特急、箸、そよ風
目の前では、一人の女の子がお箸を上手に使うため、悪戦苦闘している。
娘は今年で8つになる。まだお箸は苦手な模様。持っている二本の箸がばってんになったり、とても食べにくそうにしている。
今わたしたちは、実家へ帰る特急列車の中にいる。
今年になって初めての実家だから、この線路の先で待っている彼女の祖父母は、待ちくたびれて首が伸びきってキリンのようになっているかもしれない。
「えい!!」
お弁当に入っているサトイモをつるつるととり損ねているその様子は、微笑ましい。
特急から窓の外を眺める。速く過ぎていくその景色は、少し苦手だ。
ゆっくりと過ぎていく景色。窓を開けると流れ込んでくるそよ風が感じられるような、そんな鈍行列車の方が昔から好きだったはずだった。
特急では窓なんて開けられない。開けてしまったら吹きこんでくるのは優しいそよ風なんかじゃなくて、ただの暴風だ。
気がついてみると、娘もこんなに大きくなった。今では忙しさに追われ、速さと効率だけを優先して生きている。まるで特急列車のよう。昔なりたくなかった、つまらない大人になっている。そんな気がしてしまう。
このまま時が過ぎれば、娘もすぐに大人になる時が来る。
今はうまく使えない箸だって、時期に上手に使えるようになってしまうだろう。
そして自然にわたしのもとを離れていってしまう。それは、少しさみしいことのように思われた。
「…どうしたのお父さん?」
お箸を使うことに疲れたのか、それともわたしのぼんやりした様子に疑問を持ったのか、彼女はそんなふうに尋ねてくる。
「いいや。なんでもないよ。マリ。ほら。お弁当が冷めちゃうから食べちゃいなさい」
「?…はーい」
彼女はなおも怪訝な顔をしながら、しかしわたしの言葉に従って食べる。
彼女はゆっくりと箸を動かして、ぎこちない手つきでお弁当を食べていく。
速く過ぎていくときは止められない。今という時の流れを遅くはできない。特急列車は特別に速いからこそ特急なのだから。だけど、彼女の成長を眺めながら、これからも続く彼女との特急での旅が、少しでも充実したものに、良いものになるように、わたしは過ごしていきたいとそう思う。