黄昏の村
大きな三つ巴の争いののち、洪水が起こった。
東の果ての神々の島は人の手の届かぬ場所まで流された。
人間はいよいよ増え、西からひっきりなしに押し寄せる。
神々の時代は終わりを迎えつつあり、多くの神々が東の島に旅立っていく。
豊かな森のへりにある、ここトチニの村も例外ではなかった。
村には小さな女神コノメが住み、村の人々と交流し、必要に応じて知恵を授けて生活を助け、お互い支え合って生きてきた。
しかし、そのような時代も終わりを告げることとなる。
「迎えの使者が間もなく訪れることになりました」
コノメは村の巫女トヨと村長イワネに静かに告げた。
「コノメさまは、私の父の父の父の父の、はるかに父の代よりこの村を守ってくださったお方。コノメさまなしで、どのように生きていけばよろしいでしょうか」
イワネは戸惑いを隠すことができない。
「しかし、この村の近くでも、西から来た人間どもが森を切り開き新たな村を作ることも増えてまいりました。そのような中、コノメさまをお引き止めするわけにも行きますまい」
トヨはすでに覚悟を決めていたようだ。トヨは続けた。
「我らの代でコノメさまとお別れするのは、とても悲しく情けないことじゃ。しかし、こればかりは流れる時のせい。我らの力ではなんともならん。ただ、せめて最後に村民一同、お別れの挨拶の時間をいただくことはなりませんか」
「もちろん、そのような場を設けることはありがたいこと。使者が到着するまであと数日はかかります。村の皆様が困らぬよう、その間私としてもできる限りのことをさせていただければと存じます」
コノメは言った。
「ありがたいお言葉。村の皆にどのように知らせるかまず決めねばなりません。その後、コノメさまと最後に話せる機会を設けるのも肝要じゃ」
トヨとイワネはお互い目を見合わせうなづき、「これらのことを決めたらまたお伺いいたします」と言って、コノメが住む小さな小屋を退出した。
コノメは1人になると縁側にでて、小さくため息をついた。
小さな丘にあるこの小屋からは、村全体を見渡すことができる。
夕暮れのなか、広場では子どもたちが追いかけっこをしたり相撲をしたりして遊んでいる。
神といえど、慣れ親しんだこの村の人々と別れることは悲しく寂しく、また東の島での新しい生活は不安でもあった。
コノメがこの村に流れ着いたのは、前の前の大戦争の末期、まだこの世が一つの大陸だった頃だった。
いくさを逃れて西の森からやってきたコノメを、村人は優しく敬い、居心地の良い小屋や食べ物を与えてくれた。
コノメはこの村の人々が暮らしに困らぬよう、火の技術やトチノミを食べる技術など、様々な知恵を授けた。
何百代と村人の暮らしを見守ってきたが、いつも人々は優しく穏やかで、心安らぐ時が続いた。
一方、他の神々との付き合いがそんなに得意ではないコノメであり、正直、今後の生活は少し気が重かった。
翌日、トヨとイワネがやってきて、改めて相談しにきた。
できるだけ早く、全ての村人を一堂に集めてコノメの旅立ちを発表すること、その直後にコノメも参加する宴を開き、最後に村人がコノメと話せるようにすることが決まった。
お別れの会の当日、コノメはいつになく早く目覚めた。
ほとんどの村人にとってはコノメの旅立ちは寝耳に水だろう。
中には泣くものもいるかもしれない。それくらい、コノメはこの村に馴染んでいた。
昼前、村長イワネが村人全員をコノメの小屋の前の広場に集めた。
「人間が西からどんどん入ってきて、我々の村の近くにも新しい村ができているのは皆も知っておろう。森の中もどんどん騒がしくなっておる。人が増え木々や生き物が追われると、神様はその力を徐々に失い、弱っていかれる。そこでコノメさまは、やむを得ず東の島に旅立たれることとなった。もうすぐ、迎えの使者が来るそうだ」
村長は、簡潔に用件を伝えた。
村人たちの間にざわめきが走った。
まだピンとこないもの、衝撃を受けているもの、今後の暮らしのことを考えて不安そうな顔を浮かべるものなど、様々だった。
「コノメさま、村の皆にご挨拶をお願いできますかな」
巫女のトヨが言った。
コノメは静かに話し始めた。
「私がこの村に辿り着き、何百代もの時がたちました。その間、みなさまには大変良くしていただきました」
「村長様がおっしゃった通り、人間はいよいよ栄え、西からたくさんの人々が越しております。少々、神にとっては暮らしづらい環境となってまいりました。今後も、人間が増え、神の住める場所が少なくなるのは間違いないでしょう」
「今、多くの神々が東の島に移り住んでおります。先の洪水で東の島は遠く海の果てに流され、神にとっても気軽に行ける土地ではなくなりました。私のところにも使いが参り、今回の出航が私が旅立てる最後の機会とのことでした」
「私としてもこの村を離れるのは辛い。しかし私の力が弱り、万一悪霊や化け物と化して皆様を襲うようなことがあると、もっと辛いです。そのため、私は旅立つことを決めました」
「この後、村長さまと巫女さまが私のために宴を開いてくださいます。もしお時間が許せば村人の皆様にもぜひご参加いただき、最後にご挨拶をさせてください」
「改めて、何百代の長きにわたり、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます」
ようやく事態がつかめたのだろう。何人かの子供達が泣きべそをかき始めた。
子供達にとって、コノメは新しい遊びを教えてくれ、喧嘩の仲裁をしてくれ、密かな悩みを相談できる、良きお姉さんだったのだ。
大人たちも何人か涙ぐんでいるようだ。
宴会が始まった。
村の特産物であるトチモチや果実、森で採れた鹿や猪を肴にしたささやかなものだが、この村では一番の贅沢である。
コノメの元には多くの村人が順々に集まった。感謝を伝えるもの、コノメが伝えた様々な技術について質問するもの、今後の世の中の行く末について不安そうに聞くもの、島での神々の暮らしについて興味津々に聞くもの、様々なものがいた。
そして昼は夜になり、さらに夜はふけていった。
いよいよ明け方が近くなり、空が白くなってきた。子どもたちは広場の隅ですっかり眠りこけている。大人たちの中にも、うとうとするものが増えてきた。
「話は尽きませんが、そろそろお開きにいたしましょう」
巫女トヨは言った。
最後にもう一度、コノメの挨拶が始まった。
「最後までご参加いただき、ありがとうございました。皆様全員と話せたので、私も心残りなく旅立てます。本当に楽しかったです」
「実はここ数日、私はこの鏡を準備しておりました」
コノメは一枚の丸く小さな鏡を取り出した。
一点の曇りもなく、朝日を映してきらめいている。
「今後何か困ったことがあれば、この鏡を通して祈ってください。この鏡には私の力を込めており、遠く離れた島にいても、私はあなた方の声を聞くことができます。困ったときは、必ずや、皆様のお力になれるようお助けいたします」
巫女トヨはうやうやしく鏡を受け取り、深くお辞儀をした。
コノメは続けた。
「本当なら、私も皆様とずっと暮らしたかった。しかし常に世の中はうつりかわり、そこに善も悪もありますまい。これから大きく世の中は変わって行きます。しかし、皆様であれば皆様自身の力で乗り越えられると信じております。皆様の息災と幸福を心からお祈りいたします」
最後に、コノメの目から涙が一つあふれて、地面が濡れた。
トヨもイワネも驚いた。神の涙を見るのは、初めてであった。
数日後、コノメは旅立った。
村人たちは、コノメが住んでいた小屋を神の住む祠として大事に管理し、人が住むことを固く禁じた。
祠の奥には鏡を置き、何か困ったことがあれば村人が祈れるようにした。
また、コノメが涙を溢したあとからは、この土地には珍しく、見事なクスノキが今でもすくすく育っているということだ。




