(5)転生少女は、公爵家の養女になる(お姉ちゃん付き)
翌朝。
少し早めに起きた私は、鞄の中から一番良い服を引っ張り出し、身支度を整える。
――一番良いと言っても、たかが知れているのだけれど。
準備を終えたところで、再びノックの音がした。
扉を開けると、昨日案内してくれた女性が立っている。
「おはようございます、クロエ様。朝食をお持ちしました」
そう言って、ワゴンを押してくる。
テーブルに置かれた皿を見て、私は思わず固まった。
……オムライス?
え、オムライス!?
ってことは――お米がある!?
驚いていると、女性が説明してくれる。
「三年ほど前に、とある方が考案してくださったお料理です。とても美味なので、ぜひご賞味ください」
三年前……。
未来の自分が考案したんじゃないでしょうね?
まあいいか。
どう見ても美味しそうだし。
「いただきます」
一口食べると、ふわとろの卵が口の中でとろけて広がった。
中のチキンライスは、ケチャップの酸味と鶏肉の旨みが絶妙なバランスで調和している。
……うまい!
久々に食べるご飯も、最高だ。
田舎ではパンやパスタが主流だったし、それに不満を感じたことはなかったけれど――日本出身の魂的には、かなり嬉しい。
久しぶりの米飯の味を噛み締めながら、あっという間に完食した。
食後に紅茶を飲み、一息ついていると、再び扉を叩く音がする。
返事をすると、今度はメイド服の女性が入ってきた。
きりっとした目元で、若いながらも有能そうな雰囲気を漂わせている。
「おはようございます。クロエ様をお迎えするよう仰せつかっております」
彼女に連れられ、部屋を出て廊下を進む。
やがてエントランスホールに辿り着くと、一台の馬車が停まっていた。
金色の紋章があしらわれた、ひと目で分かる豪奢な造りだ。
「こちらになります。どうぞお乗りください」
「は、はい……わかりました」
少し緊張しつつ馬車に乗り込むと、中は思っていた以上に広かった。座席にはクッションが敷かれており、座り心地もなかなかいい。前方にはガラス窓が設けられていて、外の景色を眺められるようになっている。
「では、参りましょう」
御者が手綱を握り、馬車がゆっくりと走り出した。蹄鉄の響きとともに伝わる振動を感じながら、道なりに進んでいく。しばらくすると、大きな屋敷が見えてきた。あれが目的地なのだろうかと思っているうちに、入口へと差し掛かり、馬車は停車した。
馬車から降りると、目の前には立派な門があり、その向こうには美しい庭園が広がっていた。花壇には色とりどりの花々が咲き誇り、噴水からは清らかな水が流れ出ている。左右には柱が整然と並び、中央には銅像が置かれているようだ。
「ここは?」
「エルヴェール公爵家の別邸でございます」
メイド服の女性は恭しく答えると、そのまま歩き出した。
エルヴェール公爵……この世界の貴族の序列は、公爵、伯爵、男爵だったはず。つまり、公爵は爵位として最上位にあたる。
女性の後をついていき、階段を上って二階へ。長い廊下の途中にはいくつもの扉があったが、すべて素通りしていく。やがて最奥の扉の前で立ち止まり、彼女は振り返った。
「こちらでお待ちください」
部屋の中はシンプルな造りで、家具も最低限に抑えられており、落ち着いた雰囲気が漂っている。壁際にはソファーが置かれ、床には絨毯が敷かれていた。天井にはシャンデリアが下がり、柔らかな光を放っている。
「どうぞ、お掛けになってお待ちください」
「ありがとうございます」
促されるまま腰を下ろす。ふかふかのソファーからは、質の高さがはっきりと伝わってきた。
しばらく寛いでいると、ドアが開き、誰かが入ってくる気配がした。反射的に立ち上がり、相手を確認すると――。
「クロエ様!! 本当にクロエ様だ!! でも小っちゃくなって可愛い!!」
「は、はいっ??」
勢いよく飛び込んできたのは、青いドレスをまとった美少女だった。年齢は十五歳ほどだろうか。肩までのブロンドヘアがふわりと揺れ、ぱっちりとした二重瞼に澄んだ碧眼が宝石のように輝いている。通った鼻筋に淡いピンク色の唇。整った顔立ちは、まさに「美人」という言葉がぴったりだった。
スタイルも抜群で、出るところはしっかり出ており、細いウエストが目を引く。透き通るように白い肌は、思わず見とれてしまうほどだ。
彼女はそのまま、突撃するように私に抱きついてきた。
「ぐほぉっ!!?」
凄まじい破壊力だった。抵抗する間もなく、抱擁を受け止めるしかない。
「こらこら、フィオナ。クロエ嬢が怪我をしてしまうじゃないか」
低く落ち着いた男性の声が響いた。声の主は、長身の壮年男性だった。銀縁の眼鏡をかけ、白髪混じりの整った髪型をした、いかにもダンディな紳士である。彼は私に視線を向けると、穏やかに微笑んだ。
「お父様!」
フィオナは名残惜しそうに私を解放し、くるりと振り返る。
「だって、クロエ様が可愛すぎるんですもの!」
「フィオナ……」
男性は眼鏡を押し上げ、呆れたようにため息をついた。
「王子殿下の客人だぞ。きちんと敬意をもって接しなさい」
「ごめんなさい、お父様。つい興奮しちゃって」
彼女はぺろりと舌を出すが、すぐに姿勢を正し、私に向き直ると淑女さながらの所作でカーテシーを行った。
「クロエ様、失礼いたしました。エルヴェール公爵家令嬢、フィオナ・エルヴェールと申します」
「い、いえ……そんな……」
淑女“さながら”どころか、正真正銘の淑女だった。
私はまだ混乱していて、うまく言葉が出てこない。公爵家の令嬢と、初対面で抱き合うことになるなんて思ってもみなかった。
「えっと……クロエです。お世話になります」
続いて、男性が一歩前に出る。
「はじめまして、クロエ嬢」
穏やかな口調だが、その声には確かな威厳があった。
「私はアルフレッド・エルヴェール。ガリア王国の宰相を務めております。以後、お見知りおきを」
アルフレッド・エルヴェール……。
彼がエルヴェール公爵で、しかも宰相?
「フィオナが粗相をして申し訳ない。普段は淑女として躾けているのだが……」
困ったように額に手を当てる公爵。フィオナは頬をぷくっと膨らませた。
「お父様ったら! クロエ様は特別なんですもの」
「特別?」
首を傾げると、フィオナは嬉しそうに身を乗り出す。
「クロエ様は、私にとっても先生なのです!」
「先生? 私が?」
目を輝かせるフィオナを前に、困惑していると、アルフレッド公爵が補足する。
「三年前、我が娘に魔法を教えてくださった“未来の貴女”のことですよ。フィオナは、その恩を深く感じているのです」
「ああ……なるほど」
そうか。未来の私は、王子だけでなく公爵令嬢まで指導していたのか。
王族に公爵家……いったいどんな魔法教師だったんだろう。
「今回、クロエ様は、私たちの家族になるのですものね!!」
「……え?」
フィオナの突拍子もない一言に、私は完全に思考停止した。
家族? どういうこと?
「詳しく説明しましょう」
アルフレッド公爵が軽く咳払いをし、話を引き取った。
「貴女をご招待したのは、我がエルヴェール家の養女となっていただくためです。魔法学院への入学には、最低限の貴族身分が必要なものでしてな」
どうやら、平民がガリア王立高等魔法学院へ入学するには、貴族籍が必須らしい。こうした例は珍しくなく、能力を認められた平民は、有力貴族の養子となって学院に入学するのが慣例なのだという。
ただし、その場合は伯爵家や男爵家が一般的で、公爵家が養女として迎えるのはかなり異例らしい。
……目立たないようにって言わなかったっけ。
「貴女の入学は、ライゼル殿下の推薦で進められておりまして。他の貴族では家格が釣り合わないということで、我が家が引き受けることになりました」
王族の推薦には、それに見合う家格が必要になるらしい。
なるほどね……そんなもんなのか。
「私にしても、貴女――いえ、未来の貴女には大きな借りがありましてな。ぜひとも、その恩を返したいと思っていたところなのです」
アルフレッド公爵は、どこか柔らかな表情でそう言った。
国の宰相に“借り”を作るって、未来の私は一体何をやらかしたんだろう……。聞きたいような、聞きたくないような。まあ、今は考えないでおこう。
「えっと……それって、断ることは……」
「できますが、学院への入学は難しくなるでしょうな」
冷静に言い切られて、思わず苦笑いする。
そりゃそうだ。禁書を読むためには学院への入学が必須条件らしい。つまりこれは、私の我儘――いや、未来の私の我儘、か。
そう考えると、何とも言えないモヤモヤ感はあるけれど。
「……わかりました。よろしくお願いします」
私は深く頭を下げた。
その瞬間、フィオナの顔がぱっと輝く。
「やったー! じゃあ、これから姉妹ですね! ぜひ私のことを『お姉ちゃん』と呼んでください!」
「えぇっ!? お姉ちゃんですか!?」
予想外すぎる提案に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
アルフレッド公爵が眉をひそめ、小さく咳払いをしてフィオナをたしなめる。
「フィオナ……クロエ嬢は、お前の先生だった方なのだぞ」
「でもお父様! 今のクロエ様は、私より年下なんですもの。お姉ちゃんって呼ぶほうが自然だと思いませんか?」
フィオナは口を尖らせつつ、きらきらした瞳で私を見つめてくる。
確かに、未来の私は彼女の先生だったらしい。でも今の私は、ほぼ別人みたいなものだ。しかも公爵令嬢を「お姉ちゃん」呼びなんて……さすがに畏れ多すぎる。
「フィオナ様……それはちょっと……。私は今日からお世話になる身ですし……」
「もー! だからフィオナって呼んでくださいってば! それに『様』なんて要りません!」
そう言って、彼女は私の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張る。
あまりの勢いに、思わず苦笑いが漏れた。
「フィオナ。クロエ嬢も突然のことで戸惑っているのだ。もう少し時間を与えてあげなさい」
アルフレッド公爵が助け船を出してくれた。
フィオナは不満そうに唇を噛んだものの、父の言葉には逆らえないらしく、しぶしぶ手を離す。その瞬間、私は内心で大きく安堵した。
「すみません、クロエ嬢。フィオナは少々、強引なところがありましてな……」
「いえいえ! こちらこそ、よくしていただいてありがとうございます」
公爵は優しく微笑み、続けた。
「実は三年前まで、フィオナの魔法は思うように発動せず、王宮の賢者たちも匙を投げるほどでした。しかし、貴女が現れ、独自の理論で指導してくださったおかげで……」
そこで一度言葉を切り、公爵は遠い目をする。
「フィオナは雷属性という、稀有な才能を開花させることができたのです。その結果、無事に王立高等魔法学院へ通うことが叶いました」
フィオナが誇らしげに胸を張る。
へぇ……雷属性なんてあるんだ。私は火・水・風・土の四属性しか知らなかった。今度、ぜひ見せてもらおう。
「今日は部屋を用意しています。まずはゆっくり休んでください。学院への入学試験までは、まだ期間がありますから。それまでは、フィオナと共に過ごしていただきましょう」
「え? 入学試験があるんですか?」
「はい。クロエ嬢は推薦ですので、結果に関わらず合格となりますが、形式上、試験は受けていただく必要がありまして」
「そういうことでしたか。わかりました」
「それまでは、こちらで試験勉強をしていただきましょう」
「べ、勉強ですか!?」
思わず声が裏返る。
「クロエ嬢は、一般常識や歴史、地理が少々苦手だと聞いております」
「ま、まぁ……多少は……苦手かもしれませんけど……誰から聞いたんですか?」
「未来の貴女からですよ」
そう言って、公爵は一通の手紙を取り出した。
「彼女が旅立つ前に、何通かの手紙を残していったそうです。これは私宛のものですが……他にも、貴族のマナーやダンスを教えてほしいと書かれていましてな」
「マナー? ダンス?」
貴族の子女が嗜むものなんて、当然ながらまったく経験がない。
前世でも今世でも、舞踏会どころか、正式な食事作法すら怪しいレベルだ。田舎の孤児院育ちとしては、ナイフとフォークの正しい使い方すら自信がない。
「手紙には『機会があれば』とありましたが……おそらく、こうなることは分かっていたのでしょうな」
「お、おぅ……」
用意周到すぎない? 未来の私。
いや、未来の私なんだから、分かってて当然なのか……?
「大丈夫です!! 私が全部教えてあげます!」
フィオナがすかさず手を挙げ、元気よく宣言した。
「たしかに、フィオナの得意な科目が多いが……」
「任せて! お姉ちゃんとして、張り切って教えちゃいますから!」
「そ、そうですか……よろしくお願いします……フィオナ様」
おずおずと「様」を付けて言うと、フィオナがぷくっと頬を膨らませた。
「もー! また『様』って! フィオナでいいんですよー!」
口を尖らせて抗議するその仕草が可愛くて、思わず吹き出してしまう。
「ふふっ。じゃあ……よろしくお願いしますね、フィオナお姉ちゃん」
「っ! はいっ!」
フィオナは一瞬ぴたりと固まり、次の瞬間、満面の笑みで力強く返事をしたかと思うと、そのまま私に抱きついて頬ずりしてきた。
子犬みたいな愛らしい反応だけど、傍から見れば――大型犬にじゃれつかれている子供、という構図だろう。
「……あまり、クロエ嬢を困らせるんじゃないぞ」
「わかってますよ~。お父様ったら心配性なんだから~」
そう言いながらも、フィオナは私の腕を掴んだまま離そうとしない。
……まあ、いいか。
この調子で甘えさせてもらうことにしよう。
なにせ、私のお姉ちゃんらしいからね!




