」
と答えた。
それを聞いても、橘の態度は変わらなかった。
「ならいい…。けどな、あんたが妖怪を嫌うように、人間を嫌う妖怪もいるんだ」
橘ははっきりと、どこか悲しげな声で云った。
「俺達、妖怪の中には人間達に住家を追われたり、家族と仲間を殺された奴らもいるんだ。母親を奪われたあんたなら、その気持ちわかるだろう」
お静は無意識に橘の話に耳を傾けていた。
橘は話を続ける。
「それと、人間が妖怪になっちまう場合もある。心を傷つけられたり、怨み妬みを持ったりしてな。愼介の場合は特殊だが、少しでも心を傷つけられると…“鬼”になる」
鬼などは元々は“人”なのだ。
そう橘はお静に教えると、最後にこう云った。
「俺を化け物扱いするのはいい。だが、愼介を化け物扱いするのは許さねぇ」
そう彼女に伝えた後、橘はお静を愼介に任せた。
「行け!愼介」
土蜘蛛に向かっていく橘の身を按じながら、愼介はお静の手を引いて駆けだした。
お静が愼介の手を振りほどくことはなかった。
愼介とお静の姿がないことに気付いた土蜘蛛は、口の端を歪め、橘に尋ねる。
「お前一人で我に勝てると思っておるのか?烏」
「ふん、俺を誰だと思ってんだ。古今無双の烏天狗・橘様を甘くみねぇ方がいいぜ」
橘は馬鹿にしたように云った。
二人は距離を置いて、互いの動きを見計らっている。
「源の姓を持つ者に仕えていたそうだな。何故、お前達天狗族は人間共を守ろうとする」
土蜘蛛の問いかけに、橘は、くだらねぇ、と吐き捨てた。
「俺は、あの方と約束しただけだ。“弱者を助けろ”ってな!」
そう叫ぶと、橘は真っ正面から土蜘蛛に斬りかかっていった。
* * * * *
愼介とお静はなんとか洞穴から抜け出すことが出来た。
だが、愼介はそれ以上進まず、後ろを振り返った。
(橘殿、本当に大丈夫なのだろうか)
橘のことが気になる。
嫌な予感がしてならない。
愼介は童子切安綱を握りしめ、決心した。
「お静さん、貴方は村に戻ってください。自分は橘殿の元へ戻ります」
そう告げると、愼介は再び洞穴へと入っていった。
呼び止めるお静の声が聞こえたが、愼介は振り向かなかった。
* * * * *
橘は土蜘蛛の意外な強さと生命力に微かに苦戦していた。
身体を切り付けても、いつの間にか治っているのだ。
奴を倒すには、一撃で仕留めなければならない。
そう考えた橘は、“本来の力”を使おうとした。
しかし、彼は躊躇った。
“本来の力”を使えば、自分の意識を保てるかどうか難しい。下手すれば、土蜘蛛を倒したあと、村を襲うかもしれない。
橘が悩むなか、隙だらけの彼を土蜘蛛は見逃さなかった。
「何をぼーっとしておるのだ、烏!!」
橘が気付いたときは、すでに遅かった。
土蜘蛛の吐いた糸は、漆黒の翼に絡み、動きを封じる。飛べなくなり、敵の攻撃を避けることも難しくなってしまった。
「しまった!」
急いで糸を切ろうとしたとき、岩ぐらいの幅がある巨大な糸の塊が橘に直撃し、後方へ飛ばされた。
壁に激突すると、橘の身体に強い痛みがはしった。
うずくまる彼に、土蜘蛛の脚がのしかかり、その重みに橘は呻く。
「源の姓を持つ男の片腕と呼ばれた者がこの程度の力で、我に勝てると思っておったのか」
嘲笑いながら、土蜘蛛は橘を踏み付ける脚に重みを加える。
骨の軋む音がした。橘は声を上げる。
「死にたくないだろう、烏。どうだ?我と手を組み、人間共を滅ぼそうではないか。こんなに楽しいことはないぞ」
と、もう片方の脚で橘の顎を持ち上げ、その苦しげな表情を覗き込む。
橘の出した答えは
「否」
だった。
「ふざけんな。誰がてめえなんかと手を組むか。俺は“あの方”の命しか聞かねえからな」
そんな彼に、土蜘蛛は呆れ果てた。
「残念だ、烏よ」
土蜘蛛は橘の息の根を止めようと、鋭い牙を剥き出したときだった。
「橘殿ぉっ!」
聞き慣れた声がし、橘はそちらを見る。
「愼介…」
愼介の姿があった。
愼介は童子切安綱を構え、土蜘蛛にゆっくり近づいていく。
「その脚を退けてください」
愼介は橘を踏み付ける土蜘蛛の脚を見て云った。
しかし土蜘蛛は脚を退かさず、逆にさらに重みをかける。
悶える橘を見て愉悦する土蜘蛛に、愼介は額に青筋を浮かばせた。
「もう一度言います。退けてください。…消えたくなければ」
愼介の最後の忠告だった。
「人間に荷担する者の命など受けぬわ」
土蜘蛛はそれを無視し、橘にとどめをさそうとした。
瞬間、土蜘蛛の脚が宙を舞った。
しかし脚を切られたことより、土蜘蛛が驚愕したのは愼介の姿であった。
愼介の髪は短髪で、色は焦げ茶色だ。
だが、今の彼の姿は“人に近くて、人ならざぬ姿”である。
短かった髪は肩まで伸び、色は悪鬼・酒呑童子と同様赤黒い色だった。
さらに瞳は金色をおび、獣のように鋭くなった目つきに、耳は蝙蝠のように尖っていた。
童子切安綱を抜いた愼介の異端な姿に、橘も言葉が出てこなかった。
愼介は童子切安綱を構え直すと、土蜘蛛に飛び掛かっていった。
土蜘蛛の吐き出す糸を寸前でかわし、懐に潜ると、数本の脚を切り落とした。
巨体を支えきれず体制を崩す土蜘蛛だが、動けない橘に再び牙を向ける。
「こうなったら烏だけでもぉぉぉっ!」
喚きながら橘に迫る土蜘蛛の前に愼介が立ち塞がる。
「橘殿は…死なせません!」
愼介は迫る土蜘蛛の牙を童子切安綱で塞ぎ、弾き返した。
相手が怯んだのを見逃さず、愼介は刃を振り上げ、土蜘蛛の身体を一刀両断した。
「馬鹿…な…。我が…負ける…な、ど」
直後、切り裂かれた土蜘蛛の身体は花びらとなって消えた。
周りにあった屍も同様、花びらとなって天へ舞い上がっていったのだった。
* * * * *
戦いを終えた橘と愼介は、村へ戻る最中であった。
童子切安綱を鞘へおさめたため、愼介の姿はいつも通りに戻っていた。
橘は彼の背にもたれながら、先程のことを思い出していた。
何故、あの時愼介の姿は変わったのだろう。
微かだが酒呑童子の気を感じた。でも、愼介の気が上回っていた。
童子切安綱には、何か不思議な力があるのだろうか。
そう橘が考え込んでいたとき、愼介が声をかけてくる。
「まだ痛みますか、橘殿」
「ん?あぁ…。ちょっとな」
「そうですか。いえ、いつもなら愚痴っている橘殿が黙り込んでいるのが珍しかったので…」
苦笑いする愼介を見て、(いつもの愼介だ)と橘は安堵した。
「ところで愼介。お前、なんで戻ってきた。嬢ちゃん連れて逃げろって俺は言ったのに…」
話しを変え、橘は戻ってきたことについて愼介に聞く。
愼介は当たり前のように答えた。
「心配だったからです。いつも自分は橘殿に助けられてばかりで…。橘殿は平気だって言っておりますが――」
そこで愼介は話しを止めた。
あなたが時折見せる寂しくて、不安げな様子が、自分は気になって――
だから、自分は自分自身に誓ったのです。
「橘殿は自分が守ります。何があっても必ず」
それを聞いた後、橘は顔を赤く染めた。
「な、何アホなこと言ってんだよ!じ、自分の身くらい自分で守れる!」
「自分が来たときには、かなり押されてましたが…」
「うっさい、馬鹿愼介!もういい、俺は寝る」
痛い所を突かれると、橘は言い返さず、ふて寝してしまった。
(…あの方と同じようなこと言いやがって)
内心は嬉しい橘だった。
* * * * *
村へ戻ってきた二人を待っていたのは、村人達の感謝の言葉と御礼であった。
茫然とする二人に、栄吉がやってきた。
「お静から話は聞いたよ。お前達が土蜘蛛を倒してくれたんだってな」
「お静さんが…?」
その場にいなかったはずなのに、どうして…?
愼介と橘が首を傾げるなか、栄吉は二人に耳打ちする。
「信じ難い話だが、お静が云うには、お紗枝から聞いたようでな――」
栄吉の話では、村へ戻ってきたお静は栄吉らに
「橘と愼介が土蜘蛛と戦っている」
ということを聞いた。
栄吉は村の男衆と共に土蜘蛛の洞穴へ向かおうとした矢先、お静が来て
「もう大丈夫」
と告げた。
お静が部屋で色々考えていたとき、お紗枝の霊が現れ、
「彼らが土蜘蛛を倒してくれたわ」
と娘に伝えて消えていったそうだ。
「そうか。土蜘蛛を倒したことによって、あそこに縛られていた生贄達の魂が浄化されたってわけか」
橘は顎に指をあて、納得したように呟いた。
「俺にはそういうのよくわからねえけどな」
と、栄吉ははにかむと二人に銭の入った小さい袋を渡した。
「ほれっ!お前さん達の給料だ。どうせ明日になったらこっそりココを発つつもりなんだろ。だから今のうちに渡しておくぜ」
「あ、ありがとうございます!」
「これで団子が食えるぜ」
礼を云う愼介の横で、橘は本音をうっかり口にしてしまった。
その直後、愼介の怒鳴り声が辺りに響いたのだとか…。
* * * * *
――翌朝
まだ村人達が寝静まるなか、橘と愼介は出立しようとしていた。
「いつまで気にしてんだよ、愼介。早く行こうぜ」
「……えぇ」
愼介が見つめる先は、栄吉が営む宿屋。
昨晩の宴に、お静の姿はなかった。
愼介と橘の本当の姿を見てしまったお静。
村人達には言ってないにしろ、自分達は…お静の言う通り、騙しているに過ぎないのだ。
そんな彼を察し、橘は愼介の手を引こうとしたときだった。
「愼介さん!橘さん!」
少女の声が二人に届いた。
顔を上げると、お静が宿から走ってくる。
二人の目の前で止まると、息を整えてから、お静は風呂敷に包んだ物を差し出した。
「これ、お弁当。途中お腹空いたら食べてください」
「あ、ありがとうございます」
愼介は呆気にとられながら、それを受け取った。
「お静さん、自分は――」
「私、妖怪は嫌い」
愼介が謝ろうとしたが、お静の痛い言葉に掻き消される。
「…許してくれませんよね」
俯く愼介だが、次のお静の言葉には耳を疑った。
「でも、愼介さんと橘さんは嫌いじゃないからね!」
「――え」
愼介がゆっくりと顔を上げると、笑顔のお静がそこにあった。
「また来て下さいね」
「――はい」
愼介もつられて笑顔を見せたのであった。
「あれだったら、この先やっていけるぜ嬢ちゃん」
「橘殿がそう云うですからね。やっていけますよ」
宛もなく歩きながら、会話する二人。
ふと、橘は思った。
「なあ、コレ俺らの本業にしないか」
「何がですか?」
問い返す愼介に、橘は童のような笑みで告げた。
「妖怪退治」
【土蜘蛛ノ巻・完】