異世界転移しました、何をすればいいですか?
目を覚ますと、そこは異世界だった
トンネルを抜けると、そこは雪国だった。これは細雪の有名な冒頭の一文だけど、現状を表すならそんな感じだ。
細雪の主人公がトンネルを抜けた先が雪国だと思ったのは、雪が降っていたからで。僕がここを異世界だと思ったのは、ヨーロッパ風の建物が立ち並んでいたからだ。
じゃぁヨーロッパなんじゃないか?と、考えることもできるけど、僕は帰宅途中だったはずだ。眠った記憶はない。だが、気がつくとここにいた。
じゃあ異世界なんじゃないか?
そういった思考に至るほど、僕は異世界系の物語を、好んで読んでいた。
とにかく僕はキョロキョロとあたりを見回した。旅行に来たみたいだ。旅行なんてしたことないけど、学校で修学旅行なら経験ある。僕には仲の良い友達がいないから、修学旅行も楽しめなかったけど。
そして家にはお金がない。お金を稼げる仕事に就けなくて、お金が貯められないから生活するだけで手一杯。旅行にまわすお金が無いんだ。
旅に出る動画はよく見るよ。列車に乗って知らない街を歩く。まるで僕自身が旅行に行ったみたい。そんな気分になれる動画をよく見る。僕は旅行動画を思い出しながら街を歩いた。とても楽しい。こうして自分の足で知らない風景を見て回れるなんて。
僕は毎日、職場と家の往復しかしてないからね。職場っていっても、ずっと同じところに勤められてるわけじゃない。何度も辞めている。僕は挨拶と会話が苦手だから、人間関係がうまくいかない。喋るのが下手な僕はヒエラルキーの下に配置される。そして、必ず誰かに冷たくされる。仕事場に居るのが辛くなって辞めて…、しばらく何も手につかなくて、無職…、何もしていない期間もあった、いっぱい。
まぁ、そんな事はいいか。
ともかく、僕は異世界を...、いや、まだ異世界と確定できてない。中世ヨーロッパ風の街並みを見てまわった。
道ゆく人たちの服装もどうもおかしい。腰に剣を刺していたり、ねじれた木の棒を持っていたりしている。これは冒険者なんじゃないか?彼らは冒険者なんじゃないか?
って事は、ここは異世界では?
ワクワクすると同時にドキドキしてきた。
大丈夫なのか僕は、何をしたらいいんだ?
生まれた世界では、僕にはかろうじて居場所があった。それもかろうじてだ。家族とは会話が少ないし、会社では、あいさつすらまともにしてないし。生まれ育った場所でもそんな状態なのに。そんな僕がここで何をすれば、どうすれば居場所が作れるだろう。
動悸がしてきた。
道の端に寄ってうずくまる。道行く人たちを眺める。
彼らは日々の生活に勤しんでいる。会話を楽しみながらゆったりと歩いていく人も。1人でせかせかとかけていく人もいる。石造りの建物は華やかで。透けるような青い空に所々に白い雲。快晴だ。大きな通りには、いくつかの露店が軒を連ねていて、店員と客の賑やかなやりとりが聞こえる。平和な光景。
誰か話しかけてくれないだろうか。
情けなくもそんなことを考えてしまう。
「よう、お兄ちゃん、どうした。」
僕の不安を見透かしたかのように男が話しかけてきた。僕は、声のする方向に顔を向けた。金髪でヘラヘラした笑顔を浮かべた。足取りの軽い男だ。
「いい天気だな兄ちゃん」
軽い男はさも当然だ、といったような具合に僕の隣に座った。1人分のスペースを開けて。僕は縁石の上に腰掛けているが、僕とほぼ同じポーズでこちらを見る。
「あ、はい」
「な、そうだよな。天気が良いと気持ちいいよなぁ。」
「はい」
「おいおい、硬いなぁ、もっと適当でいいよ」
軽い男はへらへらと笑うと、持っていたボトルの中身を勢いよくあおった。それをごくごくとうまそうに飲む。
「ほい」
飲みかけのボトルを僕によこす。飲んでいいよ、と、いうことだろうか。僕はためらった。何を飲んでいるのかわからないし、知らない人の飲みかけ...、抵抗がある。
でも、僕は
「ありがとう」
それを受け取ることにした。受け取って、それを
「飲んでいいんだよね?」
念のため聞く。
「いいよお、うまいよ」
僕はそれを口に入れた。気温と同じ位のぬるい水が僕の喉を満たした。やや甘めに味付けされていて、果実だろうか?みかんジュースを常温の水で、薄めたみたいなそんな飲み物だった。普段の僕ならそれをおいしいとは思わないだろうけど、
「ありがとう、おいしいよ」
僕はそれをおいしいと言った。嬉しかったから。自分が好きなものを与えてくれたことが。
「だよなぁ」
男は、ボトルをさらにあおるとそれを飲み干した。空になったボトルをもてあそびながら男は僕に尋ねた。
「何か困ったことあったのか?」
「見なれない服装じゃないか。どこから来たんだよ」
返答に困っていると、男はさらに続けた。
「まぁ、言いたくないなら、言わなくてもいいぜ」
道ゆく人間に視線を移しながら、男は頬杖をつく。
「ええと」
僕はその質問に躊躇した、そして考えた。本当のことを言って信じてもらえるんだろうか?僕は徒歩でも馬車でも無く、謎の超常現象によってここに来た。そんな事実を。
男は、そよ風に目を細めて街並みを眺めている。不思議な人だ。僕を、怪しげな服装の挙動不審の僕を、待ってくれている。僕が困っているから声をかけて、僕のペースで会話してくれている。
僕は彼を信じたいと思った。だから正直に言うことにした。
「日本から来ました。会社から帰る途中で、気がついたら、ここにいました」
だって僕には適当にごまかして、話に信憑性を持たせることはできやしない。正直に答えることしか今の僕にはできないんだ。
「へー」
男は、僕をまじまじと見つめながら言った。
「異世界から来たってことか」
「えっ」
僕は驚いた。
「僕以外にも?いるんですか?日本から来たそんな奴が」
「いるよ」
おかしそうに笑いながら、男は答える。
「どこに?」
「会いたいかい?」
会いたいかと問われればどうなんだろう?僕は日本で誰かに会いたいと思った事は無い。すれ違う人と、陽気に挨拶を交わしたこともないし。僕に会いたい人もきっといないだろう。そして、日本からの異世界転移者に会ったとして、話も弾まないだろう。
「俺はねぇ、異世界人が好きなんだ。」
僕が言い淀んでいると、男は言った。
「だからさぁ、あんたが異世界人で、あんたが困ってるなら、うちにおいでよ。」
「えっ」
「うちにいるよ異世界人。俺はねぇ、ギルドをやってんだ。うちで働きなよ、異世界人は大歓迎だよ。みんな真面目だからね」
男は、履いているサンダルをプラプラさせながら、僕の返事を待っている。
「ギルト」
ぼ、冒険者ギルト?冒険の始まり?敵と戦って、仲間と友情を深めて、笑って泣いて、そして倒して?世界を救って?そんな物語の中みたいな大冒険が僕にもできるって?僕の脳内に大好きな冒険ゲームの映像が展開される。
「商人ギルド、兄ちゃんさぁ、読み書きと計算できんだろ。うちの会計やってよ」
「あ、はい」
ですよね。
ここは剣と魔法の世界。石造りの建物、危険なモンスター、そして彼方から迫る魔王の脅威。そんな中で僕は元の世界にいた時とあんまり変わらない仕事をしている。商人ギルドのマスターは気さくで陽気で好奇心旺盛だった。異世界人だけでなく、獣人や亜人もギルドメンバーだ。僕が今日の売り上げを足し算すると、猫獣人の少女がすごいすごいと褒めてくれる。彼女に算数を教えていると、ネズミ獣人の主任がお茶をいれてくれた。
元にいた世界と違って、国を動かしているのは魔法を使えるローブ姿の老若男女で、聞こえてくるニュースは、やれ勇者がどうの、王女がどうのと興味深い内容で面白い。みんなで旅行にも行った。社員旅行は王都でお城のツアーはとても楽しかった。
僕の元いた世界で空虚に過ごした鈍色の時間を、鮮やかな思い出が上書きしていく。もう元いた世界の事は夢だったかのように、遠い記憶になっていた。今でも時々思い出す、孤独に震えていたあの夜を。
ある日僕は得意先で用事を済ませてギルドに帰る途中だった。僕はギルドの会計で、みんなのおやつを買う権利がある。美味しいおやつを買って帰ろうかと考えながら、大通りを歩いていた。
スーツ姿の女性がいた。
懐かしい地球の服装。彼女は賑やかな街並みに目移りしつつも、不安げな足取りだった。突然異世界転移した、あの頃の僕と同じ挙動。
「こんにちは、どうしたの?見ない顔だね」
僕は彼女に話しかけた。僕はあの頃と違う。この世界で僕を笑う人はいない、僕の挨拶を無視する人もいない。僕は普通に挨拶ができるようになり、初対面の人間との会話も得意になっていた。
「いい天気だね」
と、僕は言った。初対面の人間と喋るとき、共通の話題を探す必要がある。天気、暑さ寒さはその場にいる人間が全員共有しているので、鉄板なんだ。と、僕はこの世界で学んでいた。
「はい」
スーツ姿の女性と一瞬、目が合うが彼女はそれを逸らした。
「いいよ、硬くならなくて」
僕は縁石に腰掛けた。彼女も少しの距離をとって僕にならった。
彼女は緊張した面持ちで会話に応じる。そんなに緊張しなくていいよ。大丈夫、君を誰も笑わないから。剣と魔法の大冒険はできないけど、穏やかで平和な日常が待っているから。商人ギルドはそれができる。ギルドマスターはきっと彼女を歓迎する。眠れない夜も、正体不明の不安も、ここには無いから。