Game.1 Start
とあるゲームの広大な世界、その中。プログラムによって構成された荒野世界に一人、地に伏して叫ぶ男がいた。
「なんなんだお前……この俺の炎を自在に操る力が一切通用しないなんて……お前のアズルはいったい何なんだよ!!一体俺に何をしたってんだ!?」
敵の能力を理解することも出来ぬまま己の敗北を悟った男は、自身を圧倒し瞬く間に敗北に追い込んだ対戦相手、ニックネーム「アビス」を見上げると、睨みつけて叫んだ。
「さあ。もう俺と戦うことがないお前にそれを教えて何か意味あるか?それに、俺はこの戦いでアズルなんか一度も使ってないぜ」
「は……」
敗者からすればあまりに突拍子もない相手の発言に、何とも気の抜けた声が漏れ、一瞬の沈黙が流れる。が、当然男の感情ははすぐに憤慨に変わり男の口から疑念を吐き出させた。
「アズルを一度も使ってないだと!?下らない嘘をつくんじゃねぇ、アズルも使わずあんな動きができるわけがっ……」
――考えてみれば、戦いの中でアビスは能力のようなものを一切見せていなかった。
だが、自分を瞬殺したのが能力ではなく素の力であったなどと理解するのは、男のプライドが許さなかったのだろう。
「くそ……っ!」
「……まあ、どう思ってもいいぜ。もう本当にお前には関係なくなっちまうようだしな」
「は?そりゃ一体どういう……」
「どうやらこのリザルトによると、今の試合でお前のポイントは0になっちまったみたいだからな。この意味はプレイヤーのお前なら理解るだろ」
「っ……まさか!!」
アビスの発言の意味を理解した男は、自身も試合のリザルト画面を確認すると唐突に焦り始めた。
「お、おい……嘘だろ……」
「このゲームのプレイヤーなら自分のポイントくらい把握しとけよ……今回に限っては挑む相手が悪かったわけだが。ま、ついてなかったな」
「ま、待ってくれ……知ってるだろ!!このゲームでポイントが0になったプレイヤーは、一時的じゃなく永久にこのゲームから……」
「あぁ、永久ログアウトだ。おまけにこのゲームに関する記憶も全部持っていかれるらしいな……悪い。ゲームの世界だって、結局は現実と同じで弱肉強食で理不尽な人生なんだわ」
『敗北したプレイヤーのポイントが0になりました。ゲームの制約に従い、プレイヤーのポイント全損処置を開始します。』
「やめろ……やめてくれ……!!う……うわあああ……、…………」
「ヒュン」という消失音が鳴ると、男の姿は一瞬にして消える。
辺り一面に障害物が何もない荒野フィールドには、男の最後の断末魔が尚更大きく響いたように聞こえたが、それもやがて静寂に飲み込まれて消えた頃、再びアビスの元に機械の冷たく無感情なボイスが流れる。
『プレイヤーのデリートを確認しました。勝者は勝利ポイントに加え、敗者がバーストしたAPを獲得することができます』
その音声の通り男のアバターが消失した場所からドロップしたポイントを回収すると、アビスはログアウトのコマンドに手をかける。
しかし、ふと先ほどの対戦相手に言われたことを思い出すと、最後に独り言を呟いた。
「まあ、俺のアズルは俺自身にも分からないんだけどな」
◇
──普通のゲームとは違い、アビスオンラインには『終わりのシステム』が存在する。
それはゲームにおいて目的を達成することで迎えるエンディングのことではない。……いや、ゲーム内で何かを失敗したり死亡することで迎える「バッドエンディング」のことであれば、あるいは近いのかもしれない。
アビスオンラインにおいて、プレイヤーはプレイヤー同士全てが敵という扱いとなっており、そのため「いつでも」「どこでも」「誰にでも」戦いを仕掛けることが出来るようになっている。
そして、戦いを拒否することは出来ない。交戦が始まればそれは全て正規の対戦となるため、勝利すれば勝者は報酬が得られるし、当然敗者はその分のAポイントを失うこととなる。
Aポイントはプレイヤーの証であり、強さを格付けするための指標でもある。運営から公式のランキング表も公表されているため、実力を競い合うために戦闘を好むプレイヤーも少なくない。
……この部分だけを聞けば、一般的なオンライン対戦ゲームとそう大差ないだろう。だが他のゲームとかけ離れているのはここからである。
アビスオンラインの通称『終わりのシステム』とは──対戦に敗れ続け、所持するAポイントが0になってしまったプレイヤーに下される『ポイント全損処置システム』のことである。
プログラムによりデリートされたプレイヤーは、本人の意思とは無関係に、アビスオンラインの世界から永久に消滅する。デリートされたプレイヤーは現実世界でその記憶を失い、いかなる場合でも再びゲームをインストールすることはできなくなる。
────つまり、ポイントを全て失うことは、この世界における本当の「死」を意味するのだ。
◇
「あー、疲れた」
深淵 時曲は、頭部に取り付けたVRゴーグルを外すと深いため息を吐いた。
ゴーグルを外した彼の目に飛び込んでくる景色は、先ほどまで居たはずの広大なフィールドでも、襲ってくる敵の姿でも無く、紛れもない現実の世界だ。
「腰いてぇー……今何時だ」
時間を確認しようと辺りを見回すが、彼の部屋の窓は段ボールで塞がれており明かりが差し込んでいないため明るさでは見当もつかない。さらには部屋に時計の一つすらないことを思い出し、再びため息を吐くとPCの画面に小さく表示された時間の表示に目をやった。
「うわ、もうこんな時間か……長く向こうにいるとこっちのことが曖昧になるよなぁほんと」
用を終えたPCをシャットダウンしたのちゲーミングチェアから腰を外して気怠げに立ち上がると、時曲はそのままベッドへ向かい倒れ込んだ。
時曲の部屋は、ゲームをプレイするのに必要なもの以外にはほとんど何も置いていない。彼は食事や家事など必要最低限のことを除けば大半の時間をゲームに費やしているからだ。
時曲の両親は彼が中学を卒業する前に他界している。身寄りのなかった彼は、それ以来一度も他人を頼ることなく一人で生きているが、それで生活に困ったことは一度もなかった。
果たして、この世の中に一人で生きる力を持った高校生は一体どれだけいるだろうか?
時曲にそれが可能だったのは、彼が一つの大きな才を持っていたからだった。それはもちろん、「ゲームプレイヤー」としての才だ。
対戦相手がいて、ゲームと呼べるものなら何でも。機械で遊ぶゲームはもちろん、将棋やチェスも、スポーツでさえもだ。それが「対戦」であるなら、勝つためには能力や努力を惜しまない。
元々多くのことが人並み以上に出来た時曲だが、中でも突出していたのはその圧倒的なゲームセンスだった。
そんな彼には当然、過去に数多のプロゲーマー業界が彼の腕を欲し何度も誘いを持ち掛けた。
……しかし、彼にはそれらの誘いに対し興味を持つ余地すらない理由があった。
先刻まで時曲がプレイしていたゲーム『ABYSS ONLINE』──その世界で、時曲のことを知らないプレイヤーはいない。
最も、知られているのは「アビス」という彼のプレイヤーネームだ。
これまでに数多くのオンラインゲームをやってきた時曲だったが、彼はある時を境に他の一切のゲームを引退している。
それは、彼がたった一つのゲームから人1人が十分生きていけるほどの莫大な報酬金を貰うようになったことがきっかけだった。
サービス開始直後に『総合ランキング一位』の座を獲得してから現在まで約一年間、一度も他のプレイヤーにその地位を譲ることなく保持。
PVP(対人戦闘)ゲームにおいて、これがどれだけ凄いことであるかはゲーマーであれば誰にでも分かることだろう。時曲の報酬は、そのランキング一位保持に対してのものだった。
他プレイヤーとの戦闘が主な要素であるアビスオンラインでは、一般的なMMORPGと同じように武器や防具を入手したりそれを用いて戦うことが出来る。
だが、実際のこのゲームにおいてのソレはあくまでガラクタ同然の要素であり、本当にプレイヤー達の武器になるのは各プレイヤーに初期から与えられる固有スキル、通称『アズル』である。
プレイヤー登録時に必ず1つだけ与えられるアズルは、その詳細が本人にすら開示されない。それぞれ能力の発動に必要な要素や条件も異なっており、自覚するまで上手く使いこなせないことが大半であるため初心者は生存率が低くプレイヤーは古参が多い。
能力の選定基準は判明しておらず、中には戦闘に全く役に立たないアズルもあるが……それでも多くは、プレイヤーにとって最も重要で強力な戦力となる。
ほとんどのプレイヤーのアズルは他のプレイヤーと被っているため、『量産型タイプ』もしくは被ることの少ない『レアタイプ』と呼ばれるのだが……中には他のプレイヤーと一切被ることのない『オリジナル』と呼ばれる唯一無二のアズルを持つプレイヤーもいる。
当然、レアやオリジナルの能力は量産に比べ対策がしづらいために戦闘において大きなアドバンテージになる。そのため、レア以上のアズルを持つプレイヤーが能力を見せれば、それは瞬く間に他のプレイヤーに広まることになるし、アズルを知られることとなるのだ。
……そんな中。アズルすら見せずに『対戦勝率100%』『常時ランキング一位』という卓越した戦績を残していることから、時曲はほとんどのプレイヤーからアビスオンライン最強のプレイヤーとして認識されていた。
しかし、現実の時曲はそんな評価に対してあまり興味がなかった。
最初はただ好きでやっていただけの「ゲーム」……だが、今の彼にとってのゲーム、アビスオンラインは「生きる世界」そのものであり。
戦うのは、それがこの世界の常識だから。
勝つのは、これが対戦だから。
時曲はこれまで幾多のプレイヤーと戦い、その全てにおいて勝利を収めてきた。だがそれは、現実に生きる人がやっているように、ただやるべき事を全うしているだけだ。
学校に通って勉強をしてテストを受けるように。会社に行って仕事をするように。
アビスの世界においては、ただ目の前に現れる相手が「敵」だから戦い、自分の方が強いから勝つだけで。
だがそれは、彼にとってはただ生きることに過ぎない。誰とも深い関わりを持たず、目的を持たず、ただ同じことを繰り返すだけの作業的な人生で。
そしてゲームは、彼にとって唯一の居場所であると同時に……自分が現実から目を逸らし逃げたことを思い出させる存在でもあった。
「……一体、この人生にはどんな意味があって、いつまで続くんだろうな」
──恵まれた才を持って生まれ数多の勝利を手にしてきたはずの時曲は、そんな虚しさと共に眠りに落ちて行くのだった。