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怖い島シリーズ

【青ヶ島七人殺し異聞】浅之助とおつなの御霊信仰伝説

作者: 尾妻 和宥
掲載日:2026/04/12

 これは絶海の孤島、青ヶ島(あおがしま)での出来事である。

 青ヶ島は本州からはるか南方の太平洋上にあり、行政区分は東京都青ヶ島村(あおがしまむら)とされる。伊豆いず諸島しょとうの有人島としては最南端に位置し、湿度は年間平均85パーセントと諸島の中でもっとも高く、本州より温暖な気候のため、亜熱帯性の植物が繁茂することで知られている。


 とりわけ特徴的なのは、世界でもめずらしい二重式カルデラ火山島であり、昔から少ないながら島民が暮らしていた。人間の適応力とたくましさには驚かされる。




 時は江戸時代中期、1757(宝暦ほうれき7)年のことである。

 名主みょうしゅ(島の代表)の息子である浅之助あさのすけは、親ゆずりの頑固者だったのかもしれない。

 おつな(、、、)という同い年の娘と愛し合っていたのだが、彼女には許嫁いいなずけがいたのだから、道ならぬ恋と言えよう。

 したがって浅之助は父親から勘当され、おつなも身内から冷遇されていた。


 当時、産婦や月経中の女性は、集落から離れた隔離部屋で、煮炊きや機織はたおりをしなくてはならない決まりがあった。産の忌みは“ケガレ”と見なされた。そうした施設を他火たび小屋といい、島を取り巻く外輪山がいりんざん、中でも北西に位置する大凸部おおとんぶ近くに建てられていた。


 おつなは、生理のため小屋にこもるときでさえ、食料すら持たせてもらえなかった。

 浅之助は足繁く小屋へ通い、自身の弁当を与えてやった。

 といっても当時の青ヶ島は他に類を見ないほどの僻地。せいぜい麦飯かサツマイモとあわを混ぜたおにぎりに、トビウオの干物、里芋、ゼンマイやワラビ、アシタバなど山菜の煮物しかなかったが。


「ほら、おつな。一緒に飯でも食おう。今日はこれでも奮発したつもりなんだ」


「わあ。あんたが握ったの、このおにぎり? なんて不格好なの」


「見た目はよくないかもしれねえが、味は保証するぜ。里芋の煮っ転がしは、ばっちゃんの得意料理からもらってきた」


「……うん、どれもコクが効いてる。浅之助、いつもありがとう」


「どういたしまして。ほら、照れててないで、たっぷり食えよ」




 二人はそうやって愛を育んでいた。

 時に浅之助とおつなは夜遅くまで、声をひそめて島外の話をした。

 青ヶ島の隣は八丈島はちじょうじまである。二人は行ったことがなかった。青ヶ島ではしがらみ(、、、、)が多すぎる。


 もしも八丈島へ渡れたなら、畑を借り、粗末でもいいから小さな家を持てるだろうか?

 そしたら子どもを作り、浅之助は漁に出て汗を流したいと言った。おつなは機織りで家計を助けると誓った。

 そんなささやかな夢を語るときだけ、おつなの眼には明るさが宿るのだった。


 だからこそ彼女は、浅之助のために機を織ろうと思ったのである。

 いつか青ヶ島を出る日が来たなら、自分の織った着物をこの恋人に着せてやりたい――その願いを、一本一本、糸にり込むような思いで。


◆◆◆◆◆


 来たる同年、正月15日のことである。悲劇はささいな行き違いから起ころうとは――。

 浅之助は機織り作業をしている彼女に向かって、


「今、なにを織ってるんだ?」


 と、浅之助が訊くと、おつなは織りかけの布から顔を上げた。得意げに笑う。


「決まってるじゃない。あんたの着るもんだよ」


 浅之助は、機の上に渡された糸に眼をやった。

 粗末な糸である。けれど、それが自分のために指先で整えられていると思うと、愛おしくならぬわけがない。

 本当は、まんざらでもなかった。許嫁がいながら隠れて会いに来ている手前、多少なりとも遠慮もあった。


 同時に島のおきてとはいえ、こんな狭い小屋に押し込められ、ろくに食べ物も与えられぬ女に自分のために衣服を織らせていることが、たまらなくやるせなかった。


「おれのもんなんか、いいって」


「え?」


「どうせなら、自分のを織れよ。夜は冷えるんだろ」


 おつなの手が止まった。

 ほんの今まで胸の中で温めていた気持ちに、冷水を浴びせられたかのようだった。


「どういうこと」


「どうって……。そのまんまだ」


「もしかして、私のすることが、迷惑なの?」


「そうじゃねえったら」


「なんでそんな冷たい言い方するのよ」


 おつなの声は、いつになく細かった。

 月経のせいで、働くのもしんどかったのだ。毎日、身内からも疎まれ続け、砂利の浜の小石が、ふとした拍子に転げ落ちるように壊れそうになっていた。


「おれはただ――」


 浅之助は、おつなのためによかれと思って言ったつもりだった。

 次の言葉が思い浮かばず、下を向いてしまった。

 おまえにつらい思いをさせたくねえ、と言えば済むことを、浅之助は照れと不器用さで飲み込んでしまった。

 二人の間に、しばらく痛々しい沈黙が落ち、それが決定的な溝となった。


「もういい」


 おつなは、そう言って機に向き直った。

 そのあとの彼女の記憶はおぼろげだった。


 浅之助が帰ったあと、他火小屋の外では、風がびゅうびゅう吹いていた。いつもなら、いくら風が吹こうと外輪山が内側のカルデラを守ってくれる。だがその夜ばかりは、二人の行く末を暗示するように、風の音がひどく不吉に聞こえた。


 まさかその夜、おつなが首を括って自ら死ぬとは誰が予想しようか。

 人は純粋ゆえに若い命を散らしてしまうのだ……。


◆◆◆◆◆


 翌日のことだった。


「うおおおおおおおおおっ! そんな……、おつなっ!」


 訃報を耳にした浅之助は拳を握りしめ、腹の底から魂が抜け出さんばかりに声を荒らげた。

 とはいえ、おつなが死を選んだ理由が、まさか自分の何気ない一言にあったとは思いもよるまい。


 浅之助はとっさに思った。

 ふだんから自分たちの仲を引き裂こうと、島民たちに辛く当たられたのだ。

 きっと誰かが面と向かっておつなをなじり、死に追いやったにちがいない。

 若さゆえの、そして純粋すぎるがゆえの浅之助の早合点だった。

 怒りに我を忘れ、ついにまき割り斧を手にするのである。


「よくもおつなを……。おまえらが殺したも同然だ! 復讐せずにいられっかっ!」


「げえっ……。浅之助が乱心した!」


 集落は島の北側――カルデラの外のなだらかな斜面に広がっていた。

 浅之助は肩を怒らせ、貧相な家屋が建ち並ぶ通りを歩くと、誰もが背を向けて逃げ出した。それほど浅之助の全身から殺意がみなぎっていた。


「逃がすか!」


 斧をふりかぶり、近くにいた中年男の脳天に叩き込んだ。

 渾身の一撃で、斧刃はだんご鼻まで食い込んだ。

 頭から間欠泉かんけつせんのような鮮血がほとばしった。

 男は脳を割られたにもかかわらず、寄り目にして刃先を見つめていた。


「あぐをっ!」


 第一の被害者は膝をついた。

 顔じゅう滂沱ぼうだと血を滴らせ、ついには白眼を剥く。

 浅之助は足の裏を男の胸に押し付け、力まかせに斧を引き抜いた。

 男は丸太のように横倒しになる。


 次なる標的を捜す。

 仕事の途中だった島民は、それぞれの持ち場を放り出し、我先に逃げた。

 怒りに我を忘れた浅之助は、もう誰にも止められない。


「いでええええよぉおおおおおおっ!」


「げぐご……」


「ぎぇええええええええええん!」


 逆上した浅之助は、二人の恋仲を非難した島民を次々と襲撃。野蛮な得物えもので七人を殴り殺し、四人に重軽傷を負わせた。


 その惨状たるや、目を覆いたくなるような有様である。

 頭を唐竹割りされた島民をはじめ、めった打ちに刻まれた男や、一撃のもと首筋を裂かれて失血死した者まで倒れ、集落は大量の血と肉片、脳みそのかけら、臓物が散乱する地獄絵図と化した。


 浅之助は血まみれの斧を手にしたまま父、七太夫しちだゆうを躍起になって捜した。

 あの名主こそが、おつなとの永遠の別れを手引きしたに決まっているのだ。

 かくなる上は、生みの親であろうと容赦しないと思った。浅之助は生まれつきそんな激しさを持ち、ここぞとばかりに感情を爆発させたのだった。


 ところがいくら捜せど、父の姿はない。この騒ぎに恐れをなして行方をくらませたか。

 そのうち竹槍で武装した島民たちに行く手を阻まれた。


「浅之助! こんな狼藉ろうぜき働いておいて、許さいでか!」


「やかましい! 元はといえば、そっちこそじゃねえか!」


 竹槍をかまえた男は六人。

 多勢に無勢だ。斧一つでは勝ち目はない。

 浅之助はきびすを返すと、笹藪ささやぶを突っ切って逃げた。

 悪路もなんのその、持ち前の俊足で差を広げる。


「追え! なにがなんでも浅之助を捕まえろ!」


「誰が……。あんな狂った奴、押さえられっかよ!」


「なら殺せ! 島の恥さらしが! 生かすわけにはいかねえ!」


 島民が徒党を組み、逆襲に転じる。

 親族を家畜のように殺され、このままおめおめと引き下がるわけにはいかなかった。青ヶ島史上、後にも先にもない虐殺の日だった。


 ほどなく走ると、浅之助は島の最北端にある神子みこうらへ出た。

 八丈島の方に眼をやった。

 空と海は嘘のように青い。よもやお天道さまは、その下でこんな惨劇がくり広げられているとは夢にも思うまい。


 海上はずっと向こうまで澄み切っていた。

 はるか彼方に、小さな灰色の島影を見つけた。

 せめてあそこまで泳いでいけば……。だけども八丈島までは18里(約70キロ)も離れたうえ、潮流が激しすぎる。複雑な黒潮は、罪人の逃亡を許さないだろう。


 足元は断崖絶壁だった。真下の青くうねる海までは優に3町(約327メートル)はある。わずかに砂利の浜が岸伝いに続いている。

 そして当時、島唯一の港があった。はしけはこの浜に接岸し、人々を上陸させたのだ。


 下まで続く急なつづら折りの道を下った。

 右手の斧を見た。刃はべったり血でまみれ、髪の束まで絡みついている。

 斧の柄を強くつかんでいた。反対の手で引き剥がさなければならなかった。汚いもののように捨てた。


 追手から逃げているうちに、浅之助はしだいに落ち着きを取り戻していった。

 自分は取り返しのつかないことをしでかしてしまった……。ましてや愛するおつなを失った今、後戻りすらできない。

 まるで悪夢にうなされているかのようだった。夢ならめてくれと願った。




 やっとの思いで下にたどり着いた。

 岩壁で高波が砕け、白い飛沫を放射状に散らしている。恐るべき雷鳴のごとき波音が轟く。

 昔からそうだ。青ヶ島は外輪山の中に入れば強い風音だけがこだまし、外に出れば海鳴りしか聞こえない。

 崖の上に眼をやった。

 竹槍を手にした男たちが、息を弾ませながらあとを追ってくる。


 浜伝いに逃げようにも、いずれ行き止まりにぶつかるだろう。早晩、奴らに捕まる。

 もう一度、浅之助は八丈島の影を見た。見ずにはいられなかった。

 どうせならもっと早く、おつなと手を取り合って逃れるべきだったのだ。青ヶ島は二人にとって世界が狭すぎた。あそこなら……と苦々しげに希望の楽土を睨んだ。

 

 ――いつか浅之助と二人で、あそこに行ってみたいね。


 ――ああ。


 ――八丈島に渡れたら、なにもかも忘れて、あんたと一から出直したい。


 ――きっと、うまくいくさ。


 浅之助は海に入った。到底渡れるわけがないと知りつつ。

 さもなくば入水して命を絶つしかない。そうすればおつなの元に行ける。おつながいない今、いっそそうするより他にないと思った。


 ところが元々泳ぎを得意としただけに死にきれない。海中にもぐっても、息苦しさから思わず海面に顔を出してしまうのだ。

 観念するしかなかった。


 岸まで泳いで戻った。

 戻ったところを島民たちに引き上げられた。

 これからお上の裁きを受けねばなるまい。浅之助は自罰的に唇をゆがめた。




 その後、浅之助は七太夫に命じられ、はりつけにされた。

 七太夫は名主としての責任を感じずにはいらなかった。もっと早く二人を引き離し、事を丸く収めるべきだったとしきりに嘆いていた。

 そこで島民全員に、この罪人を一槍ずつ突かせて処刑することにした……。

 結局、血を流した以上、血であがなうしかないのだ。それが島での責任の取り方だった。


 槍で突かれるたび、浅之助は磔にされたまま悶絶した。

 島民はためらいがちに、相手の下腹を突くことしかできず、浅之助はなかなか死ねなかった。

 それでも親兄弟を殺された者たちは、憎しみをもって突き刺した。


「いっそ、ひと思いにやれったら……。さっさと殺しやがれ!」


 浅之助は、磔柱はりつけばしらに固定されたまま身をよじった。


「ならば、わしが引導を渡してやる。せめてあの世でおつなと一緒になれ」


 最後に、槍を手にしたのは七太夫だった。

 いくら島のルールに違反したとはいえ、実の息子。憎くとも自ら手にかけるのは断腸の思いだったにちがいない。それを顔に出さないのは、さすが共同体の責任者だけのことはある。


 絶海の孤島、青ヶ島は、ただでさえ海が荒れると物資は届かず、飲み水すら神頼みするより他なかった。

 だからこそ身勝手な一個人の行動は、共同体全体の死に直結しかねない。規範を守らなかった者には厳しい制裁が待っていた。


 非情の顔つきで槍の穂先を息子の腹にねじ込む。脇腹から肩にかけて串刺しにし、えぐった。

 浅之助は父親をひと睨みすると、あごを反らし、眼を見開いたまま絶命した。

 哀れにも、この罪人の遺体は雑木林にぞんざいに埋められた。墓石すら建てられなかった。


◆◆◆◆◆


 それから28年の歳月が流れ、1785(天明5)年、3月10日のことである。

 青ヶ島は世界的に見ても希少な二重式カルデラ構造の火山の島だ。外輪山を大きな器にたとえるなら、中にプリンが置かれているような独特な形状をしている。


 外輪山に囲まれた小カルデラ(いけさわ火口)があり、その中に丸山まるやま火砕丘かさいきゅうがある。

 まさにその火口丘から、かつてないほどの大規模な噴火が起きた。


 日中でも黒煙のせいで真っ暗な状態が8日間続き、島民を震え上がらせた。

 一方、八丈島からも、未曽有みぞうの火柱が立ちのぼるのを目の当たりにしていた。

 これはただごとではないと、さっそく通用船つうようせんを派遣させた。


 しかしながら青ヶ島に近づくにつれ黒煙でさえぎられ、震動も重なって船を寄せることすらできない。

 引き返さざるを得なかった。ただでさえ切り立った海食崖かいしょくがいで囲まれ、接岸は不可能である。波に押され、岩壁に接触すればたちまち破船しかねないのだ。




 今度は青ヶ島から出向いた。

 七太夫は小型のはしけに乗って八丈島へ渡った。小型だから、乗員は8人しか乗れない。

 八丈島に着いた七太夫は、役所に被害状況を記した注進書を提出。3月29日付けの記録がこうだ――。


「3月10日の午前10時ごろ、池之沢から俄かに山焼やまやけが起こった。

 白煙はやがて黒煙に変わって、おびただしく立ちのぼり、島中を真っ暗に覆った。


 その間に火石が飛び、泥土まで降った。大音響とともに大地が震え、黒煙の中から折々火柱が上がった。

 夜中にかけて泥の代わりに砂土が降りはじめ、翌朝にはそれも止み鳴動も鎮まったかに見えた。


 しかし昨日と同時刻からまたしても火石が飛びはじめ、18日ごろから猛烈になり、29日に島を出るまでずっと続いた。


 幸い人家に火石は届かなかったものの、一番困ったのは飲み水だった。一昨年まで噴火はすぐおさまったものだが、今度ばかりは20日近くも継続した。日増しに火口は高くなり、いずれ火石が里中まで吹きかけてくるのは必定で、そうなれば逃れる道がない」 




 八丈島はこの報せを受け、救援に向かおうとする。

 ところが折り悪く荒天にあい、10日あまり船を出せず、手をこまねくばかりだった。

 なんとか4月10日に、樫立村かしたてむら名主の市郎右衛門いちろうえもんら一行が、船に救援物資を積んで出帆した。

 夜半、青ヶ島に近づくと、山焼けの炎で空も島全体さえも、まるで真昼のように赤々と映ったという。


 翌11日朝、西浦にしうらに船を着け、物資を下ろした。

 島を検分しようにも風が強く、あきらめ、八丈島へ帰島することにした。

 このとき、島民45人を避難させている。


 4月27日、八丈島から3艘の助け舟(、、、)が出され、青ヶ島に残っていた島民が救助されるようになったが、時すでに遅すぎた。

 結局334人のうち、八丈島に避難できたのは202人。132人が噴火により命を落とすという大惨事となった。これが『天明の別れ』と呼ばれる所以ゆえんである。

 

 その間、火砕丘から溶岩が流出し、池の沢の地形を大きく変えていった。以前は大小二つの池があったが、この大噴火でいずれも消失している。島はほぼ焦土と化した。




 1787(天明7)年、翌1788(天明8)年に、島の様子を見るため、八丈島から青ヶ島へ人が渡っている。とすれば噴火は1787年までには終息していたと思われる。


 以後40年もの間、青ヶ島は無人の期間が続いた。

 八丈島に逃れたにもかかわらず、彼らには苦難が待っていた。

 折しもこのころ、本州も全国的な大凶作に喘いでいた。天明てんめい飢饉ききんである。


 奇しくも信州において浅間山あさまやままでが噴火し、火山灰が日光をさえぎり冷害となったのである。

 八丈島でさえ、食糧難とは無縁ではなかった。青ヶ島の難民はせっかく避難できたと思ったのに、肩身の狭い思いを強いられたという。当時の文書には、「ただ厄介になるばかりで、何とも心苦しい」と、切実な思いが記録されている。

 

 佐々木(ささき)次郎じろう太夫だゆうという新たな名主(皮肉にも大噴火のあった1785年秋に、七太夫は代表を退いている)の尽力により、1824(文政7)年には全員帰島を果たしている。


 現在でも八丈島との定期船には、『還住丸かんじゅうまる』という船名が付けられている。

 『還住』という言葉には、噴火で島を追われた住民が帰島の念を忘れず、半世紀を経て悲願を実現させた不屈の精神が込められているという。この言葉は民俗学者、柳田国男が昭和8年に月刊誌『しま』に掲載した『青ヶ島還住記』に由来しているもので、青ヶ島にとって不可欠な言葉になっている。


◆◆◆◆◆


 その後、『天明の別れ』を生じさせたのは憤死した浅之助の祟りではないかと、青ヶ島の人々によって噂されるようになった。

 いくら浅之助が恨みを飲んで処刑されたとはいえ、28年もの年月が流れているのである。単なる偶然による後付け、大自然のサイクルを怨霊の仕業と結び付けるのもいかがなものか……。

 

 還住を果たし、しばらくの後のことである。

 天保年間(1831年~1845年)に島民たちは、浅之助の霊を鎮めるべきだと提案し合った。

 青ヶ島の外輪山の尾根近く、島でもっとも高い位置に、東台所とうだいしょ神社を建立こんりゅうし、新神しんがみとして神格化したのだ。いわゆる御霊ごりょう信仰である。


 御霊信仰とは日本独自の発想である。

 最たる特徴は、『祟る存在』を『守護神』へと転換させる考え方にある。

 かつての民俗社会では、非業の死を遂げたり、政争に敗れ無念のうちに亡くなった者の魂は、疫病や天災(地震や雷など)を引き起こすと信じられた。

 そこで災いを防ぐためにその霊魂を慰め、やしろを建てて、ねんごろに祀る必要がある。


 むしろ怒りが鎮まった魂は一転して、その土地や人々を守る強力な『御霊』という神に変じるのではないか。

 代表的な例は菅原すがわらの道真みちざねをはじめとし、崇徳すとく天皇てんのうたいらの将門まさかどもこの信仰の枠組みの中で祀られていることで知られている。




 はたしてそれで、浅之助の魂は救われたのか?

 青ヶ島の人々は、浅之助だけを祀ることはしなかった。

 じつは東台所神社には、『乙名おつな様』も祭神として並び祀られているのだ。


 恋人たちは生きている間、島の掟に傷つき、悲劇の中で引き裂かれた。

 それでも死後、同じ屋根の下に迎えられたのである。

 織り上がるはずだった一反の布のように、やっと浅之助たちの運命は一つに撚り合わされたのかもしれない。


 浅之助もおつなも哀れな若者であると同時に、青ヶ島の願いそのものを背負った御霊でもあったのだろう。

 今日では二柱は縁結びの神として、島民のみならず観光客にも親しまれているという。

 せめて今は、社の静けさのもと、誰にはばかることなく寄り添っていると信じたい。





        了




※参考文献


『原色 日本島図鑑』加藤庸二 新星出版社

『ぶらりニッポンの島旅』菅洋志 講談社文庫

『絶海の孤島』カベルナリア吉田 イカロス出版

『封印された日本の離島』歴史ミステリー研究会編 彩図社

『週刊日本の島 NO.1 青ヶ島』DeAGOSTINI

★★★あとがき★★★


 青ヶ島の語り部によっては諸説が異なる。

 本作のように、おつなが自殺したから浅之助が乱心して島民を襲撃したのではなく、恋を咎められたので浅之助が逆上し殺害、その後におつなが自殺したとの説、あるいは浅之助は入水し命を絶った、生き埋めにされたうえ、竹槍で刺殺されたとの異説もある。


 本作における二人の出来事は、作者がほしいままに想像し脚色したことを付け加えておく。

 ちなみに、ケガレ観にもとづく他火たび小屋は、青ヶ島では昭和30年代まで残っていたという。

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― 新着の感想 ―
まさに歴史MYSTERYですね。 しっかりと硬派に描かれている姿勢に尾妻さんの誠実さを感じました(#^.^#)
さすが尾妻様! ゾクッとくる、凄まじい面白さでした!!
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