冷蔵庫・お便り・シャワー
「…ただいま」
家に帰るとすでに電気は消えており、自分が間に合わなかったのだと察する。
今日は俺の誕生日。そして、本当は彼女がその日を祝ってくれるはずだった。
…彼女はもう行ってしまったのか。
彼女とは大学で知り合い、俺が就職したことをきっかけに遠距離恋愛をすることになった。
記念日や時間のある時にはときどきこうしてお互いに行き来していたのだが、お互いに仕事や学業が忙しくなり、お互いの大切な記念日を一緒に過ごすことも難しくなっていた。
ああ、やってしまったと思う。
俺の誕生日を祝うためだけに、二時間もかけて電車で来てくれたのに、あうこともできずに帰らせてしまった。今日中に帰らなきゃいけないって聞いていたから、会えるかわからない、そんな状態でも迷わず来てくれたのに…。
落ち込みながらも腹はすく。確か冷蔵庫に酒とつまみになりそうなものぐらいはあったはずだ…。
冷蔵庫の中には、カットされたケーキと、いつも飲んでいる俺の好きな銘柄のビール、そしてこじゃれたサラダや、パーティーっぽいおかずが入っていた。そのうえに一枚の便せんに託された、彼女からのお便り。
「久司君へ
誕生日おめでとう!!…なんて言うと、もう20代も半ばだし祝う歳でもないなんて言われちゃうかな。まぁ、それでもおめでとう。会うことができなくて残念だったけど、ケーキやおかずはもったいないので半分おいしくいただきました。残りは明日にでも食べてください。
今回は本当に残念だったけど、次こそは大丈夫だよね。会えるの楽しみにしてるから。
しおり」
優しい言葉に、優しすぎる言葉に、一方的に悪いボクは頭が上がらなかった。
冷蔵庫の中身をレンジで温め、ビールと一緒にいただく。
そして、疲れた体は、すぐに睡眠を求めたものの、シャワーぐらいは浴びようと思う。
風呂場に入ると、なぜか湿度が満ちていた。
ひょっとすると、彼女が帰る前に浴びていったのかもしれない。
そして、シャワーを浴びようとして、気がつく。目の前の姿見、そこに書かれていたのは、
「バカ」
の一言。
風呂場の湯気で結露した鏡に、彼女が指で書いたのだろう。
水滴をはじくようにして残されたそのメッセージは、冷蔵庫に残された気づかいの便りよりも、よほど彼女の本心に近いお便りのように思われて、俺は人知れずクスリと笑った。
さみしい思いをさせてしまったな。
次こそは「バカ」っていわれないように埋め合わせ、ちゃんとしないと。